「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
日村くんは、両手にウーロン茶とオレンジジュースを持って部屋に戻ってきた。
「はい、おまたせ」
「ありがと。……ねえ、日村くん」
アタシはグラスを受け取らず、まっすぐ見上げた。
「ウチ、泊まりなよ」
できるだけいつも通りのテンションで、何でもないことのように言う。
日村くんは目を丸くして、それから困ったように眉を下げた。
「いや、でも……親御さんの許可は?」
「取ったよ」
即答した。
予想してた質問だったから。
ママに『帰れなくなった友達を泊めるね』ってLINEしたら、『オッケー、 戸締まりしっかりね!』と返ってきた。
友達が男の子とは言っていない。でもウソはついてない。
「……そっか。じゃあ、お言葉に甘えようかな」
日村くんは少しホッとしたように笑った。
アタシは全身が緊張で震えるのを、必死でガマンした。
カラオケを出たアタシたちは、台風並みの雨風の中を走った。途中にあるコンビニで、傘を二本と、日村くん用の大きめのパジャマとバスタオルだけを急いで買った。
初夏の嵐はハンパなかった。
買ったばかりのビニール傘は、ひっくり返って圧し折れた。
結局二人とも、アタシの家に着く頃にはズブ濡れだった。
「狭い家だけど、許してね」
アパートの外階段を上りながら言う。
「いや、そんな。ありがたいよ、本当に」
日村くんは目尻を下げて笑った。また仔犬みたいな
いけない子だな、なんて他人事みたいに思う。
ガチャリと鍵を開け、日村くんを招き入れる。
日村くんはビシャビシャの靴を脱ぎ、靴下を絞る。そして、ふと不思議そうな顔をした。室内が静かすぎるって気付いたみたい。
「ご家族は……皆さん寝てるの?」
ひそひそ声で聞いてくる日村くんに、
「ううん。みんな姉貴の家に避難してて、今日は誰もいないよ」
アタシは平気なふりをして靴を揃える。……手が震えてるの、バレてないかな。
背後で、日村くんが息を呑む音がした。
アタシは振り返らずに、お風呂のスイッチを入れる。
ピ! 甲高い電子音。
雨音。風音。窓にさえぎられた環境音は他人事のように遠く聞こえて、かえって静寂を強調している。
「ビショビショだね〜、お互いに。あっははは……」
笑ってごまかすアタシ。
でも、リビングに上がってきた日村くんの動きは、ロボットみたいにぎこちない。
二人きりの、誰もいない家。密室。それを、ようやく理解したらしい。
アタシは場を和ませようと、日村くんの肩にポンと手を置く。
「ほら、『先にシャワー浴びてこいよ』っ!」
アネゴ肌っぽく言ったつもりが。
触れた肩の熱さと、濡れたシャツから透ける筋肉に、
「ふゎっ……!」
アタシの方まで照れてしまった。
日村くんも、アタシの視線に気づいて顔を赤くする。
お互い強烈に意識し合ってる。気まずい沈黙。
居ても立ってもいられなくなったのか、
「ひ、火伏さんこそ!」
日村くんが慌てて手を振った。
「お湯ためてる間に、シャワー浴びちゃいなよ!」
「いやいや、お客さんなんだから日村くんが先でしょ!」
「俺は後でいいって!」
何ターンか譲り合いの押し問答が続いたけれど、最終的に『お客さんだから』というアタシの理屈で押し切り、日村くんが先にお風呂に入ることになった。
シャワーの音が聞こえ始めたのを確認して、アタシはリビングで着替える。濡れた服はすぐ脱がないとすぐ風邪を引いちゃうから。
それにしても、肌に張り付いてとにかく脱ぎにくい。悪戦苦闘をようやく終えて、アタシは裸になる。そして、ため息を長く吐き出した。
どうしよう。
アタシ、日村くんを家に連れ込んじゃった。
この後、どうする?
日村くんがお風呂から出たら、アタシが入って、そのあと二人で並んでパジャマ姿でリビングに座って……
それで?
……絶対に、気まずくなる。
それが嫌だから、積極的にアプローチしたら?
……仲良くできるけど、進展はなさそう。
ヘタレなアタシたちのことだ。一緒に楽しくテレビを見て、日村くんが『じゃあ俺は床で寝るから』とか言い出して、しばらく押し問答してから、結局は何事もなく朝を迎える。そうに決まってる。
安心安全で心地いい。もどかしい距離感。それがまた繰り返されるだけ。
そんなの、絶対にイヤだ。
今日で決着をつけるって、自分で決めたんだから。
だから──
「……もう、いいや」
めんどくさくなっちゃった。
駆け引きとか、恥じらいとか、プライドとか、ぜんぶ全部めんどくさい。
アタシは裸のまま、自室を出て洗面所に向かった。
すりガラスの向こうから、シャワーの音が聞こえる。
コンコン、とドアをノックした。
「日村くん、入るよー」
「……えっ!? ああ、うん、
「あっはは、もー日村くんってば」
「ご、ごめんごめん。ははは」
アタシたちは、浴室のドア越しに笑い合う。
そしてアタシは、
「そっちじゃないよ」
全裸のまま浴室へ入った。
「ンなぁ──っっ!!?」
叫ぶ日村くんは湯煙の中、シャワーヘッドを手に凍りつく。
目は限界まで見開かれ、口は開いたままふさがらない。氷漬けにされたみたいに固まっている。
アタシはっていうと、自分でもビックリするほど冷静だった。
日村くんの唇に人差し指を伸ばし、「しー」と制する。
「大声出しちゃダメ。ウチ、壁薄いから」
ご近所メーワクだよ、とアタシが言っても、日村くんは全く聞いてなかった。日村くんのつぶらな瞳は、上へ下への大騒ぎ。
「あ、わ……ひぶ、えっ……!?」
目線が吸い寄せられて、慌てて離されて、また吸い寄せられて。
アタシだって恥ずかしいのに!
恥ずかしいけど、もう止まれない。
「これが一番わかりやすいでしょ。ダメならそう言って」
アタシは、日村くんの目を真っ直ぐ見つめる。
「言わないならもう、アタシ、やりたいようにやるから」
ズルいなぁ、って自分でも思う。
逃げ道を与えるようなフリをして、実質的には塞いでる。
啖呵を切ったようでいて、自分を人質に脅迫してるだけだ。
これで振られたらアタシもう、日村くんのこと、一生逆恨みする。日村くんもそれをわかってる。日村くんは優しいから、きっと応えてくれる。
案の定、日村くんは絞り出すように言った。
「お、俺も……火伏さんのこと好きだけど、好きだから、でも、こんなの、急すぎるって──!」
急すぎる、って。
それを聞いた瞬間、アタシの中で張り詰めていた糸が、プツンと切れた。
「急じゃないでしょーが!!」
アタシの絶叫が響き渡った。
「お家デートして外でもデートしてバレンタインも一緒だった一年間、なんも急じゃないでしょーが!!!」
似た者同士の臆病者同士。
ずっと安全圏から見つめ合ってたから、ここまでしないと触れ合えなかった。
日村くんはビクッと肩をすくめ、
「ご、ご近所メーワクだよぉ……」
と、さっきのアタシのセリフを弱々しく繰り返した。
アタシはフン!と鼻を鳴らし、両腕を広げた。
「ん!」
抱きしめて、ってことなのに。
日村くんは、わたわた慌てふためいている。どこにどう触れていいのか、そもそも見ていいのか分からないってカンジ
アタシはもう一度、
「ん!!」
両腕を広げてみせる。
日村くんは観念して、恐る恐るアタシの背中に腕を回る。
じれったいから抱き寄せる。密着する。
うわ、どうしよ──
と思ってたのに、アタシの体は勝手に動く。目を閉じて、上を向いて、背伸びをする。日村くんはためらいがちに、そっと唇を重ねて。
頭が、真っ白になる。
テッペンからつまさきまで白熱して何も考えられない。
なのに心のどこかの片隅で、(日村くん急に積極的になるんだなぁ……)なんて思ってる。
映画みたいなことしてるなぁ…………あれ?
ファーストキスなのに、妙にフィットするというか、優しくて滑らかで、心地いい。
唇が離れる。
起きても夢から覚められないときみたいに、頭がぽやぽやしている。
曇りかけの鏡にアタシが映ってる。
うわ、やらし〜顔……こんな表情、アタシじゃないみたい。
「火伏さん……」
日村くんの声で我に返る。
アタシは慌てて顔を覆って、息を整える。
そして、せいいっぱいのジト目で日村くんを睨んだ。
「日村くん、な〜〜んか慣れてるよね?」
「そ、そんなわけないでしょ! 彼女できたことないよ俺!」
日村くんは必死に首を横に振る。
「火伏さんこそ、その……チューも器用というか……」
「あっは、言い方きも〜」
軽口を叩きながら、アタシの胸の奥は、どうしようもないくらい愛おしさでいっぱいになっていた。
アタシも経験なんてない。ただ合わせるのが得意なだけ。
お互いに初めてで、不器用で、いっぱいいっぱいで。
密着したまま、日村くんの体を改めて感じる。
服を着ているときは気付かなかったけれど、割としっかり鍛えてるっぽい。そして、それ以前に、骨格からアタシとは全く違う。
ほんとに男の子なんだなぁ……。
そう実感した瞬間。
日村くんの一部が、アタシのお腹の辺りに、硬く当たっているのに気づいた。
「……当たってるんですけど」
「ふ、不可抗力でしょ!!」
顔から火が出そうなくらい真っ赤になって叫ぶ日村くんに、アタシはたまらず吹き出した。
「あっははは!」
笑いが止まらない。
なんでアタシたち、こんな大事なときに漫才みたいなことやってんだろ。
でも、それがアタシたちらしいかも。
アタシは日村くんの首に腕を回した。
「いいよ。好きなこと、アタシにしたいこと、なんでもしていいよ」
それは、アタシのすべてを委ねる言葉だった。
日村くんの喉仏が、ゴクリと上下する。
「でも、一つだけ」
アタシは人差し指を立てて、日村くんの鼻先にツンと触れた。
「コハルって呼んで。アタシも、トーマって呼ぶから」
ここから先は、恋人同士。
トーマは、大きく息を吸い込み、コクンと頷いた。
「じゃあ、コハルさん」
「よ・び・す・て!」
「こっ、コハル」
震える声とは正反対に、トーマの瞳は真っ直ぐだった。
「俺、好きだから。勢いに流されてるわけじゃない。コハルのことが好きだから」
────心臓が、バクハツした。
頭の中が焼かれてるみたいに熱い。
ズルい。トーマはズルい。ズルい。
ズルい!
ズルい!!
こーゆーの、どうせ他の子にも言ってるんじゃないの?
言ったことなくても、後で他の子にも言っちゃうんじゃないの!?
イヤミを言ってやりたいのに、アタシの唇は震えるだけで。
それをトーマが唇で塞ぐ。
水音は、換気扇の音で搔き消されて。
恋人の夜が始まった。