「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
俺は、コハルとの日々を想い返していた。
あの後、浴室で何をしたのか……顔が熱くなる。赤面しているのが、鏡を見なくても分かる。
今、コハルは、ベッドに寝転んで俺を見上げている。
そして、
「あ。トーマ、エッチな顔してる〜」
にま〜っと悪戯っぽく笑った。
コハルは少し体を起こし、キメ顔を作る。
「『俺、好きだから。勢いに流されてるわけじゃない。コハルのことが好きだから』」
カッコつけた低い声。俺の真似だ。
「──っとか言ってたくせに、4股!」
コハルは、細い指を四本立ててみせる。ネイルチップがきらりと輝く。
「トーマって、つくづく女泣かせだよね〜」
グサリ。
言葉は研ぎ澄まされた矢になって、俺の胸に風穴を開けた。
「……返す言葉もございません。何をしてでも償います」
「命懸けで〜ってかぁ? 死なれたらヤだよ! アタシ未亡人になっちゃうじゃん!」
ケラケラと笑うコハル。
しかし、俺の胃は重かった。
自分がどれだけ残酷なことをしたのか、改めて実感している。
一世一代の覚悟で、ありのままを見せてくれたコハル。
それに応えながら、俺は全てを忘れ、他の女の子たちと──フユミと、アキハ先輩と、ナツキと──関係を持ったのだ。
最低最悪。
俺がコハルの立場だったら、間違いなく殴りかかっている。
「コハル、俺……」
俺がベッドの傍らに膝をつき深く頭を下げようとしたところ、
「ストップ」
コハルの柔らかい手が、俺の口元を塞いだ。
顔を上げると、いつの間にか身を起こしていたコハルが、至近距離から俺を見つめていた。
ココナッツの甘い香りが、鼻腔をくすぐる。
「あのさ、トーマ。アタシ、トーマが記憶なくしたって知ったとき、どう思ったか、わかる?」
「……怒った、よな」
「んーん。ぜんぜん」
コハルは、あっけらかんと首を横に振った。
「『バカだな〜』って思った」
「……え?」
「忘れちゃうのがイヤだから死んでも構わない、なんてバカだよ。思い出は新しく作れるけど、命はそうじゃないんだよ?」
コハルの小さな両手が、俺の顔をそっと抱える。鼻の触れ合う距離で、猫のような瞳が俺を見つめる。
「約束して。アタシが見てないとこで無茶したりしない、って」
その眼差しの強さに、俺は息を呑んだ。
そして、
「ああ、約束する。もう絶対、そんなことしない」
「ん。よろしい」
コハルは笑って、俺の胸へ頭を預ける。その笑顔は仔猫のように無邪気なものだった。
温もりが伝わる。ココナッツの香りは甘く、落ち着く。
コハルは俺の胸に寄りかかったまま、ぽつりぽつりと話し始めた。
「ウチの親ね、高校生のときにデキ婚したの。だから、昔からずーっと苦労しててさ」
俺は黙って、続きを聞く。
「アタシが生まれたときには、パパはいなかったの。どこかにいるのか、もういないのか、ママが言わないからアタシもよく分かんないんだけどね。まあ、だから、ウチってけっこー貧乏だったの」
コハルは平静なトーンを崩さずに言う。
「でも、姉貴はすっごい頭良くてさ。必死で勉強して、国立大に入ったの。超エリートでしょ? で、ヒヨリはあんな感じでちょっとグレかけてるけど、根はマジメで、勉強はできるの。それに……」
コハルはそこで一旦言葉を切り、俺を見上げて、ニシシと悪戯っぽく笑った。
「次女のアタシがインフルエンサーになったから、もう金銭面は完全安泰なの! マァ〜〜ジでチョー稼いでるからね。ウチの家計の柱、このアタシです!」
コハルは両手でピースサインを示してみせる。
「本当にカッコいいよ、コハルは。ずっと尊敬してる」
本音だった。
華やかな容姿と明るさだけで成功したわけじゃない。コハルの中には、家族を支えるという確かな芯がある。
「ほんとに素敵なご家族だよなぁ」
俺がしみじみ言うと、コハルはえっへんと胸を張った。
「でっしょー! アタシの自慢の家族!」
「うん。お母さんも妹さんも、すごく温かい人だった」
「あはは、ありがと。……でさ、トーマ」
コハルはふいに、声のトーンを一つ落とした。
「トーマ、結婚の挨拶どーするか、ちゃんと考えてる?」
「ぐぉ……ッ!!」
俺の全身が、一瞬にして鉛のように重くなった。
結婚の挨拶。
四股を公認のハーレムとして成立させるということは、当然、四人の親御さんに『お嬢さんを僕にください!』と正面からブチかましに行くということだ。
想像しただけで胃がネジ切れる。五臓六腑じゃ到底足りない。スペアの臓器が欲しいトコだ。
冷や汗をかく俺を見て、コハルがくすくす笑う。
だが、俺はギュッと拳を握り、自分の頬を軽く叩いて気合を入れた。
「……真剣に、せいいっぱい話すよ。皆のご家族に」
「おっ」
「逃げ回ってちゃ、誰も幸せにできないからな。俺が全部、腹括るよ」
コハルの目を見つめて、ハッキリと言い切る。
するとコハルは、いつもの太陽のような満面の笑みを浮かべた。
「やるぅ! やっぱトーマってイイ男だよね。アタシって人を見る目あるぅ〜!」
コハルはころころと快活に笑った。
「ママは
「ギリ笑えねーよ」
「老いては子に従え、ってね!」
「老いてないだろコハルママは」
「射程圏内?」
「どう答えても詰むヤツやめて?」
「あっはっは、ごめんごめん!」
コハルはバシバシと気前よく俺の背中を叩いてくる。
その力強さに、少しだけ心が軽くなった気がした。
コハルの背中を叩く手が不意に止まる。そして、
するり。
コハルは俺を、そっと抱きしめる。
「コハル?」
「……トーマ、私ね」
俺を見上げる瞳は、しっとりと潤んでいる。飴色の、甘ったるく絡みつく視線。
キャンディピンクの唇から、
「──今から、逃げちゃってもいいよ」
信じ難い言葉が零れ出た。
「アタシの家族全員が一生生きてけるだけのお金も、アタシとトーマが一生生きてけるだけのお金もあるよ。……だから、四人と生きるのがしんどくなったら、二人っきりで逃げちゃってもいいよ」
それは、究極の誘惑だった。
アキハ先輩やフユミが用意してくれた『四人での共存』という、イバラの道。
それとは別の、コハルと二人だけで生きる、何不自由ない確約された逃避行。
俺は、その提案を口にしたコハルを見つめる。
切羽詰まった様子はない。ただ、穏やかに微笑んでいる。
コハルとは思えないような、大人びた表情。
でも、俺のためを思って、自分のすべてを投げ打ってでも逃げ道を用意してくれるその優しさは――何よりもコハルらしい。
俺は、一瞬だけ目を閉じた。
深呼吸をして、脳裏に浮かぶフユミの、アキハ先輩の、ナツキの顔を思い浮かべる。そして、目の前にいるコハルの体温を確かめる。
ゆっくりと目を開き、俺は応えた。
「逃げないよ。……コハルのことが好きだから」
「…………」
「みんな、コハルのことが好きだから。コハルのママも、お姉さんも、妹さんも、フユミも、アキハ先輩も、ナツキも。みんなコハルが好きだから。俺がコハルを連れて逃げたら、みんな寂しがっちゃうよ」
俺の答えを聞いて、コハルは元よりつぶらな瞳を、さらに丸くした。
それから、プッと吹き出し、
「あははっ! だよね〜!」
いつもの底抜けに明るい笑い声が、部屋中に響く。
お腹を抱えて転げるコハルを眺め、俺は何だか報われたような、救われたような、不思議な気分になる。
コハルはひとしきり笑ってから、涙をぬぐいつつ、上半身を起こす。女の子座りというのか、内股座りというのか、ともかくベッドに座った。
そして、こう言った。
「じゃ、ナツキちゃんに会いに行ったげて」