「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。   作:会澤迅一

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第28話 コハル「ナツキちゃんに会いに行ったげて」/☆ナツキ「何のために」

「じゃ、ナツキちゃんに会いに行ったげて」

 

 コハルは俺と正対して、そう言った。

 

「……いいの?」

 

 俺は恐る恐る問い返してから、自己嫌悪に駆られた。なんて間抜けで卑怯な質問だろう。でも、それ以外の言葉が出てこなかった。

 

 コハルは小首をかしげる。

 

「なにが?」

 

「いや……俺、今日コハルのとこに来て、コハルと話して、それでそのままナツキのとこ行くって、なんか」

 

「なんか、浮気みたいだ、って感じ?」

 

「う……うん」

 

 うめきとも相槌ともつかない俺の声に、コハルは一瞬だけ目を丸くする

 

 それから、ふっと息を吐いた。

 笑うでも呆れるでもない、どこか腑に落ちたような吐息だった。

 

「トーマってさ」

 

 ベッドの上で座り込んだまま、コハルは続ける。

 

「ナッちゃんのこと、今どう思ってる?」

 

「……心配してる。自分のせいで倒れたって、ずっと一人で抱えてると思うと──」

 

「うん。それだけ?」

 

「いや、好きだよ」

 

 言ってから、『しまった』と思った。

 

 しかしコハルは、

 

「だよね〜」

 

 とうなずいてくれた。

 

「アタシもナッちゃんのことが好きなの。大親友だから」

 

 平坦だけど、柔らかな声だった。

 

「ナッちゃんってさ、強がるじゃん。いつも一人で全部やろうとして、人に頼るのが下手っぴで、でも本当は怖がりで寂しがり屋で……アタシ、ほっとけないんだよね」

 

 コハルは少しうつむく。プラチナブロンドの前髪が、コハルのあどけない美貌を隠す。

 

「だから、アタシじゃなくてトーマに行ってほしいの。ナッちゃんが今一番会いたいのは、アタシじゃなくてトーマだから」

 

「コハル……」

 

「勘違いしちゃダメだよ」

 

 コハルは俺を見た。いつもより強く真っ直ぐな眼差し。

 

「嫉妬とか、我慢とか、そういうんじゃないから。トーマはアタシの彼氏で、ナッちゃんはアタシの親友だから。だから、幸せになってほしいの。それだけ」

 

 それだけ、と言い切った声は、揺るぎなく響いた。

 

「……わかった?」

 

 俺は少しの間、コハルの顔を見つめていた。

 

 俺は目を逸らせなかった。

 コハルは目を逸らさなかった。

 

「わかった」

 

 俺の答えを聞いたコハルは、ようやくいつもの笑顔に戻った。

 

「よし。じゃ、行ってらっしゃい」

 

 俺はコハルの部屋を出て階段を降りる。コハルは俺の背後を、とことことついてくる。

 

「送ってくれるのか?」

 

「玄関までね。──やっぱし、ちょっと寂しいし?」

 

 冗談めかして微笑むコハルが愛おしくて、何かしてやりたくなる。

 

 が、今はナツキのもとへ向かう。

 コハルにそれを言わせてしまったんだから、俺に今できることをしたい。

 

 玄関で靴を履き、

 

「じゃ、行ってくるよ」

 

 振り向いてコハルに手を振る。

 

「ん。……あ。トーマ、忘れ物!」

 

 なに?

 

 問うヒマもなく、重ねられる唇。

 コハルに抱き寄せられ、しばし密着する。

 

 気がついたら、体は離れていた。

 

「行ってらっしゃいの、ちゅー」

 

 コハルは満面の笑みでウィンクして、けらけら笑った。

 

「い、い、行ってきます……」

 

「いってらっしゃーい」

 

 挨拶もそこそこに、俺はコハルの家を後にした。

 

 ……心臓は高鳴ったまま、しばらく落ち着かなかった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 冷水(しみず) 夏希(なつき)は何者か。私は自問自答する。

 

 フユミさんが去った後、私は椅子に座ったまま呆けていた。

 

 天井を仰ぎ見る。蛍光灯が白く瞬く。冷たい光が目に染みる。

 

 ……泣き過ぎた。

 喉の奥に違和感がある。頭が重い。そのくせ、胸の中は軽い。

 

 奇妙な感覚だ。

 嵐の後の海辺みたいに、どうしようもなく落ち着いている。

 

 スマホを開き、ウーバーの注文を確認する。到着まで、あと15分。

 

 私は椅子の背もたれに体を預け、目を閉じた。

 

 

 

 

 物心ついた頃から、私の家には物語があった。

 

 父は映画監督。母は大女優。

 

 父の書斎は、壁一面が本棚だった。

 ハードカバーの文学全集、シナリオ集、映画評論。そのどれもが、子どもの背丈では届かない高さに並んでいた。

 

 母の部屋は、床まで台本で埋まっていた。

 公演のたびに新しい台本が積み上げられ、読み終えるとすぐに次が来る。母の部屋はいつも散らかっていた。

 

 父も母も、創作を最優先していた。食事を忘れることもしばしばだった。私を忘れることも珍しくなかった。

 

 テーブルの上には、いつも手つかずの冷たい食事があった。私はそれをつまみ食いして育った。

 

 それでよかった。

 

 父が試写会のDVDを持ち帰ってくれる夜だけ、三人でソファに並んだ。

 母の膝に頭を乗せると、母は私の髪を撫でてくれた。視線は画面から離れなかったけど、それでも確かに触れてくれた。

 

 父はエンドロールが終わるまで、一言も喋らなかった。

 

 それでよかった。

 

 物語の狭間でだけ、私たちは一緒にいられた。

 

 それでよかった、はずだった。

 

 いつから書き始めたのか、ハッキリとは思い出せない。

 

 父のシナリオ集を盗み読みして、母の台本の余白に落書きをして、気づいたときには原稿用紙を買ってきていた。

 

 何のために書いていたのか、私には分からない。

 

 読むのが好きだったから?

 書くことが好きだったから?

 父や母に見てもらいたかったから?

 

 全て正しいような気がするし、全て違うような気もする。

 

 ただ、書き続けた。

 

 学校へは行っていたけど、話す相手はいなかった。友人を作る時間があるなら一行でも多く書きたかった。寝食を惜しんで書いた。

 

 賞への応募は小五から。

 初めて佳作をもらったのは中一の春だった。

 

 中二の夏。

 私の書いた脚本が、あるコンテストの最優秀賞を取った。最優秀賞は、映画化される。父が監督を務め、母が主演となる。そういう手筈だった。

 

 授賞式の前日、私は倒れた。

 

 疲労と栄養失調、とのことだった。

 目が覚めると白い天井があった。点滴のチューブが左腕に刺さっていた。

 

 体が重かった。

 

 けれど私はナースコールを押して、担当の看護師を呼んだ。

 

「親に連絡を取っていただけますか。先に、伝えたいことがあって」

 

 看護師がスマホを持ってきてくれた。

 

 私は、母に電話をかけた。

 

 ワンコールで繋がった。両親は撮影中でも舞台中でも、私からの連絡には、必ず出てくれる。その点については律儀な人たちだった。

 

「もしもし、ナツキちゃん?」

 

 母の声色は、いつも通りだった。

 

「入院って聞いたけど、体は大丈夫なの?」

 

「大したことないよ」

 

 私の声も、いつも通りだったはずだ。

 

「それより──」

 

 私は事務的に、短く告げた。

 あのコンテストで最優秀賞の脚本は、私が書いた、と。

 

 母は間を置かず答えた。

 

「あら、そうなの。流石ね」

 

 台本のページをめくる音がした。

 

「ところで、冒頭の台詞だけど、少し変えたほうが──」

 

 私の体からの力が抜けていった。

 スマホを落としそうになり、辛うじて握り直す。母の話には適当な返事をして、「またね」と言い合ってから、電話を切った。

 

 私はしばらく病室の天井を眺めていた。

 

 蛍光灯の白い光が目に染みる。

 私はそのときになって、ようやく理解した。

 

 両親は物語が好きで、人間には興味がない。

 

 父も母も、私を可愛がっていた。それは本当だと思う。

 ただ、二人のそれは、道端の野良猫を気まぐれに撫でるような態度だった。

 

 父も母も。誰も彼も。

 

 世界は冷水(しみず) 夏希(なつき)に興味がない。

 

 病室には誰も来なかった。

 

 点滴を終えた私は、お金を払って一人で帰った。

 

 以来、私は考えるのをやめた。

 

 何のために書くのか。

 誰かに見てもらいたいのか。

 

 ただ物語だけが、私に残った。

 

 

 中学三年の、梅雨の終わり頃だった。

 

 私は、七曜学園の中高連絡通路を歩いていた。理由は特にない。高等部の図書室でも見に行こうか、と気まぐれを起こしただけだ。

 

 廊下の突き当たりを通りがかったとき。

 

 ふと、張り紙が目に入った。

 

 文芸部。

 

 汚くて、勢いのある字。

 

 私は立ち止まる。そう言えば、この学校にも文芸部があったのか。

 

 扉が、指一本ぶんほど開いている。

 隙間から、黄色い夕日が漏れていた。

 

 覗くつもりはなかった。ただ、足が止まった。

 

 隙間の向こうに、一人の男子生徒が見えた。

 

 窓際の席。

 黄昏を背に、文庫本を読んでいる。

 

 ページをめくる動作は、ゆっくりだった。緩慢というには楽しげで、熟読というにはリラックスしていてる。

 

 その(たたず)まいには、妙な静けさがあった。

 放課後の賑やかさから切り取られたような、小さな小さな凪の空間。

 

 私は視線を彼の手元へ移す。

 

 文庫本の表紙が、かろうじて見えた。

 

 アンソロジー。

 

 タイトルは見えなかった。

 しかし、装丁だけで私には分かった。

 

 三年前、私が初めて書いた短編が掲載されている本だった。

 

 私の体が固まる。

 

 作家である以上、作品を読まれるのは当然のことだ。

 

 ただ、処女作となると話は別だ。

 私の心臓は不気味な跳ね方をした。逃げたいのに見ておきたい。矛盾する感情。

 

 その拍子に、私のローファーが廊下の床を鳴らした。

 

 隙間の向こうの男子生徒が、顔を上げた。

 

 目が合った。

 

 一瞬の沈黙。

 男子生徒は何でもないことのように、ゆったり微笑んだ。

 

「見学の子?」

 

 覇気のない笑顔だった。

 品定めも警戒も愛想もない。ただ、当たり前の風景を受容するような笑顔。

 

「どうぞどうぞ、気軽に見てってよ」

 

 屈託のない声だった。

 

 私は、とっさに返事ができなかった。

 扉を開けるべきか、(きびす)を返すべきか、判断が追いつかなかった。

 

 それが先輩との出会いだった。

 

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