「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。   作:会澤迅一

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第29話 ナツキと出会った日

 コハルの家を後にして、学園へ向かう道すがら。

 

 俺は、ナツキの──冷水(しみず) 夏希(なつき)のことを考えていた。

 

 最初に会ったのは、俺が高一の頃だった。

 

 あの頃の俺は、廃部になった文芸部の部室を、一人で使っていた。

 

 

 

 

 文芸部が廃部になったのは、俺が入学する前年のことだった。

 

 最初に文芸部室を訪れた理由は、もう思い出せない。通りがかっただけだった気がする。

 誰かが鍵を開けっ放しにしていたのか、あるいは最初から鍵がなかったのか。ともかく誰でも入れた。

 

 俺はそこが気に入った。

 

 静かで誰も来ない。部室には蔵書が置きっぱなしになっている。独り占めできる小さな図書室。

 

 放課後になると自然と足が向いて、気づけば毎日のように入り浸っていた。

 

 その日も俺は、窓際の席でアンソロジーを読んでいた。

 

 梅雨の終わり頃。西から差し込む夕日が、室内をヌルい暖色に染めていた。

 

 ページをめくろうとしたとき、視線を感じた。

 

 扉の隙間から、誰かがこちらを覗いている。

 

 目が合った。

 

 女生徒だった。

 ボサボサの黒髪が、目元まで伸びいる。着ている制服は中等部のものだ。

 

 ブラウスの第二ボタンは留まっていない。

 スカートのプリーツは片側だけ崩れている。

 

 他人から見られることに不慣れな人の風体だった。

 

 俺もそういう人種なのでよくわかる。

 

 小柄な彼女は、隙間の向こうで固まっていた。

 人馴れしていない小動物みたいで、可愛かった。

 

 俺は、思わず声をかけた。

 

「見学の子?」

 

 反射的に言ってしまったが、俺も別に、文芸部というわけではない。俺の発言はミスリードだ。

 

 が、俺は文芸部のフリをすることにした。

 正直に身分を明かしてこの場所を失うくらいなら、見知らぬ女子中学生に嘘をつく方がマシだ。

 

「どうぞどうぞ、気軽に見てってよ」

 

 その子はギクシャクしながら入室した。そして、文芸部室の中を見回した。

 

 壁際の本棚を、背表紙だけ一冊一冊確かめるように、黙ってゆっくり見て回った。集中しているようだったので、俺は特に話しかけず、アンソロジーの続きを読んでいた。

 

 しばらく経ってから、その子が口を開いた。

 

「……それ、どこで手に入れたんですか」

 

 視線は俺の手元のアンソロジーへ向いていた。

 

「ああ、これ? もらいもん」

 

 アキハ先輩から貰った本だった。

 

「……そうですか」

 

 その子は、それきり黙り込んだ。

 俺はアンソロジーを閉じ、表紙を彼女に向ける。

 

「読む?」

 

「……いいです」

 

 彼女の反応には、なんとなく、含みがあった。

 

「読んだことあるの?」

 

 彼女の肩がビクっと跳ねる。そして、顔を少しそむけて、ぼそっと答えた。

 

「……あります」

 

「どれか好きな作品ある?」

 

「ぜんぶ好きじゃないです」

 

 即答だった。

 おどおどした雰囲気の割に正直な子だ、と俺は好感を持った。

 

「俺は結構、気に入っててさぁ。特に、これ」

 

 目次のページを開いて、指で示す。

 

 タイトルは『水嫌いのビーバー』。

 

 主人公はタイトル通り、水嫌いのビーバー。

 水が嫌いなので、川に住む親とは折り合いが悪い。しかし、ネズミと仲良くできないので地上では暮らせない。モグラとも上手く話せないので、土の中でも暮らせない。

 

 孤独なビーバーはやがて、絵を描くようになる。

 絵の中で壁を積み、窓を作り、家具を揃える。窓から見える景色も、壁にかける絵も、全部自分で描く。その家には、最後まで誰も訪れない。最後にビーバーは、その家に自分の名前の表札を掲げる。

 

 『水嫌いのビーバー』の著者名は、匿名になっていた。

 

 彼女の動きが、止まった。

 

 一拍置いて、彼女は本棚から視線を外した。こちらを向きかけて、固まって、深呼吸してから向き直った。彼女は自分の靴の先を見ながら、意を決したように、小さく息を吸う。

 

「これ、駄作ですよ」

 

 感情の乗っていない声だった。

 

「文章が粗くて、構成が甘い。主人公の動機にも、共感しにくい」

 

「まあ、それはそうかも」

 

 俺は頷いた。

 

「でも好きなんだよな」

 

「……なんで」

 

 聞き返す声には、わずかにトゲがあった。今思い返せば、アレは戸惑いだったのかもしれない。俺には区別がつかなかった。

 

「なんでだろな〜……」

 

 俺はしばらく考えてから、言った。

 

「どこに居ても疎外感がある主人公が、どうにか自分の居場所を作るために創作する……。って話じゃん、これ。でも、主人公は友だちの絵は描かないんだよな。あくまでもそこは『主人公の居場所』であって、誰かとの交流の場にはならない。……作者は凄く、正直な人なんだなぁと思って」

 

「正直、ですか?」

 

「うん。創作の初期衝動として、一番正直だと思うんだよね。誰かに見てもらいたいとか、評価されたいとかよりも、自分の居場所を作りたくて書いてる。そういう話って、滅多にないから」

 

 彼女は何も言わなかった。

 

 俺は続けた。

 

「こういうテーマって、うまくなればなるほど創りにくくなる⋯ような気もする。だから、これはこれで価値がある、というか……この形でしか存在できない話なんじゃないか、って思うんだよね」

 

 だから何度も読み返しちゃって。

 

 俺はそう結んだ。

 

 しばらくは沈黙があった。

 

 窓の外では運動部の掛け声が響く。遠くからは吹奏楽部の演奏が響いている。

 

「……それ、読ませてもらえますか」

 

「どうぞどうぞ」

 

 俺はアンソロジーを手渡す、窓際とは反対側の、部屋の隅の席に座った。

 

 それからしばらく、俺たちは黙って本を読んだ。

 

 そうこうしているうちに、日が落ちていった。

 

 茜色だった空が、橙から薄紫へと溶けていく。窓ガラスは西からの残光を受けて鈍く光り、部室の中には、ぼんやりとした影が二つ伸びていた。

 

 気づけば、手元の文字が読みにくいほどに薄闇が満ちていた。俺が本を閉じたそのときも、彼女はまだ本を読んでいる。

 

 書面の文字を追う彼女の視線は真剣そのもので、薄闇の中、鋭く光っていた。視線は不意に俺を向く。目が合う。彼女はすぐにハッとして、慌てて手で顔を隠し、前髪を直すフリを始めた。

 

 小さな手が動くたび、大きな瞳が見え隠れする。

 白磁のようなおでこ、通った鼻筋、形のいい唇。

 人形みたいに整っているのに、今は必死に隠そうとしている。

 

 仕草も可愛けりゃ顔も可愛いな、前髪で隠しているのがもったいない。

 

 俺はそう思った。

 

 どちらが言い出すでもなく、俺たちは帰り支度を始めた。

 

 帰り際に、

 

「……いいですか、また来ても」

 

 彼女は、そう言った。

 

「ぜひぜひ。俺、放課後は基本的にここにいるから」

 

 彼女は頷いて、部室を出ていった。

 

 翌日の放課後にも、彼女は部室に来てくれた。

 

 その翌日も。

 その翌々日も。

 

 以来、彼女は毎日この部室に来るようになった。

 

 お互いが名乗ったのは、何日かしてからだった。

 

 文芸部室を使い続けるために、俺たちは部活設立申請をした。本来なら、二人だけの部活が認められることはないが、俺もナツキもアキハ先輩と親交があったので何とかなった。

 

 俺たちは、同性の友人のように仲良くなっていった。

 

 ナツキは、仲が深まればよく喋る奴だった。そして、とにかく遠慮がない。が、一度やらかすとすぐに落ち込む。何かとつけて不器用で、いじらしい奴だった。

 

 ナツキが、小説家であることを話してくれたのは、だいぶ後になってからだった。

 

「まあ、そんな感じだよね」

 

 俺は特に驚かなかった。

 

「それ、冷笑ですか?」

 

 ナツキは少し不満げだった。俺は、「とんでもない」と手を振って否定した。

 

 ナツキが高等部に進級した年の入学式の直前。

 俺はナツキに頼まれて、髪を切ってやったことがある。

 

「先輩、ほんとに散髪なんて出来たんですね……」

 

「母から教わってね。下手だったらゴメン」

 

「いえ、お上手ですよ」

 

 ハサミを入れるたびに、黒髪がはらはらと床に落ちた。毛先を揃えて、前髪を切り整えて、うなじの産毛を軽く()く。鏡の中のナツキは、作業が進むたびに少しずつ、別の誰かになっていくようだった。ボサボサだった頭が、整えられていく。

 

 出来上がったのは、正統派の美少女だった。

 

 鏡に映る自分を、ナツキは正面から見ようとしなかった。かといって目を逸らすでもなく、ただ少し斜めに視線を落として、居心地悪そうに唇を引き結んでいた。自分の顔に慣れていない、というよりは、見られることに慣れていない、というような顔だった。

 

「カユいとこある?」

 

「セクハラですか?」

 

「絶対そんなわけないよ!?」

 

 ナツキは、なんとも照れくさそうだった。彼女が妙なことを言うときは、十中八九、照れ隠しである。

 

「……女性は髪を触られる場合、体を触られるよりも高い親密度を要求することが多いそうですね」

 

「聞いたことあるけど、そういうもんなのかね?」

 

 俺は首を傾げた。

 フユミの前髪を切ってやったことは何度かあるが、そのとき体を触っても許されたとは、とうてい思えない。

 

「今、他の女子のことを思い返していましたね?」

 

 ナツキが鏡越しに俺を睨んだ。普段よりも凄みがある。美人が怒ると怖い、とはよく言ったものだ。

 

「他の女子にも、こういうことしてるんですね。私に触れながら、他の女子を触ったときのことを、思い返してるんですね。こんな貧相なもの触らせてすみませんね」

 

「あたかも胸を触っているかのようなミスリードはよせ!」

 

「セクハラですよ?」

 

 こいつ、無敵か?

 

「先輩の、色魔(しきま)。けだもの」

 

 色魔(しきま)、というのはアキハ先輩にも言われたことがあった。

 

 その後、ナツキの要望に応え、様々なヘアスタイルを試した。ポニーテール、ツインテール、サイドテール、ハーフアップ、とにかくいろいろ。最終的に、ナツキはボブカットを選んだ。

 

 

 

 けだもの、と最後に言われたのは、()()()の事後だったか……などと不埒なことを考えていると。

 

 学園が見えてきた。

 

 俺は足を止めず、正門ではなく裏手の方へ回る。

 

 ナツキが初めてこの部室に来た日のことを、俺はよく覚えていた。

 

 あの子が何者か、俺はあのとき知らなかった。

 ただ、処女作を『駄作だ』と断言したときの表情を、鮮明に覚えている。

 

 寂しげで、どこか清々しい、あの表情。

 

 あの日の距離感と比べると、俺たちは随分と変わってしまった気がする。遠いところまで来て、急に近づいて、離れられなくなってしまった。

 

 それでも、文芸部室の場所は変わっていない。

 

 俺は歩き続けた。

 

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