「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
俺はナツキと2人で寄り添い合って、ゆるやかな時間を過ごす。
文化祭の喧騒は、文芸部室の防音設備に阻まれている。うだるような夏の熱気は、冷房完備のこの部屋には入り込めない。
俺たちは世界に取り残されているかのようだった。
ナツキの穏やかな息遣いが聞こえる。黒髪を手で梳くたび、スミレの花の香りがふんわりと漂う。
俺はというと、窓越しに空を眺めていた。
青く澄み渡る七月の空に、入道雲が立ち上る。ゆっくりゆっくりと形を変えていくその様を、俺は見つめていた。
「ところで」
ナツキは出し抜けに、俺の腕の中で声を上げた。
「今後については、心配しないでください」
「何が?」
「昨日のことです」
ナツキが演劇の上演中、観客の前で俺とキスしたことだ。
「私は目立つつもりはありませんから。また瓶底メガネをかけて髪を乱しておけば、同一人物だと気づく人間はほとんどいないでしょう。そもそも私は授業に出ないので、何とかなるはずです」
ナツキは平然と言ってのけた。
「……それ、本気で言ってる?」
授業には出ておいたほうがいいし、ナツキに身を隠すようなことはしてほしくない。
「本気です。私の素顔を知っている人間は、事実上、先輩を含む四人のみです」
俺とフユミとコハルとアキハ先輩の四人だ。
ナツキはたまにしか授業に出ないので、彼女を知る者は極端に少ない。
「私は元々、目立つのは嫌いなので」
ナツキは有無を言わさぬ口調で断じる。
「正体不明の美少女として、静かに生きていきます」
「自分で言う? 正体不明の美少女って」
「事実の陳述です」
キリッと言ってのけるナツキ。決め顔は凛然としている。顔が良いと得するな、ほんとに……。
「あと」
ナツキは続ける。
「フユミさんとコハルさんのファンクラブの方々についても、問題ないかと」
「マジで?」
「さすがに、観劇中に倒れた人間を袋叩きにはできないでしょう。誰しも、多少は世間体を気にするものです」
「それは……俺の気絶を言い訳にする、ってコト?」
「免罪符と言ってください」
「より悪くないか!?」
「事実を述べているだけです。先輩は倒れました。当面の間、その事実が抑止力になります。稼いだ時間でアレコレ工作しましょう」
「工作って……」
俺はナツキの謀略に
「まるで、アキハ先輩みたいなことを」
「私といるのに他の女の話とは、随分と良い御身分ですね」
アカン墓穴掘った!
ナツキが俺を見上げる。感情の読めない瞳は、それはそれは冷たく、俺は思わず身震いした。
「ところで先輩。この後の予定は決まっているのですか?」
「予定? 別にないけど、なんで?」
「『なんで』って、今日は七曜祭の最終日ですよ?」
言われてみれば、その通りだった。
朝はアキハ先輩とタカさんと過ごし、そのままコハルの家にオジャマして、文芸部室へ訪れ、今に至る。
濃密なスケジュールのせいで時間感覚がおかしくなっていたが、よくよく考えれば、今日は七曜祭の最終日。
とは言え、もろもろが一段落特した今、特に予定はない。
「もしかして、ヒマなんですか?」
ナツキの問いは単刀直入だった。
「ま、そういうことになるね」
俺の答えは、曖昧だった。
「そうですか」
ナツキは机上のリモコンを手に取った。
「──言質を取りましたよ」
ピ、という電子音。
カチッ、という金属音。
文芸部室は、電子的に施錠された。
「お、おい、何を……」
戸惑いを隠せない俺を置き、ナツキは窓へ向かう。カーテンを閉めきる。
夏の真昼の最中にて、文芸部室は闇に隔てられた。
ナツキは振り向く。大きな瞳は薄暗い部屋の中で、猫のそれのように光り輝いていた。
「先輩、スマホの電源を切ってください」
俺が言葉を返す前に
「すぐに済むので」
ナツキは、そう言った。
一体これから、何が始まるのか。
俺の心臓は、ずきずきと高鳴りはじめた。
◆◆◆◆◆◆
同刻、七曜学園の第二会議室。
うだる夏の午後、クーラーの効いた室内で、優雅なティータイム。
──だけでは済まないことくらい、二人とも理解している
「さて、話というのは何でしょうか?」
アキハの優雅な声を聞き、コハルは我に返った。
見惚れていた。
完璧。完全。そういう言葉で人を褒めるのは珍しくない。コハルもよく褒めるし、褒められる。
だが、
濡烏の長髪、黒曜の瞳、白磁の肌。
たおやかで澄んだ声、ほのかなダマスクローズの香り。
一瞬で分かる美しさに、コハルは畏敬の念を禁じ得なかった。
だからこそ、コハルは言ってのける。
「宣戦布告ですよっ!」
アキハはティーカップを手に持ったまま、ぴたりと固まる。絵画みたいな光景だ、とコハルは思った。
「────なるほど」
アキハはコハルの目を見据え、静かに一言つぶやいた。
あからさまに敵意を向けたわけではない。が、そのプレッシャーは凄まじいものだった。コハルは、自分の体がズッシリ重くなったようにすら感じた。周囲が急速に冷え込む。空調によるものとは異なる悪寒。
(世界観が違うよ〜!!)
コハルは胸中で悲鳴を上げるが、今さら引き下がるわけにもいかない。
目をぎゅっとつむり、気を張り直す。
「フユミちゃんに先を越されちゃった以上、アタシも黙ってられません。どうせならと思って、言いに来たんです」
「ふむ……」
アキハは紅茶にティースプーンを差し込み、ゆっくりと掻き混ぜはじめた。琥珀色の液体が渦を巻くのを、アキハは一瞥もしない。ただ、コハルを見つめている。
銀製のティースプーンは、夏日を受けて眩しく輝く。反射光がチカチカとコハルの目に射し込む。しかしコハルは、瞬き一つしない。ただアキハを見返していた。
アキハはコハルを見つめつつ、優雅に紅茶を傾けた。一息ついてから、尋ねる。
「わからない点が、いくつかあります。『フユミさんが先を越した』というのは、どうしてわかったのですか?」
「トーマの雰囲気を見ればわかりますよ、そのくらい」
コハルの即答に、アキハは楽しげな笑みを浮かべる。
「ええ、まあ、そうでしょうね。では、二つ目。なぜ、私たちが競い合う必要があるのですか?」
アキハの声は静かだったが、声色は愉悦を隠しきれずにいた。
「一位以外は二位も最下位も一緒。どんな競争においてもそうです。ここは仲良く譲り合う、でも良いのではないですか?」
「心にもないこと言ってますね。アキハ先輩、二位を勝ち取る気まんまんでしょう」
コハルの断定に、アキハは
「ふふふ」
天真爛漫な笑い声を漏らす。
コハルは改めて実感した。
アキハは、自分でコントロールできない状況を楽しんでいる。なんでもできるからこそ、操れない物事に興味を示している。
あらゆる分野で一位を取り続けてきたからこそ、今のアキハは戸惑っている。
二位に甘んじるしかない自分に戸惑っている。
そして、二位を勝ち取りたい自分に戸惑っている。
その戸惑いを無邪気に愉しんでいるのだから、この人は相当な変人だ。
コハルは心からそう思った。
アキハはと言うと、浮かれたような様子で紅茶を注ぎ直していた。
そして、ちらりとコハルを見やる。
「……最後の質問です。なぜ私に、宣戦布告したのですか? 黙ってやれば済むことをわざわざ対面で伝えるのは、非合理的に思えますが」
コハルは紅茶をソーサーに置き、椅子の背もたれに全体重を預ける。
そして、大げさに肩をすくめてみせた。
「かっこつけたくなったんですよ、トーマみたいに」
「んふっ」
アキハは小鼻から息を漏らす。手で口を覆って、からからと笑った。
コハルは呆気に取られた。
アキハが声を上げて笑うのは初めて見た。というより、木南秋葉がそんなふうに笑うところを、今の今まで想像だにできなかった。
アキハは鈴を転がすような声で、子供のように笑い続けた。
「はあ、失礼。取り乱しましたね」
アキハは目尻の光を拭い、居住まいを正す。
「かわいい宣戦布告をありがとうございます。ですが、私はコハルさんに謝らねばなりません」
「何をですか?」
コハルは問い返しながら、『答えはわかりきっている』と思った。
「私が必ず勝ちますから」
アキハは当然のことのように言った。
「トーマさんには『迎えに来てください』と伝えてありますから。フユミさんの次に結ばれるのは私です。そして、ゆくゆくはフユミさんよりも強い絆を手に入れます」
アキハの様子には、てらいも気負いも見て取れない。一分の陰りもない彼女の眩しさに、コハルは少し目を細めた。
「ゴールデンウィークに、トーマさんがフユミさんの次に選んだのは私です」
アキハは澄まし顔でティーカップを手に取り、ゆったりした手つきで口を付ける。
「なればこそ、今回も私が二位です。そして、やがて私は一位になります。今の私がフユミさんに勝てないのは、懸けた時間の差があるからです。ですが、先の人生は長い。十年も懸ければ、私がフユミさんに負けるはずありません」
「……思ったより長期スパンで考えてるんですね。『夏のうちに圧勝します』とか言いそうなのに」
「私は楽天家ですが、非現実的なことは言いません。数ヶ月でフユミさんを上回るのは不可能でしょう。トーマさんが記憶を全て取り戻した今、難度はさらに上がっています」
ですが、とアキハは言葉を切る。
「勝つと決めた以上は、勝ちます。どんな手段を使っても、どれだけ時間がかかろうと、必ず」
コハルはアキハを見つめつつ、机上のマカロンを手に取る。
「アタシとナツキちゃんは眼中にないですか?」
コハルは釘を刺してみるが、
「いえ。お二方とも可愛いと思っていますよ」
アキハはどこ吹く風と言わんばかりだ。
「ですが、コハルさんもナツキさんも、自分から攻めるのは不得手と見受けられます。花も恥じらう乙女ですから」
自分はそうじゃないみたいな言い方!
コハルはそう思ったが、口には出さずにおいた。
何と返したものか。コハルはしばし考えてから、
「ガールズトーク、しましょうか」
雑談を持ちかけた。
アキハは目を丸くした。こういう表情は子どもっぽいな、とコハルは思う。
「よろこんで。お題は何にしましょうか?」
「じゃあ、好きな人の悪口で」
「ふふ、素敵ですね」
紅茶の匂いに包まれて、二人は話に花を咲かせた。