「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
文芸部室へ続く廊下を歩きながら、俺は頭の中でナツキへの言葉を探していた。
俺の気持ちを伝えたい。伝えなきゃいけない。
どう言えばいい。
ナツキは頭がいい。俺が取り繕った言葉を並べても、絶対すぐに見抜かれる。
下手な言い訳は逆効果だ。
じゃあ正直に言えばいいのか。
正直にって、何を?
好きだ。
その気持ちは本当だ。
でも、四股をかけておいて「好きだ」の一言では済まない。
そして、今後の学園生活をどうするのかも決めていない。観客の前でナツキとキスしてしまったわけで……お互いにどうすべきなのか、全く決めていない。
ナツキはきっと、悩んでいる。
あいつは不器用だから、悩み出すと寝られなくなる。食えなくなる。視野狭窄でグルグルし続ける。
……俺と、よく似ている。
どうすればいい。
何を言えばいい。
答えの出ないまま、足だけは止まらなかった。
旧校舎の廊下は静かだった。
文化祭の賑わいは遠く、窓から差し込む西日が、古びた床板をオレンジ色に染めている。
文芸部室の扉の前に立つ。
ノック。
返事はないが、気配がある。
中から音がして、扉が開いた。
ナツキがいた。
四人がけのテーブルの端、いつもの席。
テーブルの上には1.5Lコーラと、開封済みのピザの箱。でかい。Lサイズだ。一人で食うサイズじゃない。両手にピザを一切れずつ持っている。
目が合った。
「ナツキ、俺は──」
ナツキは無言だった。
俺のことをまっすぐ見ながら、口をもぐもぐしている。リスみたいになってる。ってかこいつピザ食いながら両手にピザ持ってたのか? ワンパクにも限度あるだろ。
俺が呆然と眺めているうちに、ナツキはピザを飲み込み、右手に持っていた一切れを口へ運ぶ。咀嚼、嚥下。
そして、左手の一切れに口をつけつつ、右手で隣席をポンポン叩いた。
……やはりまだ言葉に迷って、俺に何も言えないのか。感情の整理がついていないのか。それとも、俺への怒りを言葉にできないのか──
いや違う。
こいつ、口いっぱいにピザ頬張ってるから喋れないだけだ。
「……おじゃまします」
俺はナツキの隣に座った。
ナツキはごくん、と豪快に飲み込んでから、ピザの箱をこちらへ向けた。
「一緒に食べましょう」
「……⋯⋯いただきます」
俺はピザを一切れ手に取った。
チーズと、トマトと、バジルの匂いがする。冷めているが、悪くない。むしろうまい。そう言えば、朝食を食べたきり何も口に入れてなかった。
「うまいなぁ、これ」
「でしょう。奮発しました」
ナツキは「ふふん」と鼻で笑って誇ってみせた。
「一人で食べるには多くないか?」
「先輩が来ると思ってたので」
「え、マジで?」
「ええ。アキハさんから連絡がありましたし」
あの人、ほんとに全知全能だな……。
俺たちはしばらく黙って食べた。
文芸部室は静かだった。コーラの泡が弾ける音を、聞き取れるくらいに。
ナツキは意外とよく食べる。小柄なくせに、俺とほぼ同じペースで、同じ量のものを平気でたいらげる。覆面作家の実態は、健啖家であった。
以前、一緒にコラボカフェに行ったときも、サンドイッチとケーキをぺろっと完食していた。俺が驚くと、彼女は『往年の大食いヒロインのようでしょう』と笑った。
「ナツキ、よく食うよな」
「何ですか、乙女に対して」
「ごめんって」
「セクハラですよ」
「ピザの話だよ!?」
ナツキは最後の一切れを手に取る。俺が一瞬だけ視線をやると、
「……半分にしますか」
きまり悪そうに言った。なんでここでそんな表情ができるんだコイツは……。
「いや、食べな」
「遠慮しなくていいですよ」
「食べなって」
「では」
ナツキはピザを二つに割り、片方を俺に渡した。受け取らぬわけにもいくまい。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
ナツキは涼しい顔で、自分の取り分をもぐもぐした。
全部食べ終わってから、ナツキはコーラの入ったコップを手に取った。一気に
「けふっ」
「…………」
「…………」
ナツキが顔を背ける。耳が赤い。横髪を整えるふりをして、ナツキは耳を隠した。
今さらゲップで照れるなんて。
「これ可愛いって言ったらセクハラか?」
「セクハラです」
「でも可愛かったと思う」
「無敵ですか?」
はあ、全く。
ナツキはため息をついてから、表情を切り替える。さっきまでのポップな空気がスッと凪いだ。
「覚えてます?」
静かな声だった。
「コハルさんと、三人で文芸部室に泊まったときのこと」
「覚えてるよ」
忘れられるはずない。
脚本制作のための合宿という名目で、かなり破廉恥にギリギリを攻めてしまった。俺が暴発して賢者タイムに至らなかったら、多分、大変なことになっていたはずだ。
その点においてのみ、俺は自分の堪え性の無さに感謝している。
それに、
「ナツキが『名前で呼んでほしい』って言ってくれた日のことだからね。忘れられないよ」
「んなっ──!?」
ナツキは不意打ちを食らったように驚く。小さな手の甲で口元を覆う。透き通る
驚きに見開かれた瞳は、抗議の意で細められる。
「先輩は……いつもそういう風
「うっ」
俺はうめいた。
それを言われると弱い。
ナツキは、恨めしげに言葉を続ける。
「私も、アキハさんも、フユミさんも、コハルさんも。先輩の毒牙にかかったわけです。この
「どれも今日び聞かないけども……」
事実なので抗弁できない。
ナツキは意地悪そうな笑みを浮かべる。その表情すら愛らしいのだから、美少女というのは得である。
「合宿中に、言いましたよね。『できることなら何でもする』、って」
「……ゆ、ゆってない」
「でも頷きましたよね」
「…………はい」
俺は観念した。
ナツキは小さく息を吐いてから、ゆっくりと体を傾ける。
そして俺の胸に、頭を預けた。
すみれの花の香りが、ふわりと鼻をくすぐった。
「ずっと隣に置いてください」
小さな声だった。
俺は何も言えなかった。返す言葉を探しているうちに、ナツキが続けた。
「私は……一番になりたかったんです」
声は静かで、淡々としていた。
「一番になったら、特別な誰かが私を見つけてくれると思ってたんです。ずっとそう思ってた。だから書いて、賞を取って、それでも親は私を見てくれなくて、だから、もっと書いて……」
ナツキは遠くを見るような目つきになる。そして、少し間を置いてから、
「でも、一番って何なんでしょうね」
問いかけるような声で、そう言った。
「競い合って優勝したら一番なんでしょうか。その『一番』って、永続したりはしないのに」
ナツキは顔を上げて、俺を見た。
「先輩って馬鹿だから」
その通りだから反応に困る。
「死んでも私たちのことが好きですよね」
その通りだから大きくうなずく。
「好きだよ。もちろん」
ナツキは少しの間、俺の顔を眺めていた。それから、ふっと微笑んだ。
大人が子どもに見せるような、ひどく落ち着いた微笑だった。
「じゃあ」
ナツキは再び俺の胸に頭を預け、言った。
「私はあなたの隣に居続けます。何があっても居続けます。ずっとずっと、居続けます」
淡々とした声に、揺るぎない確信があった。
「私が最年少ですから、私が誰よりも長生きします。今際の際に二人きりになったら──」
ナツキは無邪気に笑ってみせる。
「私が絶対に、永遠の一番です」
俺は笑った。
俺は笑いながら、ナツキの頭に手を乗せた。
「それ、最強だな」
髪を撫でる。ビロードのような感触。
「でしょう」
ナツキは得意げに、しかしくぐもった声で言った。俺の胸に顔を埋めているから、表情は見えない。
でも、耳の先が少し赤いのは分かった。
俺たちはしばらく、そのままでいた。