「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
トーマがナツキと文芸部室で過ごしていた、その頃。
第二会議室。
コハルはテーブルを、ぽん!と叩いた。
「そしたらトーマが『メイクしてるとこ見たい』って言い出したんですよ!」
マカロンがころりと皿の上で転がる。コハルはそれを摘み取り、口へ放り込んだ。
対するアキハは
「まあ」
ティーカップを傾けながら、品よく眉尻を下げた。
「まるで覗き魔ですね」
「ですよね!? もー信じらんないですよ。だからアタシ、『恥ずかしいから見せられない』って言ったんですよ。そしたらトーマ、なんて言ったと思います?」
「ああ……予想がつきます」
アキハは紅茶を一口飲み下してから、澄んだ声で涼やかに答えた。
「あんなことしたのに、でしょう?」
「そーなんですよ!!」
コハルは勢いよく身を乗り出した。ティーカップが小さく揺れ、琥珀色の水面が波立つ。アキハはそれをちらりと眺めてから、口元をそっと緩めた。
「それとこれとは話が別なの! って言ってやったんですけど、なーんか納得いかないみたいで。トーマってほんと、そーゆーとこなんですよね」
「ええ、ええ」
アキハはしみじみとうなずき、フィナンシェを手に取った。
「思えば私も、散々なかされました」
それは、『泣く』と『鳴く』のどっちなのか。
コハルは疑問に思ったが、聞かないでおいた。
「……なんか、アタシの話はポップなのに、アキハ先輩が話すと
「まあ」
アキハは小首をかしげた。
「年の差のせいでしょうか?」
「ほぼ変わんないじゃないすか」
アキハはふふ、と笑った。コハルもつられて笑った。
窓から差し込む夏の光が、ティーセットの銀縁を白く光らせている。クーラーの効いた室内は涼やかで、外の喧騒がヤケに遠く感じる。
そうこうしていると、アキハの視線がふと壁掛け時計へ向いた。
「あら。コハルさん、そろそろショート動画の撮影の時間では?」
「な、なんでアタシのスケジュール把握してるんですか……?」
「毎日投稿してらっしゃるので」
アキハは微笑んだ。いつも通りにたおやかで、歳不相応に大人びた表情だった。
コハルは一瞬
アキハ先輩、悪い人じゃないし。
窓の外には、真夏の午後の光がまだ眩しく降り注いでいた。
コハルは立ち上がり、ショッキングピンクのカバンを肩にかけた。
そして、扉に向かいかけて──足を止めた。
「──あの」
振り返ったコハルは、珍しく、視線を少し泳がせた。ネイルチップの先端が、スカートの裾をちょこんと摘んでいる。そして、
「……今日は、ありがとうございました。また、お話したいです」
はにかみつつ、そう言った。
アキハは一瞬、きょとんとした。
アキハは、友情に免疫がない。人と対等な関係を築いた経験に欠けている。
だから、自分の胸の奥が何故ふわっと緩んだのか、アキハ自身にもわからなかった。
「……ええ」
アキハは微笑む。いつにも増して晴れやかに、歳不相応に無邪気な表情で。
「どういたしまして。是非お願いします」
◆
帰り支度を終えたアキハは、廊下を行く。
文化祭最終日の午後。
昨日の喧騒が嘘のように、校舎の中は静まり返っていた。出し物の撤収作業をする生徒が、ぽつりぽつりと行き交うだけだ。上履きの擦れる音が、妙によく響く。
窓の外からは、夏の陽差しが惜しみなく降り注いでいた。
アキハは外へ視線を向ける。
木々は中庭にて青々と繁り、日光を受けて鮮やかに揺れている。廊下の床に、細長い影が規則正しく並んでいた。
目を細めたアキハは、
「……ふふ」
思わず笑みをこぼした。
友人との会話が弾むのは、アキハにとって非常に珍しい体験だった。
コハルさんは、やはり楽しい人だ。私があんなに声を出して笑ったのは、いつ以来だろう。
「うふふん」
誰もいない廊下で、アキハは小躍りした。
つま先立ちで軽やかに回る。両腕をふわりと広げ、バレエのポール・ド・ブラのように弧を描く。爪先から指先まで伸びやかに。誰かに見せるわけでもないが、ただ体が勝手に動いた。くるり、くるり。自慢の黒髪ストレートが、遠心力でふわりと広がる。今ならブノワ賞も夢ではない——
「何やってんの?」
聞き慣れた声。
アキハは、アラベスクのポーズのまま固まった。
「失礼」
アキハはポーズを保ったまま言う。
「ご一緒にいかがですか?」
「何言ってんの?」
フユミは取り合わなかった。
アキハはしぶしぶ、両腕を下ろした。乱れた前髪を指先でそっと直し、スカートの裾を軽く整える。いつもの完璧な佇まいへ、数秒で戻る。
そして改めて、フユミを見つめた。
フユミさんはつくづく絵になる。
アキハは、改めてそう思った。
金糸の髪と瑠璃の瞳が、廊下の光を受けて淡く輝いている。上背はアキハより拳一つ分ほど高い。すらりと伸びた手足、起伏に富んだ肢体、非の打ち所がない。
「な、なんですか。まじまじと見て」
「いえ、美しいなと思いまして」
「本当に何なんですか?」
フユミの問いかけをスルーして、アキハは見つめ続ける。
いつものフユミと何か違う。アキハはそう思った。
張り詰めた凛々しさが無い。
なにか大らかな包容力へ変化している。
その理由を、アキハは即座に理解した。
余裕だ。
今のフユミには、正妻の余裕がある。
やはり昨晩、フユミはトーマと──
わかりきったことを再確認しただけなのに、アキハは胸の奥に、焦がれるような熱と痛みを感じた。
思わず視線を逸らすアキハに対し、フユミは落ち着いた声で告げる。
「感謝してるんです」
アキハは目を丸くしてフユミを見た。
放たれた言葉を咀嚼して飲み込むまでに、数秒かかった。
「感謝、って、私にですか?」
「ええ」
フユミは頷いた。金髪は動きに合わせて、さらりと流れる。
「受け身のままだったら、私、一生幸せになれなかったと思います。……トーマのことを想いながら、素直になれないまま、大人になってたんじゃないかって」
アキハは黙った。
フユミの言葉には、トゲがなかった。イヤミもなかった。ただ、本心を言っていた。
だからこそ、アキハからすると困りものだった。
アキハは、お礼を言われることには慣れている。感謝されることにも慣れている。
しかしながら、恋敵から恋の話で感謝されることには、まだ慣れていなかった。
「……買い被りですよ」
アキハは、無表情に続ける。
「私はただ、自分のために動いただけですから」
「それでも」
フユミは揺るがない。まっすぐに差し向けられた碧眼に、アキハの方こそたじろぎそうになる。
「ありがとうございました」
フユミが頭を下げる。
アキハは返す言葉を、少しの間、探した。
「…………どういたしまして」
フユミは一度だけ頷いて、歩き出した。廊下を曲がり、角の向こうへ消えていく。
アキハはその背中が見えなくなるまで、その場に立ちすくんでいた。
ささやかな夏風が、廊下を吹き抜けた。
草いきれの匂いがした。
◇
歩くアキハは考える。
フユミさんはすでに結ばれた。それは揺るぎない事実だ。
コハルさんとナツキさんについては——まだわからない。
わからないが、二人のトーマさんへの気持ちは本物だ。それは疑うべくもない。
では、私は何をすべきか。
当然、
確かにフユミさんは、ゴールデンウィークで一番だった。
昨日トーマさんが記憶を取り戻してからも、再び一番になったのだろう。
でも。
昨日は、フユミさんから求めたのではないか。
トーマさんが自発的に求めたわけじゃない。
恐らく、まだ誰もトーマさんから愛を
フユミさんも、コハルさんも、ナツキさんも。
であれば、ここは待つべきだ。
私はトーマさんに「迎えに来てください」と言った。トーマさんは「忘れない」と言った。「忘れても思い出す」、とも言った。
だから、トーマさんは迎えに来る。
必ず迎えに来る。
アキハは確信していた。計算ではない。子どもが親を信じるような全幅の信頼。無邪気な確信だった。
アキハは思う。
乞い願うことは、私以外の人のやることだ。この私がやることではない。
待っていればいい。
トーマさんは絶対に来てくれる。
そしたら、
アキハは、そう信じて疑わなかった。