「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。   作:会澤迅一

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第33話 ☆アキハ「どういたしまして」

 トーマがナツキと文芸部室で過ごしていた、その頃。

 

 第二会議室。

 

 火伏(ひぶせ) 琥春(こはる)木南(きなみ) 秋葉(あきは)のガールズトークは、それはそれは弾んでいた。

 

 コハルはテーブルを、ぽん!と叩いた。

 

「そしたらトーマが『メイクしてるとこ見たい』って言い出したんですよ!」

 

 マカロンがころりと皿の上で転がる。コハルはそれを摘み取り、口へ放り込んだ。

 

 対するアキハは

 

「まあ」

 

 ティーカップを傾けながら、品よく眉尻を下げた。

 

「まるで覗き魔ですね」

 

「ですよね!? もー信じらんないですよ。だからアタシ、『恥ずかしいから見せられない』って言ったんですよ。そしたらトーマ、なんて言ったと思います?」

 

「ああ……予想がつきます」

 

 アキハは紅茶を一口飲み下してから、澄んだ声で涼やかに答えた。

 

「あんなことしたのに、でしょう?」

 

「そーなんですよ!!」

 

 コハルは勢いよく身を乗り出した。ティーカップが小さく揺れ、琥珀色の水面が波立つ。アキハはそれをちらりと眺めてから、口元をそっと緩めた。

 

「それとこれとは話が別なの! って言ってやったんですけど、なーんか納得いかないみたいで。トーマってほんと、そーゆーとこなんですよね」

 

「ええ、ええ」

 

 アキハはしみじみとうなずき、フィナンシェを手に取った。

 

「思えば私も、散々なかされました」

 

 それは、『泣く』と『鳴く』のどっちなのか。

 コハルは疑問に思ったが、聞かないでおいた。

 

「……なんか、アタシの話はポップなのに、アキハ先輩が話すと官能小説(カンノー)っぽくなりますね」

 

「まあ」

 

 アキハは小首をかしげた。

 

「年の差のせいでしょうか?」

 

「ほぼ変わんないじゃないすか」

 

 アキハはふふ、と笑った。コハルもつられて笑った。

 

 窓から差し込む夏の光が、ティーセットの銀縁を白く光らせている。クーラーの効いた室内は涼やかで、外の喧騒がヤケに遠く感じる。

 

 そうこうしていると、アキハの視線がふと壁掛け時計へ向いた。

 

「あら。コハルさん、そろそろショート動画の撮影の時間では?」

 

「な、なんでアタシのスケジュール把握してるんですか……?」

 

「毎日投稿してらっしゃるので」

 

 アキハは微笑んだ。いつも通りにたおやかで、歳不相応に大人びた表情だった。

 

 コハルは一瞬(いぶか)しがったが、まあいいか、と思い直した。 

 

 アキハ先輩、悪い人じゃないし。

 

 窓の外には、真夏の午後の光がまだ眩しく降り注いでいた。

 

 コハルは立ち上がり、ショッキングピンクのカバンを肩にかけた。

 

 そして、扉に向かいかけて──足を止めた。

 

「──あの」

 

 振り返ったコハルは、珍しく、視線を少し泳がせた。ネイルチップの先端が、スカートの裾をちょこんと摘んでいる。そして、

 

「……今日は、ありがとうございました。また、お話したいです」

 

 はにかみつつ、そう言った。

 

 アキハは一瞬、きょとんとした。

 

 アキハは、友情に免疫がない。人と対等な関係を築いた経験に欠けている。

 

 だから、自分の胸の奥が何故ふわっと緩んだのか、アキハ自身にもわからなかった。

 

「……ええ」

 

 アキハは微笑む。いつにも増して晴れやかに、歳不相応に無邪気な表情で。

 

「どういたしまして。是非お願いします」

 

 

 

 

 帰り支度を終えたアキハは、廊下を行く。

 

 文化祭最終日の午後。

 昨日の喧騒が嘘のように、校舎の中は静まり返っていた。出し物の撤収作業をする生徒が、ぽつりぽつりと行き交うだけだ。上履きの擦れる音が、妙によく響く。

 

 窓の外からは、夏の陽差しが惜しみなく降り注いでいた。

 

 アキハは外へ視線を向ける。

 木々は中庭にて青々と繁り、日光を受けて鮮やかに揺れている。廊下の床に、細長い影が規則正しく並んでいた。

 

 目を細めたアキハは、

 

「……ふふ」

 

 思わず笑みをこぼした。

 

 友人との会話が弾むのは、アキハにとって非常に珍しい体験だった。

 

 コハルさんは、やはり楽しい人だ。私があんなに声を出して笑ったのは、いつ以来だろう。

 

「うふふん」

 

 誰もいない廊下で、アキハは小躍りした。

 

 つま先立ちで軽やかに回る。両腕をふわりと広げ、バレエのポール・ド・ブラのように弧を描く。爪先から指先まで伸びやかに。誰かに見せるわけでもないが、ただ体が勝手に動いた。くるり、くるり。自慢の黒髪ストレートが、遠心力でふわりと広がる。今ならブノワ賞も夢ではない——

 

「何やってんの?」

 

 聞き慣れた声。

 月澄(つきずみ)・フユミ・エインズワースが、廊下の向こうに立っていた。

 

 アキハは、アラベスクのポーズのまま固まった。

 

「失礼」

 

 アキハはポーズを保ったまま言う。

 

「ご一緒にいかがですか?」

 

「何言ってんの?」

 

 フユミは取り合わなかった。

 

 アキハはしぶしぶ、両腕を下ろした。乱れた前髪を指先でそっと直し、スカートの裾を軽く整える。いつもの完璧な佇まいへ、数秒で戻る。

 

 そして改めて、フユミを見つめた。

 

 フユミさんはつくづく絵になる。

 

 アキハは、改めてそう思った。

 

 金糸の髪と瑠璃の瞳が、廊下の光を受けて淡く輝いている。上背はアキハより拳一つ分ほど高い。すらりと伸びた手足、起伏に富んだ肢体、非の打ち所がない。

 

「な、なんですか。まじまじと見て」

 

「いえ、美しいなと思いまして」

 

「本当に何なんですか?」

 

 フユミの問いかけをスルーして、アキハは見つめ続ける。

 

 いつものフユミと何か違う。アキハはそう思った。

 

 張り詰めた凛々しさが無い。

 なにか大らかな包容力へ変化している。

 

 その理由を、アキハは即座に理解した。

 

 余裕だ。

 今のフユミには、正妻の余裕がある。

 

 やはり昨晩、フユミはトーマと──

 

 わかりきったことを再確認しただけなのに、アキハは胸の奥に、焦がれるような熱と痛みを感じた。

 

 思わず視線を逸らすアキハに対し、フユミは落ち着いた声で告げる。

 

「感謝してるんです」

 

 アキハは目を丸くしてフユミを見た。

 放たれた言葉を咀嚼して飲み込むまでに、数秒かかった。

 

「感謝、って、私にですか?」

 

「ええ」

 

 フユミは頷いた。金髪は動きに合わせて、さらりと流れる。

 

「受け身のままだったら、私、一生幸せになれなかったと思います。……トーマのことを想いながら、素直になれないまま、大人になってたんじゃないかって」

 

 アキハは黙った。

 

 フユミの言葉には、トゲがなかった。イヤミもなかった。ただ、本心を言っていた。

 

 だからこそ、アキハからすると困りものだった。

 

 アキハは、お礼を言われることには慣れている。感謝されることにも慣れている。

 しかしながら、恋敵から恋の話で感謝されることには、まだ慣れていなかった。

 

「……買い被りですよ」

 

 アキハは、無表情に続ける。

 

「私はただ、自分のために動いただけですから」

 

「それでも」

 

 フユミは揺るがない。まっすぐに差し向けられた碧眼に、アキハの方こそたじろぎそうになる。

 

「ありがとうございました」

 

 フユミが頭を下げる。

 

 アキハは返す言葉を、少しの間、探した。

 

「…………どういたしまして」

 

 フユミは一度だけ頷いて、歩き出した。廊下を曲がり、角の向こうへ消えていく。

 

 アキハはその背中が見えなくなるまで、その場に立ちすくんでいた。

 

 ささやかな夏風が、廊下を吹き抜けた。

 

 草いきれの匂いがした。

 

 

 

 

 歩くアキハは考える。

 

 フユミさんはすでに結ばれた。それは揺るぎない事実だ。

 

 コハルさんとナツキさんについては——まだわからない。

 わからないが、二人のトーマさんへの気持ちは本物だ。それは疑うべくもない。

 

 では、私は何をすべきか。

 

 当然、()()になる。

 

 確かにフユミさんは、ゴールデンウィークで一番だった。

 昨日トーマさんが記憶を取り戻してからも、再び一番になったのだろう。

 

 でも。

 昨日は、フユミさんから求めたのではないか。

 

 トーマさんが自発的に求めたわけじゃない。

 

 恐らく、まだ誰もトーマさんから愛を()われていない。

 

 フユミさんも、コハルさんも、ナツキさんも。

 

 であれば、ここは待つべきだ。

 

 私はトーマさんに「迎えに来てください」と言った。トーマさんは「忘れない」と言った。「忘れても思い出す」、とも言った。

 

 だから、トーマさんは迎えに来る。

 

 必ず迎えに来る。

 

 アキハは確信していた。計算ではない。子どもが親を信じるような全幅の信頼。無邪気な確信だった。

 

 アキハは思う。

 乞い願うことは、私以外の人のやることだ。この私がやることではない。

 

 待っていればいい。

 トーマさんは絶対に来てくれる。

 

 そしたら、()()は私のものだ。

 

 アキハは、そう信じて疑わなかった。

 

 

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