「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。   作:会澤迅一

127 / 131
第40話 アキハ「ウミガメのスープ」

 前回までのあらすじ!

 

 アキハ先輩に誘われて海へ来た。

 空と海の鮮やかな青は、目が痛くなるほどである。

 

 潮風が吹き抜ける。アキハ先輩は髪を抑えて、よく通る声で俺に問うた。

 

「ウミガメのスープの話、覚えていますか?」

 

 俺は少し考えてから頷く。

 

「覚えてますよ。去年ここへ来たときの話ですよね」

 

 

 去年の夏休みの夜だった。

 

 そのとき金曜ロードショーで『もののけ姫』を観ていたので、夜の九時を過ぎていたはずだ。

 

 アキハ先輩からLINEが来た。

 

『今すぐ来られますか?』

 

 理由も説明もない、一行だけのメッセージだった。

 

 普通なら考えものだが、相手は、あの木南(きなみ)秋葉(あきは)だ。何かあったのかもしれない、と思った。それに、断る理由も無かった。

 

 俺が着替え終わる頃に、タカさんが車で迎えに来た。そうして連れてこられたのが、このプライベートビーチだった。

 

 夜の海には、昼間とは全く異なる(おもむき)があった。月と星の光が淡く、おぼろげな乳白色で波間を照らし出している。夢の中みたいに幻想的な風景だった。

 

 アキハ先輩は砂浜に立って、海を眺めていた。俺が歩み寄ると、横目で俺を見て、わずかに目を細めた。

 

「来てくれましたね」

 

「何かあったんですか?」

 

 アキハ先輩は人差し指を口の前で立て、「しー」と細く息を吐いた。そうして、砂浜を見るよう促す。

 

 俺は目を凝らした。

 

 暗がりの中、砂浜の上に、何かの影が動いてた。

 

 ウミガメだった。

 ゆっくりと、身重そうに、砂の上を這っていた。前足で砂をかき分け、後ろ足で穴を掘り、そこへ卵を産み落としていく。

 

 静かだった。

 波音だけが、かすかに響いていた。

 

「これを」

 

 アキハ先輩は囁き声とともに、俺に双眼鏡を差し出した。レンズ越しにウミガメを見る。

 

 ウミガメは、涙を流していた。

 

「泣いてますね……」

 

 思わず俺は呟いた。

 

「生理現象だそうです。塩分の排出と、眼球の保護のための。でも──」

 

 アキハ先輩は静かに続ける。

 

「でも、泣くんですよね。泣いているんです」

 

 アキハ先輩は瞳をこちらに向けず、ただウミガメを見ていた。が、焦点をそこへ合わせているようには見えなかった。

 

「ウミガメは、卵を砂に埋めたら、また海へ帰っていきます。卵が孵化するのは約二ヶ月後。そして、子ガメのほとんどは成体になる前に死にます。親子が触れ合うことはありません」

 

 アキハ先輩の瞳は、水平線より遠くを見ていた。

 ここではないどこか──今ではない、いつかのことを考えているようだった。

 

「そんなウミガメが産卵のときに涙を流すのは、なんだかドラマチックですね。生理現象に過ぎないのに、感情移入してしまうものでしょう」

 

「してしまうものでしょう、って、アキハ先輩はそうじゃないんですか?」

 

 言ってから、俺は『不躾(ぶしつけ)だったかな』と思った。しかし、アキハ先輩は柔らかく微笑んで、

 

「ええ」

 

 と言った。

 

 やがてウミガメは産卵を終え、もと来た海へゆっくりと帰っていった。波が来て、その大きな体を飲み込んで、見えなくなった。

 

 砂浜には、小さな丘のような膨らみだけが残った。

 

 

 

 ウミガメが去った後、俺とアキハ先輩は波打ち際に腰を下ろした。

 

「ウミガメのスープ、という水平思考のゲームがあります」

 

 アキハ先輩が話し始めた。

 

「ある男性が、レストランでウミガメのスープを一口飲んだ。そして自ら命を絶った。なぜか? という問題です」

 

「知ってますよ。答えは、『遭難したときに船長から食わされた肉が、ウミガメではなく人肉だと確信したから』、ですよね」

 

「そうです」

 

 アキハ先輩は膝を抱えた。

 

「私はずっと、その男性の気持ちが理解できません」

 

 平坦な声だった。

 

「記憶で苦しむことに、意味はあるのでしょうか。悲しき過去に囚われる理由など存在するのでしょうか。男は自分の罪を忘れて生きれば良かった。自分の感情を自分で制御できれば、もっと自由に、幸福に生きられたはずです」

 

 自動機械が文章を読み上げるみたいに、淡々とした冷たい声だった。

 

「……それは、そうかもしれませんけど」

 

 俺は少し考えてから、答えた。

 

「捨てたくても、捨てられないと思います、思い出って」

 

「捨てられない、ですか?」

 

「苦い記憶でも……捨てたくないと思ってしまうんですよね、俺は。不自由かもしれませんが、不幸せとは思っていません。……自信はありませんが」

 

 俺はフユミのことを思い出しつつ、そう返した。

 中学に入る直前から疎遠になって、あんまり遊ばなくなった。会うと気まずいし、仲直りできる気もしなかった。それでも俺はフユミのことが好きだったし、フユミに感謝していたし、フユミを忘れたくなかった。

 

 アキハ先輩はしばらく黙っていた。

 

 寄せては返す波の音だけが響いていた。潮の香りが急に立ち込めたように感じたのを覚えている。アキハ先輩の考え込む顔は、月光に淡く照らし出されて、人形みたいに綺麗だった。

 

 人形は不意に俺を見た。

 

「苦い記憶でも、捨てたくないですか。本当に?」

 

 アキハ先輩は、俺の言葉を確かめるように、ゆっくりと問い返した。

 

「はい。捨てたくないです。記憶が俺の全部ですから」

 

 俺の答えに、アキハ先輩は笑った。涼やかな眉の端を下げ、困ったように微笑んだ。

 

「……私は、どうも色々と足りていないようです。過去や記憶や苦しみに、未だ価値を感じられません。思えば私は、泣いたこともありません」

 

「生まれたときくらい、ですかね?」

 

 俺の問いに、アキハ先輩はゆるゆると首を横に振る。

 

「生まれたときも、静かに呼吸を始めたそうです」

 

 俺は思わず黙った。産声を上げずに、すうすうと息をするアキハ先輩を思い浮かべる。嫌に想像できてしまう。アキハ先輩は、それほど超人的だった。

 

「俺、先輩が余裕を無くすところを想像できないです」

 

 俺は正直にそう言った。

 

「ふふ、私も想像できません」

 

 アキハ先輩は笑った。大人が子どもの冗談に笑みをこぼすような、年不相応な笑い方だった。

 

「けれど、興味はありますよ。泣いたり笑ったり、恋をしたり……」

 

「笑うことはあるじゃないですか」

 

「ふふ、そうですね。恋をすることも、あるかもしれませんよ?」

 

 アキハ先輩は顔を寄せ、俺の顔を覗き込む。肩が触れる距離。先輩の黒瞳は月光と海の照り返しを受けて、星空のように煌めく。

 

「か、からかわないでください」

 

 俺は思わず顔を背けた。

 

 アキハ先輩はしばらく、くすくすと笑い続けた。

 

 

 

 

 

 そして、現在。

 俺たちは去年と同様に、波打ち際で肩を並べている。陽射しが強い。暑い。水着を持ってくるべきだった、と思ってしまうほどだ。

 

 ハンカチで汗を拭いつつ横を見ると、アキハ先輩はいつも通りの涼しい顔をしていた。

 

「今になって思うと」

 

 アキハ先輩はサングラス越しに俺を見ながら言う。

 

「あのときの私の台詞は、フラグでしたね」

 

「フラグって、そんなチープな……」

 

 俺のツッコミに、

 

「いつだってチープですよ。ラブストーリーというものは」

 

 アキハ先輩は訳知り顔で答えて、笑った。

 そして、サングラスを外して、俺の肩に頭を預ける。アキハ先輩は、二人きりのときは遠慮なく甘えてくる。

 

「思えばアレは、私の人生において最初で最後で、最大のワガママだったのかもしれません。あなたに恋をして、あなたを失いたくなくて、フユミさんともコハルさんともナツキさんとも仲良くなりたくて……。皆を焚き付けて、皆を巻き込んで、こんな大騒ぎにしてしまいました」

 

 怒ってますか、と。

 アキハ先輩は問うた。

 

 表情は長い髪に隠れて見えない。

 アキハ先輩の声が震えていたように感じたのは、俺の錯覚かもしれない。

 

 俺はつとめて、静かに答えた。

 

「怒ってませんよ。少なくとも、俺は。フユミやコハルやナツキは……まあ……怒ってるかもしれませんね」

 

「うぅ、やっぱりそうですよね」

 

 アキハ先輩の声は、弱々しかった。今度は錯覚じゃない。

 

 アキハ先輩は深呼吸をしてから、静かに語り出した。

 

「……私、トーマさんを好きになってから、すっごく弱くなった気がします」

 

 予想外の言葉に、俺は黙り込んだ。

 

 アキハ先輩は続ける。

 

「あなたを失うのが怖いです。あなたに忘れられるのが怖いです。あなたを誰かに取られるのが怖いです。あなたに嫌われるのが、怖いです」

 

 ささやくような声量に込められた、大きな大きな感情。受け止めるのに時間がかかって、俺は言葉を見つけられない。

 

 アキハ先輩は続ける。

 

「あなたは私だけのものではありません。それはわかっています。私が始めたことですから。

私は、フユミさんも、コハルさんも、ナツキさんも、大好きです。三人とも、素敵な人です。あなたを奪って去るようなことはしないでしょう。それもわかっています。

だから、私が何かを恐れる必要はありません。

……それなのに、不安で不安で仕方がないんです」

 

 アキハ先輩は俺の顔を両手で包む。そして俺と目を合わせた。

 

「私は私がわかりません。私は、私はなんで不安なんでしょう。私は何故あなたが好きなのでしょうか? あなたは何故、私を好きでいてくれるのでしょうか?」

 

 アキハ先輩は俺を見つめる。

 黒い瞳の奥で、いくつもの感情の影が、陽炎(かげろう)のように揺らめいていた。

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。