「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
前回までのあらすじ!
俺の黒歴史上映会が終わった!
しかし、美少女四天王の面々は、たっぷり一時間ほど俺をイジくっていた。
しばらくしてコハルが、
「あ〜〜、楽しかったぁ」
大きく伸びをした。両腕を天井へ向けて思いっきり伸ばし、ソファの上でくにゃくにゃと体をほぐす。プラチナブロンドの巻き毛が、動きに合わせてふわふわ揺れた。
「そろそろ、お風呂入りたいかも〜」
「そうね」
フユミが腰を上げた。
「順番、どうしようかしら」
「アタシは何番目でもいいよ〜」
「同じく」
コハルとナツキがうなずき合った。
アキハ先輩がティーカップを置いて、静かに口を開いた。
「皆さん、大浴場をお使いください。このコテージで最大のお風呂です。三人でご一緒でも十分な広さがありますよ」
「三人で!?」
コハルが目を丸くした。
「せっかくですから」
アキハ先輩はにっこり笑った。
「フユミさんとナツキさんも交えて、御三方でどうぞ。招待した私が一番風呂、というわけにもいきませんから」
アキハ先輩の言い方は穏やかだったが、有無を言わさぬ響きがある。
フユミがナツキとコハルを見て、「じゃあお言葉に甘えましょうか」と言った。
「やった〜! 大浴場!! ありがとーございます、アキハ先輩!」
コハルがタオルを取りに走る。ナツキが立ち上がりながら「先輩、ありがとうございます」と小さく頭を下げた。フユミはアキハ先輩に「ありがとうございます、アキハ先輩」と一礼した。
「どういたしまして」
アキハ先輩は微笑んで、三人を見送った。
廊下に、三人分の足音が遠ざかっていく。
途端にリビングは静かになった。
小さく開けた窓の隙間から、潮風がそっと入ってきた。カーテンの裾が、ふわふわ揺れる。風音はかすかに。波音は寄せては返す。キリギリスの声は、耳を澄ますと聴こえてくる。
夏の夜の音がする。
俺とアキハ先輩だけが、リビングに残っている。アキハ先輩は静かに席を立ち、俺の隣に腰を下ろした。
夏の夜の音のすべてが、遠くなった気がした。
「二人っきりですね」
アキハ先輩がささやく。すすす、と距離を詰める。ソファの上で、肩がほんのり触れるくらいの距離だ。ダマスクローズの香りがした。
「……ふたりっきりですね」
俺は答えた。
アキハ先輩が俺の肩に頭をもたせかけた。さらさらの黒髪が、俺の下顎をわずかにくすぐった。
「……夢みたいです」
アキハ先輩の声は穏やかだった。
「トーマさんが生きていて。フユミさんも、コハルさんも、ナツキさんもいて。みんな仲良しで、トーマさんは私のこと、す、す、好きで……」
語尾はフェードアウトした。
アキハ先輩の耳が、じわじわと薔薇色に染まっていく。頭をもたせかけたまま、わずかに首をすくめる。まるで小動物みたいな仕草だった。
「なんで毎度そこだけ照れるんですか」
「別に照れていませんよ。トーマさんじゃあるまいし」
「照れてるじゃないですか」
「照れてませんっ」
「じゃあ好きって言ってみてください」
「お安い御用です。す、す、す……す……すっ、す……」
アキハ先輩の声が、だんだん小さくなっていく。デクレッシェンドというやつだ。アキハ先輩の耳だけでなく、頬まで赤く染まってきた。うなじのあたりまで、うっすら朱が滲んでいる。俺の肩の上で、黒髪がさらさら揺れた。
俺はそれを横目で見ていた。
見ているだけなのに、なぜか俺まで熱くなってきた。
照れというのは、伝染するものらしい。
「…………」
「…………」
二人して黙った。
壁掛け時計の秒針が、コツコツと時を刻んでいた。
しばらく沈黙が続いてから、
「──トーマさん」
アキハ先輩が口を開いた。
「はい」
「あなたを好きになったこと、後悔していません」
透き通る声は、夜風の中でも良く通った。
「……あなたに手術を強いたことも、後悔していません」
俺は黙って聞いていた。
「私の計画が成功して、今、幸せだと思っています」
アキハ先輩は俺の肩に頭をもたせかけたまま、掃き出し窓の向こうを見ていた。月は丸いが満ちてはいない。夜の海に淡く映り込み、波間でゆらゆら揺れている。
アキハ先輩が、先ほどよりも身を寄せる。心音が伝わってくる。少しだけ、リズムが乱れている気がする。
「トーマさんも、幸せだと思ってくれていますか……?」
アキハ先輩の声は、問うよりも確かめるような響きだった。
「幸せです」
俺は即答した。迷いはなかった。
アキハ先輩の表情が、ゆっくりと解けていった。肩の力が抜けるのが伝わってくる。
アキハ先輩が微笑んだ。
いつもの完璧な微笑でも、妖艶な流し目でもなかった。
ただ、満ち足りていた。
切れ長の涼やかな瞳が、慈しむように細められる。黒曜の瞳は月光を映し、やわらかに潤んでいた。
しばらくしてから、アキハ先輩が言った。
「……ですから、報酬と言うわけではないんですが」
「はい」
「トーマさんに頼み事、というか……今言うようなことかと問われると、少し困るのですが……」
「はい」
「今夜は……おそばに、いてくれますか」
小さな声、浅い呼吸。アキハ先輩は緊張していた。
俺はアキハ先輩の顔を見る。
白磁の肌に、またもや薔薇色が差している。黒曜の瞳は、俺と目を合わせると、不意に逸らされた。
「いますよ」
アキハ先輩は再び俺を見て、また目を逸らした。まだまだ恥ずかしいみたいだ。
「今夜と言わず、いつまでもいますよ」
俺が念を押すと、アキハ先輩は弾かれたような勢いで俺の顔を見上げる。目を閉じる。細く長く息を吸う。止める。細く長く、息を吐く。お手本のような深呼吸だ。
そしてアキハ先輩は目を開き、 両手でガシッと俺の頬を挟んだ。
鼻が触れ合いそうな距離。
俺は驚きの声も上げられない。
ダマスクローズの香りがする。視界はアキハ先輩の美貌に埋められている。小顔……肌きれい……まつ毛なっが……切れ長の目は知的な光を湛えている。すっと通った鼻筋も美しい……
薄薔薇色の唇が、ふるふる震えて、言葉を発する。
「今夜は、おそばに、いてくれますか?」
先程と同じセリフ。
俺はアキハ先輩の意図を、ようやく理解した。
「ああ、はい。
「が、『がんばります』って、もう!」
アキハ先輩は俺の頬から手を離した。そして居住まいを正す。背筋をピンと伸ばし、髪を手で整えている。姿勢も仕草も整っている。が、なんだか落ち着きがない。
かくいう俺もソワソワしている。今夜は、アキハ先輩と……記憶を取り戻してからは、初めてである。
「──ふふ、ふふん」
アキハ先輩が笑い声を漏らした。あどけなく、誇らしげな響きだった。
「今回もフユミさんが一番で、私が二番です。ゴールデンウイークと同じですね。ナツキさんとコハルさんを出し抜くのは悪いですが、まあ、仕方ないですよね。この抜け駆けの埋め合わせは、必ず致しますから」
「え?」
俺が思わず上げた声に、
「もう、また私に恥をかかせる気ですか?」
アキハ先輩が少しだけ眉根を寄せる。恥じらいつつ少しだけしかめた顔もかわいい──じゃ、なくて。
そういやアキハ先輩は、俺が昨日ナツキとコハルに何をしたのか知らないんだった。
今さら順番を気にすることはないだろう、と思っていたが、あながちそうでもないかもしれん。
バレたらマズい。
「え? もしかして私が最後ですか?」
バレた。
察しの良いアキハ先輩を相手に、隠し通せるはずも無かった。
「私が最後ですか?」
アキハ先輩が、幽鬼のように、ゆらりと立ち上がる。
「私が最後なんですね?」
「あ、ええ、ええと、はい、あの……」
しどろもどろの俺を差し置き、アキハ先輩は掃き出し窓を背に立つ。月光が、彫像のように整ったシルエットを浮かび上がらせる。
アキハ先輩は推理する。
「なるほど。昨日、七月四日に、ナツキさんとコハルさんと情を交わしたのですね? 昼にナツキさん、夜にコハルさんと言ったところでしょうか。殺人的スケジュールですね。思えば、確かに、あなたからココナッツの香りがしました。その奥に、ごくごくわずかに、スミレの花の香りも……」
やや伏せられたアキハ先輩の顔は、逆光でうかがえない。
白魚のような手で口元を覆い、思索にふけるシルエット。
「なるほど、私が最後ですか。なるほど、なるほど……」
アキハ先輩の声は、海の底から響くように、深く、重く、低い。
終わった。