「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
ネグリジェ姿のフユミは俺の腕をがっちりホールドしている。
薄手のシルク越しに体温が伝わってくる。
こ、こいつ、ナイトブラすら着けてないぞ……!
「あの、」
「なに?」
「あたってます」
「あててんのよ」
おお、夢にまで見たやりとりがここに……。
なにとは言わんが、やわらかいな……柔軟剤使っただろ?
「ねえ、トーマ」
「はい、
ムーディな雰囲気に耐えきれずチョケてしまう。
しかしフユミは突っ込まない。大人っぽく微笑むのみだ。
強い、強いぞ今夜のフユミ!
大人の女の人みたいだ!
「
上目遣いで、頬を火照らせて言うフユミ。
薄いネグリジェからは柔らかな肌が透けて見え、風呂上がりの甘い香りが俺の理性にヒビを入れる。
アキハ先輩の『我慢してください』という警告と、目の前の現実が、俺の脳内で激しく火花を散らす。
「な、なんのハナシ?」
俺がしらばっくれると、
「なに今さら照れてんのよ……」
フユミは俺の耳元に唇を寄せ、ぽしょぽしょと囁いた。
「お風呂入ってこいって言ったのは、
フユミは、細い指先を俺の太ももに這わせる。
ゾクゾクする。
まずい。これ以上は本当にまずい。アキハ先輩の予言通り、俺はフユミの誘惑に抗えそうにない。
四天王の均衡が崩れる音と、アキハ先輩の冷たい笑顔がフラッシュバックする。
「フユミ……」
俺は必死に言い訳を探す。だが、適切な言葉が出てこない。
「トーマ……」
フユミの顔が近づいてくる。瞳が潤んでいる。
俺の心臓は早鐘を打ち、限界突破寸前だ。
――ガクン。
突然、俺の視界が下落した。
意識が急速に沈んでいく。
「えっ、トーマ……?」
フユミの驚いた声が遠く聞こえる。
そうだ。俺は今日、朝から幼なじみの爆弾発言を受け、ギャルに密着され、文学少女に詰め寄られ、生徒会長に脅迫され、とにもかくにも色々あったのだ。
自業自得だが、精神的にも肉体的にも疲労の限界だ。
色っぽい展開への期待よりも、生存本能としての睡眠欲が勝ってしまったらしい。
俺はフユミの胸に顔を埋めるようにして、深い眠りに落ちていった。
◆◆◆
センチュリーの車内は、深海のような静寂に包まれている。
街灯はアキハの横顔を、規則的に照らし出す。
陶磁器のように白く、滑らかな肌。怜悧な光を湛えた黒瞳。長い
七曜学園の生徒会長にして、世界的な企業グループである『木南ホールディングス』総帥の愛娘。
アキハの美貌も知性も、人間離れしていた。
「……上機嫌どすな、お嬢様」
静寂を破ったのは、運転手の声だった。
ハンドルを握っているのは執事服の老女である。
木南家に代々仕えるボディガード、
「あら。わかる? タカ」
アキハは窓から視線を外し、艶然と微笑んだ。
イントネーションが、普段と少し違う。アキハは京都出身であり、身内の者のみの場では京都弁を使っていた。
「ええ。
「洗面台の一番目立つ場所に置いてきたわ」
アキハはくすっと微笑んだ。
庶民的な日村家には似つかわしくない高級品。
月澄フユミがそれを見つけた時の顔を想像するだけで、アキハの胸には愉悦が広がる。
「月澄さんは賢い人やし。ただの忘れ物やなくて『マーキング』やってことくらい、すぐに気ぃ付かはるやろね」
「お嬢様……ご両親に似て、ええ性格してはりますわ」
「褒め言葉として受け取っとくわ」
アキハは瞑目し、思考の海に深く潜る。
テーマは『五人の幸福な共存』。
普通に考えれば、四股など破綻する。感情のもつれ、社会的制裁、果ては嫉妬による刺し違え。
だが、木南秋葉という規格外の存在が介入すれば話は別だ。
法的な問題は、木南家の政治力で解決できる。
世間体も、各メディアに働きかければでどうとでもなる。
最大の問題は『人の心』。
だからこそアキハが自発的に、積極的に動く必要がある。
「月澄さんの独占欲、
「難儀なことどすなぁ。……しかし、そこまでする必要があるんですか? お嬢様の実力なら、他の三名を排除して、トーマ様を独占するんも容易いでしょうに」
タカがバックミラー越しに鋭い視線を向ける。
木南秋葉は、欲しいものは全て手に入れてきた。分け合うことなど、彼女の美学に反するはずだ。
だが、アキハはタカには目もくれず。気だるげに窓の外を見た。
「それやとあの人が悲しまはるわ。それに……」
彼女はゆったりと足を組み替え、
「どれだけ選択肢があっても、あの人の最愛は結局ウチやもん」
断言した。
それはアキハにとって、自明の事実だった。
明日も明後日も千年後も、太陽は東から昇って西へ沈む。
それと同様の、単純な真理に過ぎない。
絶対的な自信。圧倒的な自己肯定。
それこそが
「ウチが本妻なんは決まっとる。火遊びくらい気にせえへんわ」
「……相変わらずどすなぁ」
タカは呆れたように肩をすくめた。
信号待ちで車が止まる。タカは再び呟いた。
「
アキハは応えない。
「なんで、『彼』なんです? 家柄も、才能も、容姿も……おそれながら、お嬢様の隣に立つには、あまりに凡庸に見えますさかい」
木南秋葉の伴侶となれば、政財界から少なからぬ注目を集める。
なぜ、
計算高いアキハが、なぜそのようなリスクを冒してまで彼に執着するのか。
タカはバックミラー越しにアキハの顔を見る。
先ほどまでの冷徹な『支配者』の顔は、もうなかった。
頬がほんのり朱に染まり、目尻が下がり、口元がほころんでいる。
それは年相応の、恋する少女の顔だった。
「だって」
彼女は自分の顔を両手で包み、あの日、トーマと交わした甘い時間を反芻するように、うっとりと呟いた。
「だって、あの人、カッコいいし、かわいいんやもん」
論理も、計算も、家柄も関係ない。
ただ、その一言が全てだった。
信号が青に変わった。タカはアクセルを踏み込む。
(やれやれやわ……)
アキハに聞こえないように、静かにゆっくりため息をつく。
センチュリーは音もなく加速し、夜闇へと滑り込んでいく。
きっと世界一の頭脳を、たぶん世界一愚かな恋に使う、悪魔のような少女を乗せて。