「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
蝉時雨の最中、
「トーマ、集中力きれてる」
フユミの声が、背後から響いた。
俺はハッと我に返る。机の上には英単語帳と青チャートが広げられている。窓の外からは、夏日が射し込んでいる。
勉強中にボーッとしちゃってたみたいだ。
「ああ、ごめん」
「まだ数学の問題、残ってるわよ」
フユミは机の横に腰掛けて、俺の解答用紙を覗き込んだ。長い金髪が肩から流れ落ち、さらりとページをくすぐる。碧眼は冷静に文字を追う。
細い指が、文章をなぞった。
「ここ、場合分けが甘い。判別式をもう一度使ってから書いてみて」
「……はい」
縮こまる俺に、フユミが笑いかける。
「あと二時間で今日の勉強は終わり。お夕飯にしましょ。その後は、皆で遊びましょうか」
ご褒美の提示までしてくれた。
七月下旬。
夏休みに入って、一週間。
俺たち五人は、木南家の別荘で共同生活をしていた。文化祭の準備中に泊まった、あの別荘だ。森に囲まれている。涼しくて穏やかな場所だが、蝉の声が一日中響いている。
夏休みの俺の一日は、毎日ほぼ同じだった。
朝六時に起床。朝食。七時から正午まで勉強。昼食と休憩。午後一時から午後六時まで勉強。夕食、風呂、団らん。午後十時に勉強の続きを一時間。午後十一時に就寝。
一日のうち、七時間睡眠と六時間の自由時間を除いた、残り十一時間が全部勉強だった。
目指すは、東京大学文科一類。そこから法学部に進学し、予備試験に合格して、司法試験に通る。これが俺の今後数年の予定だった。
まずは、十数ヶ月後の大学受験。東大文一の合格率は全国トップクラスの難関だ。現役合格を狙うには、この夏が勝負だった。
「日本史はアタシが教えちゃうよ〜」
コハルが部屋に入ってきた。麦茶の入ったグラスを二つ、お盆に載せている。
「ありがとう」
「英語の読解問題は毎日やってね。すぐ勘が鈍るから」
フユミは俺の隣に座って、問題集を覗き込んだ。
フユミにコハル、ナツキにアキハ先輩。四天王が勢揃いで俺に勉強を教えてくれる。
特に、フユミとアキハ先輩には助かり通しだ。二人は東大文一の二次試験に必要な全科目を、完璧にカバーしていた。
それはそれは贅沢な環境だった。
何より、かわいい彼女に囲まれて過ごせるのが贅沢だ。それはそれは贅沢だ。
しかも、ご飯まで作ってもらえるなんて……幸せすぎて怖い。
「今日、夕食は何?」
俺が聞くと、フユミは穏やかに微笑む。
「ナツキが作ってるわよ」
「ナツキが?」
俺は思わずオウム返ししてしまった。
驚きを隠せない俺を見て、フユミは少し笑い、うなずく。
「冷やしうどんと、天ぷら」
「へぇ、豪勢だな」
「でしょう。コハルの手伝いもほとんどなし。成長してるわよね、ナツキも」
フユミは我が事のように誇らしげに言った。
一ヶ月前なら、想像もつかない光景だった。
ナツキは、ここ最近でずいぶん料理ができるようになった。最初は卵焼きすら焦がしていたのに、今は天ぷらの衣まで自分で作る。『料理は化学です。レシピを見れば再現できます』と言いながら、スマホを片手に鍋を振っている姿は、なかなか様になっていた。
コハルが、『もう教えることがなくて寂しい』と嬉しそうに笑っていた。
文化祭明けから一学期修了式まで、つまり七月六日から七月二十日までの二週間の学園生活は、幸いにも落ち着いていた。
あれだけ騒ぎになった演劇のキスシーン。フユミとコハルのファンクラブが大混乱に陥った事件。あれが、意外なほどあっさり収束していた。
キスシーンが演出の一種として処理されたこと。直後に俺が倒れたこと。俺が急にガリ勉になったこと。それら全部が合わさって、何やら緩やかに許された。特進の人々は、向学心のある生徒には優しいようだ。
俺のことは『まあ頑張ってるみたいだし放っておこう』という扱いだ。
命拾いしたなぁ、と思う。
「先輩」
ナツキが、キッチンから顔を出した。そのままスタスタと俺へ歩み寄る。
「ん、どした?」
「どうしたもこうしたもありません。今の先輩は根を詰めすぎですよ」
ナツキは俺の顔を覗き込んだ。
「最近、目の下にクマがあります」
「あ、そう?」
「週に一日くらいは、完全休養日を作ってください。脳を休ませないと、せっかく学んだことも定着しませんよ」
まったく先輩は軟弱なんですから。
そういうナツキの瞳は、不安げに揺れていた。
俺を心配してくれているのだ。
ナツキは未だに、文化祭のことを謝る夜がある。『不安で眠れない』と、俺の寝室を訪ねてくる夜もある。
口が悪くて、かわいい
「大丈夫だよ」
俺は、ふっと笑って答えた。
「大人になっても皆と一緒にいるためだと思ったら、ついついはりきっちゃってさ」
ナツキの動きが、一瞬止まった。
ふいっと俺から目を逸らし、横髪をかき上げる。
「…………もう」
「ナツキ?」
「……すぐ、そういうこと言うんですから……」
ナツキの耳の端が、ほんのり赤くなっていた。髪の隙間から覗く耳だけが、白磁の肌とのコントラストで、ヤケに目立っている。
フユミが、俺の横でくすりと笑った。
「ナツキ、ほんと可愛いわね」
「可愛くないです」
「可愛いわよ」
「う……フユミさんも、すぐそういうこと言いますよね」
「ふふ、誰かさんに似たのかしらね?」
フユミが流し目で俺を見る。
「俺そんなキザじゃないよ!」
「ふん、よく言うわ」
フユミは満足げに笑い、麦茶を飲んだ。
「で、では、私は料理中なので、これにて」
ナツキは、ギクシャクした動きで
◆
夕方になって、勉強の区切りをつけた。
リビングに降りると、テーブルの上にはもう夕食が並んでいた。
「これ本当にナツキが作ったの?」
「ええ。まだまだカンが掴めませんが、悪くは、ないんじゃないかな、なんて……」
ナツキはエプロンの端を指でいじりながら、目線を皿のあたりに落とした。変なところで自信のないやつだ。
「いや、超おいしそうだよ。ありがとう」
「……恐縮です」
ナツキは短く答えて、席に着いた。
「じゃ、頂きます」
みんなで頂きますを言って、天ぷらに箸を付ける。
「うまい」
「……味見しましたから。コハルさんと一緒に」
ナツキはちょっと恥ずかしげだが、微笑んでくれた。日に日に素直になっている気がする。
「ナッちゃんは成長が早いんだよな〜」
コハルが頬杖をついて、にこにこと笑った。
「最初はリンゴの皮むきも出来なかったのに、今や一人前じゃん? アタシ、もう教えることないもん」
コハルの声は少しだけ寂しそうに、そして何より誇らしそうに、ナツキを見ていた。
「……コハルさんが、根気強く教えてくださったおかげです」
ナツキが小さな声で言った。
「うぇ、なになにナッちゃん素直〜!」
「時には、素直にならないと失礼ですから」
「はいはい、素直なナッちゃんもかわいい〜」
コハルがナツキの頭をわしゃわしゃ撫でた。ナツキは無表情で、されるがままになっている。
俺は、ふと思った。
「何か、お祝いみたいな豪華さだな」
フユミは、にっこり笑った。
「お祝いよ。今日は。たまには息抜きしましょ」
「え?」
「あんた、ずっと勉強ばっかりだし」
「ああ、うん」
「今夜と明日は、勉強は無し。夏祭りで遊んで、お家でスマブラ大会して、暗くなったら花火でもしましょう」
「え、いいの!?」
「いいのよ」
フユミの碧眼が細められる。慈しむような視線だった。
「フユミ……ありがとう」
「なによ改まっちゃって。こんなの、ただの気まぐれよ。気まぐれ」
「お、模範的なツンデレ出すねぇフユちゃん」
コハルが茶化すと、
「こんなんナンボあってもいいですからね」
ナツキが乗っかった。
「はっ、そんな挑発には乗らないわよ」
小鼻を鳴らすフユミ。しかし、耳の先は赤らんでいる。こういうとき、色白だと損だ。
三人のやりとりを見ていると、俺の頬も思わず緩む。皆との団らんが幸せだ。だからこそ、一つ気になることがある。
アキハ先輩のことだ。
ここ一週間ほど忙しくて、ほとんど会えてない。三人と一緒にいるのに、ふとしたときに寂しく感じる。そんな気持ちになるたびに、フユミとコハルとナツキをないがしろにしているような気がして、申し訳なく感じる。
「アキハ先輩に会いたいのね」
フユミの声でハッと顔を上げる。からかうような視線が俺を見据えていた。
くすくす、とフユミが忍び笑いを漏らす。
「アンタも素直になったわよね。『四人みんながいないと寂しいよー』って、顔に書いてあるわ」
「…………そうだよ」
俺がうなずくと、コハルとナツキも笑った。
「やーっぱトーマってイジり甲斐あるよね〜」
「ですね。最近は何かと格好つけていたので、良い気味です」
「良い気味って、お前なぁ……」
「さっきのお返しですよ」
ナツキはふふんと鼻を鳴らした。小憎らしい表情でも愛くるしくて仕方ないので、美少女というのは得である。
そんな俺たちのやりとりを見て、コハルがぽん、と手を叩いた。
「ごはん食べたら、アキハ先輩に会いに行こ。夏祭りだから、きっとオシャレしてるよ〜」