「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
五月十一日、月曜日の朝。
スマホのアラームで目を覚ますと、フユミから一通のLINEが入っていた。
『おはよう。ごめんね、今日は後輩の子にテスト勉強教える約束してたから、先に行く。朝ごはんは冷蔵庫にあるから温めて食べてね』
まるで妻のようなメッセージに、頬が緩むのを抑えられない。
俺は一人で朝食を済ませ、身支度をして家を出た。
通学路を一人で歩くのが久しぶりに感じる。
隣にフユミがいて、小言を言われたり、他愛のない話をしたりするのが、たった数回で当たり前になっていた。
今、隣が空いているだけで、自分の足取りが妙に頼りない。
……俺、完全に飼い慣らされちゃってるな。
自嘲気味に笑いながら、校門をくぐる。
昇降口で上履きに履き替え、教室へ。
ガラッとドアを開ける。
「あ、トーマ! おっはよー!」
真っ先に飛んできたのは、明るいソプラノボイスだった。
コハルは自分の席──俺の隣の席──で、ネイルの手入れをしていた手を止めて、満面の笑みを向けてきた。
「お、おう。おはよう、コハル」
「なーんか元気なくない? 月曜だから?」
「まあ、そんなとこ」
俺がカバンを置いて席に座ると、コハルは「ん!」と何かを差し出してきた。
パック入りのゼリー飲料だった。
「糖分とクエン酸とプロテイン補給しな! アタシのオススメのやつ」
「いいの? ありがとう」
「いーよー。トーマにはいつもお世話になってるし」
コハルはニシシと笑うと、再びネイルの手入れに戻った。
今日の彼女は、いつものような強引なスキンシップも、意味深な誘惑もしてこない。
ただ隣にいて、楽しそうにしているだけだ。
授業中もそうだった。
俺が教科書を忘れたことに気づくと、何も言わずにスッと机を寄せて見せてくれた。
その横顔は真剣で、ふわりと香るココナッツの甘い匂いが、不思議と心を落ち着かせてくれる。
(……なんだか今日のコハル、すごく気遣い上手だな)
土曜日のフユミの件があったから、てっきり何かからかわれるか、はたまた問い詰められるのかと身構えていた。
だがフタを開けてみれば、彼女は何も聞いてこない。
ただの気のいいクラスメイトのギャルとして俺に接してくれている。
そして昼休み。
コハルは窓際で、初夏の風に吹かれていた。
揺れるプラチナブロンドが、白い首筋をくすぐる。頬杖をついて校庭を眺める面差しは、いつもと違って物憂げだ。
ってか、コハルってめっちゃ美少女だな……。
いつも完璧なメイクをしているが、元の目鼻立ちからして修正の余地がないほど整いきっている。ノー勉で百点満点とれるのにガリ勉しているようなものだ。となると、コハルは何でそんなに頑張ってるんだろう?
なんとなく気になってきた。
不意にコハルがこちらを向いた。
「どしたの? そんなにジーッと見つめて」
猫みたいな瞳が、イタズラっぽく細められた。笑うと途端に親しみやすい雰囲気になるんだから、なんというかズルい気がする。
「別に。日差しが眩しいなってだけ」
「んもぅ、照れちゃってー」
きゃはは、とコハルは甘ったるい声で笑った。
「そいやさ、トーマ。今日の放課後、ちょっと時間ある?」
「え? ああ、きょうは特に用事ないよ」
「そっか。よかった」
彼女は眩しいほどに純粋な笑顔を見せた。
「じゃあさ、ちょっと付き合ってほしいなーって。いい?」
「うん、コハルの頼みなら」
こんなに優しいコハルに頼まれて、断れるはずもないし、断る理由もない。
俺は深く考えずにうなずいた。
「ありがと! やっぱトーマは優しいね!」
コハルは嬉しそうに俺の肩をパンと叩く。そして、ポケットからハニーキャンディーを取り出した。
「ほい、アメちゃんあげる」
「大阪のマダムかよ」
俺は手刀で礼を示し、包み紙を剥ぎ取って飴を口に含んだ。
平和だ。
日曜日の寂しさを埋めてくれるような、温かい時間。
俺は心の中で安堵のため息をついた。
やっぱり、四天王の彼女たちは基本的に『いい子』なのだ。ただ、俺が過剰に警戒しすぎていただけだったんだ。
……なんて。
このときの俺は、完全に油断していた。
『ギャル』という生き物が、どれほど狡猾で、どれほど強大な捕食者なのか、まったく知らなかったのだ。
放課後のチャイムは、まだ鳴らない。
嵐の前の静けさは、甘いハチミツの味がした。