「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
前回のあらすじ。
月曜日の放課後、コハルからマッサージをしてもらったが、やらしいことは何もされなかった。
その後、俺は悶え苦しんだ。
自宅のリビングにてのたうち回り、叫ぶ。
「俺って激キモ性欲モンキーなんじゃないか!?」
美少女四天王に手を出し、誘惑されるたびタジタジで、ちょっと近付くだけでアレコレよからぬ妄想に走る。
俺は淫獣なんじゃないか!?
極めつけは、あの淫夢だ。
四人との『童貞喪失』の記憶。
アレらが脳内でリピート再生されるたび、俺の心拍数は不健康な数値を叩き出した。
明けて五月十二日、火曜日の朝。
いつもなら朝食を作りに来てくれるフユミは、登校時刻になっても現れない。
「……さすがに、土曜日のアレがあったからなぁ」
あんなに熱心に、『キスして』と命令したフユミ。
そして、本当にキスをしてしまった俺。
あれ以来、俺たちは少しギクシャクしている。
俺からLINEを送ろうかとも思ったが、スマホを握る手がひどく重い。
『おはよう』の四文字すら、なんだか重々しく感じられる。
結局、俺は何のメッセージも送れないまま家を出た。
玄関の鍵を閉め、ふうと
そのとき。
「……あ」
門のすぐ外。
街路樹の影に、見覚えのある金髪のツインテールが揺れていた。
フユミだった。
彼女は俺の家の壁を背にして、じっと地面を見つめていた。
俺に気づくと、肩をぴくんと跳ねさせて、青い瞳を泳がせる。
「……お、おはよう、トーマ」
「……あ、ああ。おはよう、フユミ」
ぎこちない、なんてレベルじゃない。
まるで、『はじめて』の直後のカップルみたいだ。
みたいじゃなくて実際そんな感じだったわ……。
ともかく、俺たちは並んで通学路を歩き出した。
普段なら「ネクタイが曲がってるわよ」だの「ちゃんと朝ごはん食べたの?」だの小言が飛んでくるはずなのに、今日のフユミは一言も発さない。
ただ、俺の半歩後ろを少々うつむき加減で歩いている。
……ヤバい。
意識しすぎて死にそうだ。
昨夜の夢と土曜日のキスのせいもあり、フユミの横顔を見るだけで気が気じゃなくなる。
唇や肌から伝う熱の記憶が、俺の脳裏を焦がし続ける。
フユミの方はと言えば、ずーっと耳の先まで赤く染めている。
結局、校門に着くまで会話らしい会話は一つもなかった。
沈黙。
けれど、決して冷たい静寂ではなく、お互いの体温をすぐそばに感じられる、ひりひり熱く甘酸っぱい時間だった。
昇降口で靴を履き替える際、俺はようやく一言だけ絞り出した。
「……また、放課後」
「……ええ。また、放課後」
フユミはそれだけ返すと、特進クラスの校舎へと消えていった。
◇
教室に入り、自分の席に座る。
すぐ隣からは、いつもの明るい声がした。
「おはよ、トーマ。今日も顔色悪いねー。なんか変な夢でも見た?」
コハルだった。
昨日マッサージをしたことなど全く覚えていないかのような、爽やかな笑顔を向けてくる。
スキンシップもない。からかいもない。
ただただ仲が良いだけの、隣の席の女の子。
逆にめっちゃムラムラする(最低)。
もしコハルが「昨日、気持ちよかった?」なんて言ってきたら、俺は全力で否定できた。
だが、こうも普通に接されると、『健全なマッサージで照れてる俺がスケベすぎる』という、一人相撲の恥ずかしさだけが膨れ上がる。
昨日の手のひらの温もりが、まだ背中に残っている気がするのに。
そんな悶々とした状態で始まった、一時間目の数学。
運の悪いことに、俺は教師に指名された。
「では、この問題の答えを──日村。黒板に書いて」
「え゙」
俺は固まった。
頭の中ではフユミのドンタンワンピや、シミズの耳噛みや、コハルのマッサージや、アキハ先輩の潤んだ瞳が入れ代わり立ち代わりフラッシュバックしており……
その結果として、
「日村? どうした?」
「あ、あの、先生。なんだか急に立ちくらみがしまして」
「立ちくらみ? 大丈夫か?」
「ええ、まあ。このまま座って答えてもいいでしょうか?」
「ああ、そのままでいいよ」
クラス中から視線を浴びながら、俺は座ったまま回答した。
隣でコハルが「トーマ、きのう夜ふかししたっしょー?」と、クスクス笑っている。
それはそうなんだが、これは昨日、コハルが俺を中途半端に焦らしたせいで……!
いや、俺が悪いか。
俺がスケベなのが悪い。
自分がスケベなん人のせいにしたらアカンよ?(自戒)
◇
そうこうしているうちに午前中が終わり、昼休みに突入。
俺が机に突っ伏して体力を回復に努めていると、ガラリと引き戸の開く音がした。
「先輩。お迎えに上がりました」
涼やかな声に顔を上げる。
我が文芸部の親愛なる後輩、
きょうは高級感のある丸メガネをかけている。
シミズは俺と目を合わせると、ぷいっと目をそらした。
もともと人と目を合わせるのが苦手な人見知りだったが、今回のはいつもと違う。
今の俺にはわかる。
意識しているのだ。俺と同様に。
日曜日のアプローチを思い出して気が気じゃないのだ。俺と同様に。
シミズはふわふわした足取りで俺の机まで来ると、
「……今日は、コハルさんと一緒に中庭でランチですよね」
絞り出すようにそう言った。
「あ、ああ。そうだったな」
俺が立ち上がると、コハルが「行こ行こ!」と俺とシミズの間に割って入った。
ギャルすげえ。コハルだけ全くの平常運転だ。
◇
三人で中庭のベンチに座り、弁当を広げる。
俺の右隣にはコハル、左隣にはシミズ。
俺は、昨日の夢……あのシミズとの儚くも激しい時間を思い出してしまい、箸を持つ手が震えている。シミズも、俺の隣に座っているだけで呼吸が荒くなっている。
お互いに、日曜日にしっかり冷却したせいで、逆に自意識過剰に陥ってしまっているのだ。
会話が、続かない。
沈黙と、咀嚼音だけが流れる。
「……あの、先輩。脚本、順調に進んでます」
「そ、そうか。よかったよ」
会話終了!
ダメだ、まともに話ができない。
そんな死んだような空気を切り裂いたのは、やはりコハルだった。
「もー、二人とも暗いよー! ナツキちゃん、それ昨日言ってた『ドストエフスキー』の話の続き、聞かせてよ! アタシあれからちょっとググったんだけど、結局あの人、何が言いたかったの?」
「……え。ドストエフスキー、ですか?」
シミズの瞳に、パッと火が灯る。
「……あ、あの。あれは、神がいない世界での人間の自由……あ、いえ、火伏さんにもわかるように言えば、つまり『公式の供給が無い場合オタクはどう生きるか』という難題に挑んだ、究極の……」
「おー! めっちゃわかりやすい! つまり運営がサービス終了を告げたあとの話ってこと?」
「まさしく! さすがコハルさん、優れた読解力です!」
コハルが笑い、シミズが熱く語り出す。
コハルの自然な人懐っこさが、俺とシミズを取り持ってくれた。
「ねー、トーマもそう思うっしょ? 推しがいなくなったら、自分で自分を定義しなきゃいけないんだよ?」
「……あ、ああ」
「まさにそのとおりです。実存は本質に先立つとされているのです」
気付けば、俺たちは三人で笑い合っていた。
昨日のマッサージや、夢の内容や、そんなドロドロした感情が、コハルの屈託のない明るさによって、一旦は脇に追いやられていく。
……救われるな。
俺は、コハルの横顔を見ながら思った。