「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
前回のあらすじ。
フユミに『あーん』してもらうことになった。
「トーマ、もっと寄って。フユちゃんの吐息がレンズにかかるくらいまで。フユちゃんは、一番カワイく盛り付けたクレープを持って……そう、それ! イチゴたっぷりのやつ!」
俺はコハルに背中を押され、フユミのパーソナルスペースへと踏み込む。
近い。
液晶画面を通さなくても、フユミの肌のキメの細かさが見て取れる距離。
フユミの手元にあるクレープからは、生クリームとイチゴの甘〜い香りが漂ってくる。
「……ト、トーマ。これは、あくまで広報活動の一環なんだから。勘違いしないでちょうだい」
フユミはクレープを震える手で差し出し、俺の口元に近づける。
その瞳は潤み、頬はリンゴのように真っ赤だ。そこにあるのは、恋する乙女の顔だった。
「ほら、口、開けなさいよ……バカ」
小さな、消え入りそうな声。
「フユちゃん! 『あーん』って言ってあげて」
フユミは目を見開き、何か言おうとして口をあわあわさせ、やがて意を決したように、はにかみながら笑みを作った。
「あ、あーん……」
俺はカメラを落とさないよう必死に指先に力を込め、震える口を開く。
「あーん……」
イチゴとクリームの甘みが、口の中に広がる。
だが、それ以上に強烈なのは、フユミの指先が、ほんの一瞬、俺の唇に触れたという感触だった。
――ズキン、と。
頭の奥で、何かが疼いた。
突如、俺の脳内に現れた、存在
『トーマ、あーん。……えへへ、美味しい?』
幼い頃の記憶か、あるいは空白の一週間の残滓か。
幸せで、胸が締め付けられるような、甘美な味わい。
「……ど、どうかしら。ちゃんと美味しい?」
フユミが上目遣いで俺を覗き込んでくる。
その瞳には、自分の料理が認められるかという不安以上に、自分自身が受け入れられるかを問うような切実さが宿っていた。
「……ああ。 美味しいよ」
俺が本音を漏らすと、フユミは一瞬、花開くような満面の笑みを見せた。
だが、次の瞬間。
「はい、オーッケー!! フユちゃん、今の顔、最高! これ完全にバズるわ!」
コハルの歓喜の声が、魔法の時間を打ち破った。
「はっ……!?」
フユミは我に返ったように数歩飛び退き、顔を覆った。
「な、ななな、何を撮らせているのよ私は! こんなの、ファンクラブの皆さんに顔向けできないわ!」
「アイドルかよ」
「そうよ!!!」
そうよってこたないだろ。
「消して! 今すぐそのデータを消してトーマ!」
「ええっ!? もったいなくて消せねーよ!!」
「も、『もったいない』!? この……バカっ! 天然ジゴロ! 遊び人! 伊藤誠!!」
「最後のはひどすぎるだろ!!」
しかし、否定はできない。
俺は今、フユミとコハルという学園トップの美少女二人とイチャコラ動画撮影しているのだ。誰かに刺されても無理はないほどの誉れである。
「きゃはは! 仲良いねー」
コハルは手を叩いて大笑いしている。
「ねえ、この『痴話喧嘩パート』もメイキングで使っていい?」
「「ダメ!!」」
俺とフユミの声が、見事にハモった。
「あっはっはっはチョー夫婦漫才じゃんよー!!」
コハルは転げ回る勢いで、涙を流して笑っていた。
◇
「……ふぅ。一時はどうなることかと思ったけど、撮れ高はバッチリだね〜」
嵐のような撮影が終わり、後片付けを済ませた家庭科室にて。
フユミはまだ完全復帰できていないのか、隅っこで黙々とクレープ鉄板を磨き上げている。
磨きすぎた鉄板が鏡のようになっているが、たぶん本人は無意識だ。
コハルはスマホで先ほどの映像をチェックしながら、満足げに鼻歌を歌っている。
「トーマも結構やるじゃん。カメラ使いこなしてるし、何よりフユちゃんの『素』を引き出すのが上手いわー」
「……褒められてる気がしない。寿命がグッと縮んだよ……」
「いいじゃん、若いうちに縮めとこうよ」
「どういう理屈?」
「あ、そーだ。明日の予定なんだけど……」
コハルが画面をスワイプし、スケジュールを表示する。
そこには、俺にとっての新たなダメージ予告が刻まれていた。
「明日は、文芸部。ナツキちゃんの番ね」
「……シミズか」
スラングとジャーゴンを多用する、衒学的で粘着質な後輩。
シミズが相手となると、今日のような分かりやすい甘さでは済まないだろう。もっとこう、精神の深淵にダイレクトアタックを仕掛けてくるような、逃げ場のない空間が容易に想像できる。
「ナツキちゃん、トーマが来るのめちゃくちゃ楽しみにしてたよー? 『先輩の実存をレンズに定着させるためのリチュアル』とか言ってたし」
「リチュアルって何だよ」
「儀式って意味だよ?」
「儀式ってなんだよ。撮影だよな? 生贄とか求められないよな?」
「その場合はトーマを捧げればいいよ」
「よくねえよ!」
「ま、明日も遅刻厳禁だからね。カメラマンさん」
コハルはウインクを残し、軽快な足取りで家庭科室を後にした。
残されたのは、俺と、未だに鉄板を磨き続けているフユミの二人。
夕暮れの教室に、キコキコと布が擦れる音だけが響く。
「……ねえ、トーマ」
不意に、フユミが動きを止めて言った。
「何だ?」
「……今日の動画。火伏さんは『バズる』って言ってたけど……」
彼女は顔を上げず、小さな声で続けた。
「……あれは、世界中の誰かに見せるためのものじゃないわ。……あんたにだけ、伝われば、それでいいの」
それは、優等生としての言葉でも、会計担当としての言葉でもない。
ただ一人の、幼なじみの女の子の本音だった。
……重い。
相変わらず、彼女の愛は、大いなる質量で俺の心にのしかかる。
だが、その重さが、いつだって愛おしく感じられる。
空白の一週間に、俺がフユミのこの想いを利用したのだとしたら。
俺は、フユミにどんな償いをすればいいのだろう。
「……わかってるよ。ありがとな、フユミ」
俺の応答に、フユミはぷいっと視線を逸らす。
そして、バッと立ち上がると、磨き上げた鉄板を俺に突きつけるようにして叫んだ。
「わ、わかってるなら、さっさと帰りなさいよ! 夜道で他の女に鼻の下伸ばしてたら、明日からあんたの弁当、全部パセリだけにするからね!」
「それじゃ弁当じゃなくて盆栽だろ!!」
いつもの調子が戻ってきた。
「毎度作ってもらってばっかじゃ悪いから、フユミの分は俺に作らせてくれよ」
「え? まあ、いいけど、っていうか……」
……ありがと。
最後の最後は、感謝の言葉で締めくくられたのだった。