「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
ガラガラ、と引き戸を開ける。
まだ閑散とした朝の教室は、どこか現実味に欠けている。
俺がゆうべ経験した狂乱とは正反対の、正常な世界だ。
自分の席に鞄を置き、椅子に深く腰を下ろす。
なんとなく手首を鼻に近づけると、コハルが持たせてくれた香水の匂いが、優しく鼻腔を撫ぜた。
ダージリンティーのような清潔感あふれる香り。
ヨシ!
これでフユミとアキハ先輩の鼻はごまかせる。
俺の日常は首の皮一枚で繋がりそうだ。
だが、安堵するのはまだ早い。
この平和は嵐の前の静けさなのだ。
いま俺が置かれている状況を把握する必要がある。
俺が立っているのは薄氷か、はたまた地雷原か。
一歩踏み違えれば、奈落の底まで真っ逆さまに落ちていく。
俺は机に肘をつき、指先でこめかみを押さえる。
静かに瞑目し、ぐちゃぐちゃになった現状を脳内で並べ直した。
まずは空白の一週間について。
正直、自分でも何が何やら分からない。
四月三十日から五月七日の朝までの記憶が、まるまる失われている。
美少女四天王の反応と、おぼろげに浮かび上がる記憶の断片から推測するに、俺はとんでもないプレイボーイとして立ち回っていたらしい。
学園美少女四天王の全員に手を出してしまったのだから。
一、
俺の幼なじみ。家が隣どうし。俺の家の合鍵を持っている。中学に入ってからは疎遠だったが、空白の一週間で一線を越えたらしい。「私で童貞捨てたくせに、覚えてないなんて言わせないから!」と言っていた。以降は朝昼晩と食事を作ってくれる。聖人君子。才色兼備でスポーツ万能、特進クラスの優等生。
俺の署名欄を除く全ての欄を埋めた婚姻届を持っている。俺の母公認。
五月九日の土曜日、俺とキスをした。
二、
同クラの一軍ギャル。俺の隣の席。接点らしい接点は、ほとんど無かったはずだが、空白の一週間で一線を越えたらしい。「私で童貞捨てたくせに、陰キャのまんまじゃん」と笑っていた。お菓子やサプリをくれたり、マッサージをしてくれたり、何かと世話を焼いてくれる。優しい。歌とダンスが得意で、美容とファッションに詳しい。SNSで人気を博するインフルエンサー。
五月十四日の木曜日、文芸部室で俺とキスをした。
三、
後輩。文芸部にはナツキと俺しかいないので、俺からすれば唯一の後輩。毎日、放課後に部室で会い、他愛ない話をしたり、ボドゲや据え置きゲーム機で遊んだりしていた。以前はモサモサと黒髪を伸ばし、前髪と瓶底メガネで顔を隠していたが、今は違う。つやつやショートボブとコンタクトレンズにより、完全に垢抜けた。「私で童貞捨てたくせに、来るのが遅いですよ」とイキっていた。
大人気の覆面作家で、一生暮らせるだけの資産がある。そのため授業にも出ておらず、文芸部室を魔改造して暮らしている。
五月十四日の木曜日、文芸部室で俺とキスをした。
四、
三年生の先輩。生徒会長。大財閥である木南ホールディングス総帥の愛娘。学校一の権力者。眉目秀麗にして文武両道、万能の完璧超人。体育はいつも見学しているらしいが、身体能力も異常に高い。リンゴくらいなら素手で潰せるはずだ。「私で童貞捨てたくせに、ウチに来ないとは何事ですか?」と凄んでいた。
唯一、俺の四股について知っている。
「四天王の仲を取り持ち、公認の四股へ持っていこう」
アキハ先輩は、そう提案してくれた。
頼れる人だが、とにかくイタズラ好きのサディストなので、うかつな対応は禁物である。
この四人に囲まれて綱渡りせねばならない。
「うん、詰んでるな」
俺の頬を、一筋の涙が伝った。
一週間も生き残れただけで奇跡だ。Nice boat.に限りなく近づきながら、ギリギリで神回避している。しかしそれがいつまで続くものか。
この状況を支えているのは、あまりにも危うい情報の非対称性だ。
俺は空白の一週間のことを、ほとんど覚えていない。
だが、それをフユミたちに言えば、「抱くだけ抱いて、翌朝には忘れたクズ」として社会的にも物理的にも抹殺されかねない。どうにかして丸く収める必要がある。
続いて、美少女四天王同士の情報格差。
フユミは……
「自分だけが一線を越えているが、他の子もトーマを狙っている」くらいの認識だろう。
コハルは多分、もう少し深く把握している。
「自分だけが一線を越えているが、他の面子もキスくらいまでは行ってる」と読んでいそうだ。
ナツキは色恋に疎いが、コハルの入れ知恵がある。コハルと同様の認識と見て良いはずだ。
アキハ先輩は全てを知っている。
俺が自分の手ではどうにもできなくなったら、アキハ先輩を頼るしかない。
そして、文化祭。
俺と美少女四天王による文化祭実行委員が結成された。
現在、俺たちは文化祭に向けて学園紹介プロモーションビデオを制作中だ。
……というのは建前で、実態はアキハ先輩によるハーレム計画の下ごしらえだ。
俺が四天王の全員と均等に関わり、抜け駆けを牽制し合うためのものである。
しかし、すでに事はエスカレートしている。
フユミの暴走と誘惑、ナツキとコハルの共闘、お泊りデート……次はアキハ先輩が派手に動く気がする。もうね、恐ろしい予感だけ鋭くなってきてるんですわ。
「……あー、笑えねぇ」
指先で自分のコメカミをトントン叩く。
整理すればするほど、詰みっぷりが浮き彫りになる。
だが、投了はできない。
そのときは俺が死ぬときだ。
決意を固め直したそのとき。
ガラリと引き戸が開いた。
「おっはよー! 今日マジで暑くない? 溶けるんだけどー」
やってきたのは、コハルだった。