「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
「ではトーマさん、玉ねぎのみじん切りをお願いできますか?」
「ハイッ!!!」
広々としたアイランドキッチン。
俺とアキハ先輩は、並んで調理台に向かっていた。
メニューは、高原野菜と厚切りベーコンのクリームシチュー。
冷蔵庫に入っていた食材は、フォアグラやキャビアといった類のものではなく、新鮮な野菜や上質な肉、そして地元の牧場で作られた牛乳やバターだった。
金に糸目をつけないというよりは、本当に美味しいものを知っている人の選び方って感じだ。
俺が包丁を握ると、アキハ先輩は鍋にバターを落とし、点火した。
「火加減、弱火で安定させます。野菜の投入準備は?」
「あと十秒で終わります」
俺はリズミカルに包丁を動かす。
トントントントン、と軽快な音が響く。
「はい、どうぞ」
「完璧なタイミングです」
アキハ先輩は俺からボウルを受け取ると、滑らかな動作で鍋へ投入した。
ジュゥウウ……と、バターの上で野菜が音を立てた。
驚いた。
アキハ先輩の手際は、予想を遥かに超えていた。
無駄がない。
調味料を取る指先、鍋を煽る手首のスナップ、洗い物を片付けるタイミング。すべてが計算され尽くしたかのようにスムーズだ。
凄い。
俺も家事は一通りこなすし、料理も、まあ、フユミほどではないにしても、人並みにできる。
だからこそ分かる。
彼女のスキルは、付け焼き刃ではない。
「意外そうな顔をしていますね」
木べらで鍋を回しながら、アキハ先輩がくすりと笑った。
「え、あ、はい。正直、もっとこう……使用人に任せるタイプかと」
「料理は化学であり、
なるほど、アキハ先輩らしい。
俺たちは言葉を交わさずとも、自然と役割分担ができていた。俺が食材を切り、先輩が火を通す。俺が洗い物をし、先輩が味を調える。
まるで長年連れ添った夫婦のような――いや、それは過言か。
「ふふ、トーマさんとはリズムが合いますね。やりやすいです」
「そ、そうですか? 光栄です」
アキハ先輩の言葉に、少しだけ胸が弾むのを感じながら、俺はふとリビングの方へ視線を向けた。
そこでは、Wi-Fiパスワードのために悪戦苦闘、三人の少女の姿があった。
「この (x^2 - 2x - 4) の部分が共通してるでしょ? ここを A と置くのよ。大文字のA!」
フユミが鬼教官をやっている。
「えぇ〜? A って誰ぇ〜? 急に知らない人連れてこないでよぉ〜」
コハルがシャーペンを右手でもてあそびながら情けない声を上げている。
「大文字のAって、ラカンですか?」
「ラカンってなによ!」
「人です」
「誰よ!」
「他者です」
「そりゃそうでしょうよ!!」
コントみたいになってる。フユミは頭を抱えている。
「ねぇナツキちゃん、分かった?」
「皆目見当もつきません。ですが、コハルさんの計算ミスは指摘できます。ここで符号が逆になっていますよ」
「マジ!? うわホントだ、ナツキちゃんサンキュ〜!」
「礼には及びません。我々は同じ地獄を歩む囚人同士ですから」
ギャルと文学少女。
普段なら交わらないはずの二人が、数学という共通の敵を前に、奇妙な連帯感を見せている。
そして、そんな二人を見捨てずに教えているフユミ。
なんだかんだ言いつつ、フユミは面倒見が良いし、コハルは素直だ。ナツキだって協力している。
……いい子たち、なんだよな
学校では「四天王」なんて崇められたり、恐れられたりしているけれど。
こうして見れば、みんな普通の、等身大の高校生だ。個性は強いし、クセもすごいけど、根っこは真っ直ぐで優しい。
そんな彼女たちと、こうして同じ時間を過ごせているのは、幸せなことだ。
俺がそんな感慨にふけっていると、
「ふふふ」
隣でシチューをかき混ぜていたアキハ先輩が、楽しげに笑った。
「どうしたんですか?」
「いえ。皆さんを見守っているトーマさんの表情が、父親みたいだなと思いまして」
「なっ……!?」
俺は思わず吹き出しそうになった。
「父親って……俺まだ十七ですよ!?」
「ふふふ。皆さんが仲良さそうで、安心したのでしょう。優しいですね、トーマさんは」
アキハ先輩は、悪戯っぽく、けれど慈愛に満ちた瞳で俺を見上げた。
「……ま、四天王とか言われてますけど、みんないい子ですから。もちろん、アキハ先輩も」
俺が照れ隠しに言うと、先輩は「あら、嬉しい」と笑みをこぼした。
「味見、してみますか?」
アキハ先輩が、お玉にすくったシチューを差し出してきた。
ふー、ふー、と息を吹きかけ、湯気を散らす。
「はい、あーん」
「えっ」
俺は固まった。
リビングには三人がいる。見られたら修羅場である。
だが、アキハ先輩の笑顔は『有無は言わせぬ』と物語っている。
俺は覚悟を決め、パクっと一口食べた。
濃厚なミルクのコクと、野菜の甘み。そしてベーコンの旨味が口いっぱいに広がる。
「……美味い」
「ふふ、良かったです。では、そろそろ仕上げてしまいましょうか」
アキハ先輩は満足げに微笑み、鍋を火から下ろした。
リビングからは、「解けたー!!」「やっとWi-Fi繋がったぁぁぁ!!」という歓声が上がっていた。
どうやら、こちらの準備も整ったようだ。