「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
滞りなく数学の授業が終わり、束の間の休み時間がやってきた。
コハルは肩が触れ合うほどに近づいてくる。相変わらずの距離感だ。
「ねーねー、さっきの先生の『夫婦漫才』って絶対狙ってたよね〜ウケるんだけど!」
ふわふわのプラチナブロンドが俺をくすぐる。近いよ〜。
「いや、俺は死ぬほど寿命が縮まりましたよ」
「えー? アタシは結構アリだと思ったよ? トーマ、ツッコミの才能あるし」
そんな軽口を叩き合っているうちに、二時間目のチャイムが鳴った。
現代文の時間だ。
凛然とした女性教師が教科書を開き、夏目漱石を朗々と読み上げ始める。
いくらか落ち着いてきた俺は授業に没入しようとした、そのとき。
――ピコン。
ポケットの中でスマホが震えた。
マナーモードにしているが、机に当たって小さな音が響く。
――ピコピコピコピコピコンッ!!
凄まじい連打だ。
通知のバイブレーションが鳴り止まない。スマホが痙攣している。
「……日村くん」
女教師が眼鏡を指で押し上げつつ、こちらを見る。丸いレンズは反射光で白く輝く。
「今の音は、聞きなかったことにしましょう。ですが、授業中は電源オフが校則です。次は没収ですよ」
「すみません……」
俺は慌てて画面を伏せ、電源を切ろうとする。だが、通知音は止まるどころか、もはや重低音のドラムのように激しさを増していく。
――ヴヴヴヴヴヴヴヴヴッ!!
教室中の視線が俺に集まる。
先生はため息をつき、チョークを置いた。
「……日村くん。廊下に出て、応えてあげなさい」
「えっ、でも授業が……」
「いいんです。これほどまでの鬼電が君のようなボッチに来るなんて、国家存亡の危機か天変地異の予兆でしょうから」
「鬼失礼じゃないですか?」
俺は先生とクラスメイトの心配げな視線を背に廊下へ出た。
震えるスマホを取り出す。画面に表示されていたのは――
『シミズ(着信 48件 / 未読メッセージ 156件)』
「ヒェッ……」
俺は恐る恐る通話ボタンを押した。
『遅いですよ先輩。差延があるとは言え、私と先輩は一心同体。光より速く通じ合うべきでしょう、量子テレポーテーションのようにね』
このオタク女、のっけからフルスロットルである。
「シミズさぁ……今、授業中なんだぞ?」
『授業? ああ、あの畜群を牧場の幸福に慣らすための、取るに足りない営みのことですか。先輩、貴方はまだ気づいていないようですね。ドストエフスキーを引用するまでもなく、愛を知った人間にとって、カント的教育などというものは、塵芥に等しいのです』
「いや、普通に卒業したいんだけど俺」
『私のカネがあればどうとでもなりますよ』
説明しよう。
この
実は弱冠十五歳にして、覆面小説家として文壇を席巻している本物の天才なのだ。
印税とその他諸々だけで一生暮らせる資産を持ち、高校に通っているのは『人間観察という名の暇つぶし』に過ぎないという、チートキャラなのである。
『先輩。私とあんなに深く、魂の深層……いえ、一線を超えた仲になった以上、もはや貴方が労働や学習に従事する意味はありません』
「は?」
『私が、貴方を養います。 先輩はただ、私の隣で、私の書き上げる物語の第一読者……いえ、永遠のミューズとして存在していればいいのです。さあ、今すぐその鳥籠を飛び出し、我らが聖域「文芸部室」へ。昼食は、叙々苑の弁当をデリバリーしてあります』
「叙々苑! ……じゃなくて! 俺はヒモになるつもりはない!」
『部室のドアを電子ロックで封鎖すれば、中で何をしてもバレませんよ。防音加工もしてありますし』
シミズは少し、声をひそめる。
『……
「おまっ……先輩を食欲と性欲で釣るな!!」
『私は何も言ってませ〜ん、先輩が勝手に性欲とか言い出しただけですよ? いやはや淫獣ですねえ。先輩は何でも性に結びつける。フロイトの再来かもしれませんなぁ。ではまた、昼休みに』
ツーツー、と不穏な音を立てて通話が切れた。
養う? 叙々苑? 電子ロック?
俺は冷や汗を拭いながら教室に戻った。
席に着くと、隣からコハルが身を乗り出してきた。
「ねえねえトーマ! 今の誰? 女子? まさか浮気?」
コハルがジト目で迫ってくる。その瞳には、冗談半分、本気半分の独占欲がチラついていた。俺の背筋が凍る。
「いや、部活の後輩だよ。ちょっと……いい性格の奴でね」
「ふーん? アタシよりその子が大事なら、アタシ、泣いちゃうかもだよ〜?」
コハルはいたずらっぽく笑いながら、机の下で俺の靴を軽く小突いた。
……あったけぇ。
教室の空気は、相変わらず陽だまりのように温かい。
だが、俺の背筋は冷たいまま。
昼休みに待ち構える『事件』の予感に、キリキリと胃が痛み始めていた。