「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
冒頭部分の時系列は、第二章 第28話(https://syosetu.org/novel/414572/54.html)です。
────────────────────────
時計の針を、一か月以上前に戻そう。
五月十五日。
トーマ──
四天王が三度目の会合を迎える直前。
第二会議室で、ナツキとアキハ──
正午。
静謐な陽だまりに、紅茶の香りが漂っている。
「……つまり、『先輩が記憶を喪失している』という私の推理は、
椅子に座るナツキは、冷たい視線ともに、アキハに問いを投げかけた。
アキハは優雅にティーカップを傾け、そっと微笑んだ。
「ええ、お見事です。
アキハはカップをソーサーに戻し、まっすぐにナツキを見据えた。
「一ヶ月ほどしたら、真相をお話します。私が知る限りの全てを開示します。代わりにと言っては何ですが、構想中の演劇脚本に、トーマさんの記憶を刺激する要素を盛り込んでください」
「え゛」
「ふふふ、きっと楽しいですよ」
思わぬ無茶振りに、ナツキは慌てて断ろうとする。
「そろそろ、トーマさんと
「えっ、ちょ」
ナツキがわたわたと手を動かす間もなく、ノックの音が無情に響く。
「失礼しまーす」
トーマの声が聞こえて、
「どうぞ」
アキハが涼やかに応じる。
ナツキは慌てて、取りつくろったのだった。
◆◆
かくして、時計の針は元の通りに。
六月二十四日、水曜日の放課後。
梅雨の晴れ間が覗く、蒸し暑い夕暮れどき。
静寂が張り詰める第二会議室。西日がブラインドの隙間から差し込み、室内を茜色に染め上げている。
ナツキとアキハは、再び二人きりで対峙していた。
「あなたの推測通り」
アキハは、いつも通りの涼やかな声で言う。
「トーマさんはゴールデンウィークの記憶を失っています」
ナツキは息を呑んだ。
自身の推理が正しかったことよりも、その事実が意味する事の重大さに、背筋が粟立つ感覚を覚えた。
膝の上に置いた手が、無意識にスカートの生地を握りしめる。指先が白くなるほど力を込めなければ、震え出してしまいそうだった。
「……続きを、お願いします」
乾いた喉から、ようやくそれだけの言葉を絞り出す。
アキハは手元のティーカップに視線を落としたまま、淡々と語り始めた。
「四月中旬、健康診断の再診にて、トーマさんの脳に血管奇形が見つかりました。放置すれば破裂し、命に関わるものでした」
抑揚に欠けた声音のうらに、押し殺した激情が滲んでいた。
「幸い、治療は難しくないものでした。手首や足首からのカテーテル手術による血管内治療。身体への負担は少なく、成功率も高い。……ただし、位置が悪かった」
「記憶野への影響、ですか」
「はい。術中の一時的な血流阻害により、過去の記憶の一部が欠損するリスクがありました。確率は四割。それを聞いたトーマさんは……」
「拒否した、のですね」
ナツキの言葉に、アキハは瞳を伏せた。長い
「ええ。『記憶を失うのは嫌だ』と。『フユミや皆との思い出が消えるくらいなら、爆弾を抱えたまま生きる』と、彼はそう言いました」
──先輩らしい。
ナツキは真っ先にそう思った。
「だから、私が強行しました」
アキハが顔を上げた。
黒曜のような瞳に、どこまでも透き通った、空虚な影を湛えていた。
「法的な手続き、親族への根回し、そしてトーマさん自身への……強引な説得。トーマさんの意思を無視してでも、私は彼の『命』を選びました。恨まれようとも、生きていてくれなければ意味がありませんから」
「……英断だと思います。私でも──」
ナツキは口ごもった。
私でもそうしたでしょう、とは言えなかった。
好きな人の命を助けるために、好きな人の命懸けの決意を裏切れるか?
想像を絶する覚悟に、ナツキは口をつぐむほかなかった。
だが、アキハの話はそこでは終わらない。
「手術は成功しました。今トーマさんに命の危険はありません。ですが、術後の副作用として……一週間ほどの間、彼は『前向性健忘』の状態に陥りました」
「前向性健忘……新しい記憶が定着しない、という症状でしたか?」
「はい。およそ24時間ごとに、記憶がリセットされるのです。眠れば忘れてしまう。その日に起きたことも、誰と会ったかも」
アキハは自嘲気味に笑った。
「皮肉なものです。彼は記憶を守ろうとして手術を拒んだのに。私が強いた手術の結果、一時的に記憶を積み上げられない身体になってしまった」
「その一週間の間に……先輩は、私たち全員と関係を持った」
ナツキの指摘に、アキハは頷いた。
「私が、誘導しました」
「誘導?」
「はじめは、記憶を取り戻そうとしたのです。私は、自らの知識と経験とを総動員して、彼の深層心理の解放を試みました」
アキハは銀製のティースプーンを手に取り、冷めた紅茶をゆっくりと掻き混ぜはじめた。渦を巻く琥珀色の液体を、ただただ無心で見つめている。
「初めて成功したのは四月三十日。トーマさんは病院を抜け出して、真っ先に
銀製のティースプーンは、日差しを反射してきらきら輝く。アキハは目を細める。まばゆい光を慈しむように。見たくないものを
「その次の日の朝、私は彼を見つけ出して、病院へ連れ戻しました。前向性健忘について月澄さんに知られれば、不安がらせてしまう。トーマさんの精神にも過度な負担をかける。脳に悪影響を及ぼすかもしれませんでしたから」