「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
七月一日、火曜日。
完全下校時刻を過ぎている。
体育館のステージ上。
彼女たちは今、最終リハーサルに臨む。
文化祭二日目に上演される劇――【パリスの審判】。
ギリシャ神話の一幕をモチーフにした劇である。
あらすじはこうだ。
ある日、神々の宴会が催された。しかし、不和の女神エリスだけは招かれなかった。腹を立てたエリスは、『最も愛すべき女神へ』と書かれた黄金のリンゴを宴会へ投げ込んだ。
そのリンゴの所有権、つまり『最も愛されるべき女神』の座を巡って、三柱の女神が争う。
結婚の女神ヘラ。
戦略の女神アテネ。
美の女神アフロディーテ。
三柱の女神のうち誰が最も愛されるべきか審判するのは、しがない羊飼いの青年、パリス。
だから、この劇の名は【パリスの審判】なのだ。
なお、今回の劇中にパリスは登場しない。
劇の大半は、女神たちのコミカルな会話劇である。
閑話休題。
観客席には誰もいない。
というより、七曜学園の敷地には今、ごく一部の職員を除き誰も残っていない。
アキハ──
ステージの上では、スポットライトの光塵が、舞い上がる埃をきらきらと照らしている。
「――ストップ」
静寂を裂いたのは、
ナツキは手元の台本を閉じ、ステージ中央に立つフユミを見据える。
「フユミさん。演技の方向性が違います」
ナツキが指摘したのは、結婚の女神・ヘラ役のフユミが愛を謳うシーンだ。
「ヘラは最高位の女神です。愛されることに絶対の自信を持っています。『私を選んで』と懇願するのではなく、『私を選ぶのが当然』という優雅な傲慢さが必要です。すがるように愛を乞うのは、
「ごめん、すぐ直す」
フユミは素直に頭を下げ、
「『私を選ぶのが当然』……ね。わかったわ、ありがとう」
ふわりと微笑み、再びセリフを繰り返す。
「『私は結婚の女神。私こそが、愛の何たるかを知っている。愛とは、共に積み上げた日々と思い出のこと……』」
紡ぎ出された言葉と表情に、ナツキは思わず息を呑んだ。
完璧だった。
一分の隙もなく、正妻としての余裕に満ちた表情。
純粋に澄み渡りながらも、確かな重みのある言葉。
指示したナツキがたじろいでしまうほど、完成された演技だった。
その様子を、アキハはつぶさに観察している。
(……これでいい)
アキハは内心で頷いた。
フユミはトーマの記憶喪失の真相を知り、今も動揺の最中にある。しかしフユミは私情を押し殺し、文化祭の練習に集中している。
フユミは清く正しく、強く気高く、生真面目な優等生だ。
(だからこそ、彼女は抜け駆けできない)
トーマとの距離感が最も近いフユミは、アキハにとって最大のライバルである。
だが、今は警戒する必要は無い。アキハはそう判断した。
一方、ナツキは脚本・監督として、舞台に集中している。
「では、もう一度アタマから。――キュー」
ナツキの合図で、リハーサルが再開される。
アキハが演じるのは、知恵の女神・アテナ。
槍を片手に、肩で風を切り前に出る。
「『私は戦略の女神。私こそが、愛の何たるかを知っている。愛とは相手の心を読み、操って手に入れること』」
朗々とした美声。
槍を優雅に振り回す所作には、薙刀道の嗜みが現れている。
アキハの演技は計算され尽くしている。立ち位置、光の受け方、歩き方、躍動感、制動のキレ、呼吸のリズムまで。自分を最大限に魅せる振る舞いを理解している。舞台鑑賞を趣味の一つとするナツキには、アキハの演技がどれほど洗練されているか理解できた。
続いて、美の女神アフロディーテを演じるコハルが現れる。
「『私は美の女神、私こそが愛の何たるかを知っている! 愛とは魅了し、魅了されること!』」
弾むようなステップで舞台中央へ躍り出で、軽やかにターンして見せる。
スカートの裾が花のように広がる。コハルはバチッとウィンクを飛ばす。
アキハの演技が崇高な芸術品だとすれば、コハルのそれは極上のポップスだ。
無邪気で、キャッチーで、誰の目にも留まる華やかさがある。だが、その愛嬌はセンスによるもののみではない。指先の角度から笑顔の秒数まで、観る者に『愛される』ための最適解を熟知した、アイドルの振る舞いだった。
コハルは思う。
(『好き』だけでいい)
コハルの知る愛は、ナツキやアキハやフユミよりも直感的で本能的だ。
想うこと、想われること。
魅力を認め合えるなら、それ以外の意味付けは必要ない。
ただ、美しくあればいい。
コハルは思う。
(この劇の元ネタ……最後に勝利してリンゴを手にするのは誰だったか、みんな忘れちゃったのかな?)
ヘラでもない。アテナでもない。
最も愛すべき女神としてパリスに選ばれたのは、アフロディーテだ。
(歴史は繰り返す、だよ)
コハルは天真爛漫な笑顔の裏で、勝利を確信していた。
最後に、ナツキが登壇する。
演じる役は、不和の女神エリス。
神々の宴席に『最も愛すべき女神へ』と刻まれた黄金のリンゴを投げ込み、争いを引き起こした張本人である。
本来ならば、この役どころはアキハが適役ではないか?
ナツキ自身もそう思っていた。
だが、これでいい。
この【パリスの審判】を通じてトーマの記憶を取り戻す。その筋書きを仕上げた自分こそ、不和の女神エリスの役にふさわしいだろう。
どの道、この文化祭の後、美少女四天王とトーマの関係は大きく揺れ動く。
そのキッカケとなる劇を作ったのは、他でもないナツキなのだ。
(どんな痛みを伴ってでも、私は真実の愛を求める)
決意を胸に、ナツキは演じる。
「『私は不和の女神。私こそが、愛の何たるかを知っている。愛とは相争って傷つけ合い、激しく求め合うこと』」
セリフはナツキ自身も驚くほど、滑らかに紡ぎ出された。
◆
「――はい、カット! 最高でした」
ナツキは万感の想いを込めて手を叩く。
最終リハーサルは完了。
美少女四天王の四人は顔を見合わせ、白々しくもどこも爽やかな笑顔を交わした。
「お疲れ様でした。本番もこの調子でいきましょう」
「ういーっす」
「ええ、頑張りましょうね」
「おつかれさまです」
誰も、本気の本音は口にしない。
それぞれが異なる思惑を笑顔の裏に隠し持ったまま、彼女たちは帰路へ向かう。
そして、来たる七月二日。
七曜祭が幕を開ける。