「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。   作:会澤迅一

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第9話 ☆四天王せいぞろい、最終リハーサル

 七月一日、火曜日。

 

 完全下校時刻を過ぎている。

 

 体育館のステージ上。

 緞帳(どんちょう)が下ろされ、外界から遮断された薄闇の中、美少女四天王の息遣いだけが響いていた。

 

 彼女たちは今、最終リハーサルに臨む。

 

 文化祭二日目に上演される劇――【パリスの審判】。

 

 ギリシャ神話の一幕をモチーフにした劇である。

 

 あらすじはこうだ。

 ある日、神々の宴会が催された。しかし、不和の女神エリスだけは招かれなかった。腹を立てたエリスは、『最も愛すべき女神へ』と書かれた黄金のリンゴを宴会へ投げ込んだ。

 

 そのリンゴの所有権、つまり『最も愛されるべき女神』の座を巡って、三柱の女神が争う。

 

 結婚の女神ヘラ。

 戦略の女神アテネ。

 美の女神アフロディーテ。

 

 三柱の女神のうち誰が最も愛されるべきか審判するのは、しがない羊飼いの青年、パリス。

 

 だから、この劇の名は【パリスの審判】なのだ。

 

 なお、今回の劇中にパリスは登場しない。

 劇の大半は、女神たちのコミカルな会話劇である。

 

 閑話休題。

 

 観客席には誰もいない。

 というより、七曜学園の敷地には今、ごく一部の職員を除き誰も残っていない。

 

 アキハ──木南(きなみ) 秋葉(あきは)の権力で人払いを済ませてあるのだ。

 

 ステージの上では、スポットライトの光塵が、舞い上がる埃をきらきらと照らしている。

 

「――ストップ」

 

 静寂を裂いたのは、冷水(しみず) 夏希(なつき)の玲瓏たる声だった。

 ナツキは手元の台本を閉じ、ステージ中央に立つフユミを見据える。

 

「フユミさん。演技の方向性が違います」

 

 ナツキが指摘したのは、結婚の女神・ヘラ役のフユミが愛を謳うシーンだ。

 

「ヘラは最高位の女神です。愛されることに絶対の自信を持っています。『私を選んで』と懇願するのではなく、『私を選ぶのが当然』という優雅な傲慢さが必要です。すがるように愛を乞うのは、()()()ありません」

 

「ごめん、すぐ直す」

 

 フユミは素直に頭を下げ、

 

「『私を選ぶのが当然』……ね。わかったわ、ありがとう」

 

 ふわりと微笑み、再びセリフを繰り返す。

 

「『私は結婚の女神。私こそが、愛の何たるかを知っている。愛とは、共に積み上げた日々と思い出のこと……』」

 

 紡ぎ出された言葉と表情に、ナツキは思わず息を呑んだ。

 

 完璧だった。

 一分の隙もなく、正妻としての余裕に満ちた表情。

 純粋に澄み渡りながらも、確かな重みのある言葉。

 

 指示したナツキがたじろいでしまうほど、完成された演技だった。

 

 その様子を、アキハはつぶさに観察している。

 

(……これでいい)

 

 アキハは内心で頷いた。

 フユミはトーマの記憶喪失の真相を知り、今も動揺の最中にある。しかしフユミは私情を押し殺し、文化祭の練習に集中している。

 

 フユミは清く正しく、強く気高く、生真面目な優等生だ。

 

(だからこそ、彼女は抜け駆けできない)

 

 トーマとの距離感が最も近いフユミは、アキハにとって最大のライバルである。

 

 だが、今は警戒する必要は無い。アキハはそう判断した。

 

 一方、ナツキは脚本・監督として、舞台に集中している。

 

「では、もう一度アタマから。――キュー」

 

 ナツキの合図で、リハーサルが再開される。

 

 アキハが演じるのは、知恵の女神・アテナ。

 

 槍を片手に、肩で風を切り前に出る。

 

「『私は戦略の女神。私こそが、愛の何たるかを知っている。愛とは相手の心を読み、操って手に入れること』」

 

 朗々とした美声。

 槍を優雅に振り回す所作には、薙刀道の嗜みが現れている。

 アキハの演技は計算され尽くしている。立ち位置、光の受け方、歩き方、躍動感、制動のキレ、呼吸のリズムまで。自分を最大限に魅せる振る舞いを理解している。舞台鑑賞を趣味の一つとするナツキには、アキハの演技がどれほど洗練されているか理解できた。

 

 続いて、美の女神アフロディーテを演じるコハルが現れる。

 

「『私は美の女神、私こそが愛の何たるかを知っている! 愛とは魅了し、魅了されること!』」

 

 弾むようなステップで舞台中央へ躍り出で、軽やかにターンして見せる。

 スカートの裾が花のように広がる。コハルはバチッとウィンクを飛ばす。

 アキハの演技が崇高な芸術品だとすれば、コハルのそれは極上のポップスだ。

 無邪気で、キャッチーで、誰の目にも留まる華やかさがある。だが、その愛嬌はセンスによるもののみではない。指先の角度から笑顔の秒数まで、観る者に『愛される』ための最適解を熟知した、アイドルの振る舞いだった。

 

 コハルは思う。

 

(『好き』だけでいい)

 

 コハルの知る愛は、ナツキやアキハやフユミよりも直感的で本能的だ。

 

 想うこと、想われること。

 魅力を認め合えるなら、それ以外の意味付けは必要ない。

 

 ただ、美しくあればいい。

 

 コハルは思う。

 

(この劇の元ネタ……最後に勝利してリンゴを手にするのは誰だったか、みんな忘れちゃったのかな?)

 

 ヘラでもない。アテナでもない。

 最も愛すべき女神としてパリスに選ばれたのは、アフロディーテだ。

 

(歴史は繰り返す、だよ)

 

 コハルは天真爛漫な笑顔の裏で、勝利を確信していた。

 

 最後に、ナツキが登壇する。

 

 演じる役は、不和の女神エリス。

 神々の宴席に『最も愛すべき女神へ』と刻まれた黄金のリンゴを投げ込み、争いを引き起こした張本人である。

 

 本来ならば、この役どころはアキハが適役ではないか?

 

 ナツキ自身もそう思っていた。

 

 だが、これでいい。

 この【パリスの審判】を通じてトーマの記憶を取り戻す。その筋書きを仕上げた自分こそ、不和の女神エリスの役にふさわしいだろう。

 どの道、この文化祭の後、美少女四天王とトーマの関係は大きく揺れ動く。

 

 そのキッカケとなる劇を作ったのは、他でもないナツキなのだ。

 

(どんな痛みを伴ってでも、私は真実の愛を求める)

 

 決意を胸に、ナツキは演じる。

 

「『私は不和の女神。私こそが、愛の何たるかを知っている。愛とは相争って傷つけ合い、激しく求め合うこと』」

 

 セリフはナツキ自身も驚くほど、滑らかに紡ぎ出された。

 

 ◆

 

「――はい、カット! 最高でした」

 

 ナツキは万感の想いを込めて手を叩く。

 

 最終リハーサルは完了。

 美少女四天王の四人は顔を見合わせ、白々しくもどこも爽やかな笑顔を交わした。

 

「お疲れ様でした。本番もこの調子でいきましょう」

 

「ういーっす」

 

「ええ、頑張りましょうね」

 

「おつかれさまです」

 

 誰も、本気の本音は口にしない。

 

 それぞれが異なる思惑を笑顔の裏に隠し持ったまま、彼女たちは帰路へ向かう。

 

 そして、来たる七月二日。

 

 七曜祭が幕を開ける。

 

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