「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
ナツキが去ったあとのベンチで、俺はしばらく動けずにいた。
唇に残る感触。
太ももに残る、ナツキの華奢な手のひらの重み。
そして、鼓膜に焼き付いた「いけない子」の囁き。
ナツキ……。
俺が罪悪感と背徳感の板挟みに懊悩することも、ナツキの計画のうちだったのだろうか。
文芸部の後輩、オタク友達、クールな毒舌家。そんな認識がガラガラと崩れ落ち、その瓦礫の下から、とてつもなく業の深い
手を出したのは俺なのに、扱い方がわからない。
……なんて。
「最低だな、俺って」
俺は深く重く、ため息を漏らした。
初夏の木漏れ日が、ヤケに目に沁みる。
――ピンポンパンポン。
チャイムが鳴り響いた。
『本日の七曜祭は、これにて終了となります。生徒の皆さんは、速やかに後片付けを行い、完全下校時刻までに退出してください』
ナツキではない、見ず知らずの女子生徒のアナウンスが響き渡る。
もう、そんな時間か。
結局、アキハ先輩の生徒会室には辿り着けなかった。
魔王城への討ち入りは失敗。いや、その手前の中ボス──ナツキに完封負けしたと言うべきか。
俺はふらつく足取りで立ち上がり、昇降口へと向かった。
◇
昇降口には、西日が差し込んでいた。
下駄箱の影が長く伸び、オレンジ色の光と黒い影のコントラストを作っている。
その光の中に、二つのシルエットが待っていた。
「あ、来た!」
弾むような声。
髪はまだポニーテールのままだが、その表情は縁日の時のアイドルではなく、等身大のクラスメイトのものだ。
「遅いわよ、トーマ」
凛とした、それでいて湿り気を帯びた声。
ヴィクトリアンメイドの衣装を脱ぎ、清楚な制服姿に戻った
腕組みをして壁に寄りかかり、ジッと俺を見据えている。
「ふ、二人とも……待っててくれたのか?」
「まーね。一応、文化祭初日の締めくくりだし?」
コハルがケラケラと笑いながら、俺の左側に並ぶ。
「ま、アンタの世話を焼くのは私の役目だから」
フユミがふぅとため息をつき、俺の右側に並ぶ。
右にフユミ。
左にコハル。
両手に花。あるいは、両サイド断崖。
俺たちは並んで校門を出た。
祭りの後とはよく言ったものだ。
通学路は、祭りのあとに特有の高揚感と寂寥感が入り混じった独特の空気に包まれていた。
並んで歩く俺たちの足音だけが、不規則にリズムを刻む。
「で? ドコ行ってたのトーマ。ウチのクラス出たあと、全然見かけなかったけど」
コハルが、上目遣いで切り込んでくる。
その瞳は笑っているが、奥底は決して笑っていない。狩人の目だ。
「あー……ちょっと、人混みに酔って休憩してたんだよ。体育館裏で」
「ふうん。一人で?」
「……まあ、な」
嘘をついた瞬間、心臓が跳ねた。
ナツキとのことは言えない。あんな濃密な共犯関係を結んだ直後に、この二人と顔を合わせているだけで罪悪感が凄いのに、事実を話せばその場で刺されかねない。
「ふうん……」
コハルは意味深に鼻を鳴らし、
「すんすん」
俺の制服の袖口に鼻を寄せた。
「うぉ!? な、なんだよ」
「……んー、なんか甘い匂いするね。メロンソーダみたいな?」
ギクリとした。
ナツキが飲んでいたメロンソーダ。そして、俺の唇に残るナツキの味。
「そ、そうか? 模擬店の匂いがついたんじゃないか?」
「あはは、そーかもねー! トーマ、冷や汗かいてるし!」
コハルはあえて深掘りせず、バンと俺の背中を叩いた。
その「あえて見逃してやる」という態度が、逆に怖い。こいつ、どこまで勘付いてやがるんだ。
冷や汗を拭っていると、今度は右側から視線を感じた。
フユミだ。
彼女は何も言わない。
ただ、俺の右腕――さっきまでナツキがしがみついていた場所――を、じっと見つめている。
そして、無言のまま、俺の腕に自分の腕を絡ませた。
「おい、フユミ?」
「……人混みで、はぐれるから」
今はもう人混みなんてない。閑散とした住宅街だ。
けれど、フユミの腕は万力のように俺を締め付けている。
柔らかい感触。
ナツキの華奢な頼りなさとは違う。しっかりと詰まった、確かな重み。
逃がさない、という意思表示。
「……トーマ」
フユミが、独り言のように呟く。
「明日は、ずっと一緒だからね」
「え?」
「明日のシフト。トーマの休憩時間、全部把握してるから。私が案内してあげる」
決定事項だった。
拒否権など端から存在しない口調。
「えーっ、ズルいよフユちゃん! アタシだってトーマと回りたいとこあるし!」
コハルが即座に反応し、俺の左腕を掴む。
「トーマはアタシと回るの! ねー、トーマ?
コハルが俺の左耳――キスされた耳たぶ――に息を吹きかける。
「ひゃっ!?」
「あはっ、反応良すぎ」
右のフユミの重力。
左のコハルの引力。
二人の美少女に挟まれ、俺の身体は物理的にも精神的にも引き裂かれそうだ。
ナツキという名の沼に片足を突っ込んだまま、二つの巨大なエネルギーに引っ張られている俺。
夕日が、俺たちの影を長く、長く伸ばしていく。
三つの影は、地面の上で複雑に絡み合い、一つに溶け合っているように見えた。
「……帰ろう、トーマ」
「うん、帰ろっか」
二人の声が重なる。
逃げ場はない。
俺は覚悟を決めたように──あるいは諦めたように──二人の少女に挟まれたまま、茜色の坂道を歩き出した。
文化祭は、まだあと二日残っている。
そしてその先にはきっと、記憶の審判が待ち受けている。
俺の胃は、キリキリと悲鳴を上げていた。