「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
明けて七月三日。
七曜祭2日二目。
今日は朝からビッグイベントがある。
七曜祭、最大の目玉であるステージ演劇の幕が上がる。
体育館は超満員だった。立ち見が出るほどの盛況ぶりだ。
美少女四天王による、【パリスの審判】の上演である。
俺はなぜか、アキハ先輩の権限(という名の強制力)によって、最前列中央の特等席に座らされていた。
左右は空席。逃げ場はない。
俺は晒し者、ってか晒し首?
今から断罪されるのか、これは公開処刑なのか。
そう思いつつ身を縮こめていると、
ブーーーーーッ、
と開演のブザーが鳴り響いた。
照明が落ちる。あたりが闇に包まれる。
スポットライトがステージ中央を照らす。
そこに立っていたのは、ナツキだった。
スレンダーな肢体を古代ギリシャ風の衣装に身を包んでいる。
「――昔々、それはそれは性格の悪い女神がおりました。そう、私です」
淡々とした自虐。観客はややウケ。
「私は争いを司る女神。戦争というより、不穏でギスギスした空気の担当です。当然、嫌われ者ですから、私は孤立しています。配偶神──つまり、旦那もいません。私は『二人組作って』と言われても孤立するタイプです。古代ギリシャの神々にも、そんなボッチがいたのです」
よどみなく自らをコキ下ろす一人語り。
観客の笑い声は、しっかり聞こえるほどになっていた。
「そんなある日、神々の宴会が催されました。もちろん私は呼ばれていません。しっかりハブられました。この手の陰湿さは神話の時代からあったのです。腹が立った私は、宴会場へ黄金の林檎を投げ込みました。……これです」
ナツキは懐から、金色の球体を取り出した。
どう見ても金のスプレーで塗装されたソフトボールだが、照明の加減で妙に神々しく輝いている。
「その林檎には、こう記しました。『最も愛すべき女神へ』――と」
ナツキはボールを高々と掲げ、チラリと俺を見る。
その瞳は笑っていなかった。挑むような試すような目つきだった。
「この林檎を巡って、三人の女神が争いを始めました。さあ、大変です。選ばなければなりません。誰が一番なのかを、決めなければなりません」
ナツキは、華奢な肩を大ゲサにすくめる。
「選ぶのは、羊飼いのパリス。……過去の記憶もなく、ただ状況に流されるだけの、冴えない男です」
――ズキン。
俺のこめかみが痛んだ。
おい、その『記憶もなく』っていう設定、俺が読んだ台本には無かったぞ。もしや当てつけか?
飲み込むしかないけども……。
俺の動揺をよそに、舞台袖からファンファーレが鳴り響く。
「エントリーナンバー1! 神々の女王にして結婚の守護神! ヘラ!」
ナツキが高らかに謳う。
スモークが焚かれ、荘厳な音楽と共にフユミが現れた。
フユミの頭には黄金の
おお、と客席からどよめきが漏れる。
「私は結婚の女神。この林檎は私のものよ」
フユミは傲然と胸を張り、林檎に手を伸ばす。
「あら、どうしてですか?」
ナツキがわざとらしく尋ねる。
「決まっているじゃない。私は最高位の女神。つまり正妻よ。ポッと出の愛人たちとは格が違うの」
フユミは優雅に扇子を開き、口元を隠して笑った。
「愛とは歴史! 共に過ごした時間の長さ、積み上げた信頼、生活の中にこそ愛はあるのよ」
「それにしては喧嘩ばかりしていましたが」
「アイツがだらしないのが悪いのよ!」
ドッ、と会場が沸く。
ギリシャ神話において、結婚の女神ヘラは何かとつけて、夫たるゼウスと痴話喧嘩をしている。今のは、それを踏まえたコミカルな掛け合いだ。
「あなたはいつも怒っているのに、愛の何たるかを知っているというのですか?」
「あったりまえでしょ」
フユミは腕を組んで胸を反らす。ゴキゲンに説教するときの癖だ。
「愛する人とは、いっしょに過ごして怒ったり泣いたり、くっついたり離れたりするもんなのよ」
訳知り顔で言うフユミ。会場の反応は、感心と興味が半分半分だ。
だが。
俺の背筋には、冷たいものが走っていた。
――『いっしょに過ごして、怒ったり泣いたり、くっついたり離れたりするもんなのよ』
脳裏に、ノイズ交じりの映像がフラッシュバックする。
俺の部屋。四月三十日のカレンダー。
『フユミ、俺は、俺は……』
俺の涙声。
それを聞いて、慈しむように笑うフユミ。
『いいのよ、もういいの。いっしょに過ごして、怒ったり泣いたり、くっついたり離れたりするもんなのよ』
「うっ……」
頭が痛い。
フユミは舞台上から、慈愛に満ちた――しかし意志力の籠もった瞳で、俺を見下ろしている。
「パリス。貴方は知っているはずよ。愛とは帰るべき故郷であると」
セリフが、呪文のように俺の海馬を締め付ける。
「エントリーナンバー2! 戦いと知恵の女神! アテナ!」
ナツキが再び高らかにコールし、俺の混乱に追い打ちをかける。
カツーン、と硬質な足音が響く。
現れたのは、銀色の胸当てを身に着け、槍を手にしたアキハ先輩だ。
凛々しい。あまりにも様になりすぎている。
「異議あり。愛とは歴史と生活ではありません。愛とは支配と管理なのです」
アキハ先輩は、槍の切っ先をフユミに向ける。
「だらしない男に必要なのは、甘やかす母性ではありません。完璧な計画です」
アキハ先輩は槍を回し、ピタリと観客席へ──いや俺の方へ向けた。
「愚かなパリス。私を選びなさい。貴方は何も考えなくていい。私に出来ることは全てします。私が全ての敵を排除し、常勝の人生を与えましょう」
客席からは拍手喝采。
女王様キャラとしての素晴らしい演技だ。
だが、違う。それだけじゃない。
アキハ先輩は俺にメッセージを送っている。
――あの夜。
五月一日。
高級ホテルのような一室。
『貴方は何も考えなくていい。私に出来ることは全てします』
『でも、俺は……』
俺の声は震えている。自分が二股した事実を、受け止めきれていないからだ。
『大丈夫ですよ。必ず、みんな幸せにしますから……』
アキハ先輩が俺のあごを撫で上げ、唇を近づける。薔薇の花の香りがする。
「どういうことだ……」
口の中で呟いた一言は、会場のざわめきにかき消される。
俺は手で口元を覆い、前のめりになった。
記憶の断片が、無数の弾丸となって俺の心を蜂の巣にしている。
ナツキは俺に、この劇を通して何かを伝えようとしている。
──否、ナツキだけではない!
四天王が結託しているのだ。俺の記憶を取り戻すために。
「エントリーナンバー3! 美の女神! アフロディーテ!」
ナツキのコールには容赦がない。
軽快な音楽と共に、コハルが飛び出してきた。
「はーい! 堅苦しいのはナシナシ! 愛は理屈じゃなーい!」
踊り子らしき桜色の衣装。高校の文化祭としては少し露出度が高く、観客の男性諸君が少しソワソワし始めた。
コハルは軽快なステップで舞台を跳ね回り、観客に投げキッスを送る。
「歴史? 支配? そんなの退屈じゃん! パリスが欲しいのは、もっとドーパミンが出るような恋の刺激でしょ?」
「古代ギリシャにドーパミンなんて言葉ありませんよ!」
「細かいことは言いっこナシ! どーせ神様だっていなかったんだし!」
メタフィクショナルなやりとりに、会場は再び笑いの渦に巻かれる。
コハルは舞台の縁、俺の目の前まで歩み寄り、しゃがみ込んだ。
上目遣い。
昨日、射的屋で見せたのと同じ、小悪魔の目。
「ねえ、パリス。……まだドキドキしてるの、聞こえるよ」
マイクを通さない、生の声。
――5月某日。
乱れたシーツ。汗ばんだ肌。理性を焼き切るほどの熱。
燃え尽きた後の、澄みわたる静寂。
安っぽい間接照明の下、俺とコハルはベッドの上で抱き合っている。
『まだドキドキしてるの、聞こえるよ』
俺の胸に頭を預けたコハルが呟く。
甘いココナッツの香りが満ちている。
「こ、れは……」
息が詰まる。
フユミ。アキハ先輩。コハル。
三人分の記憶が同時に押し寄せ、俺のキャパシティは限界だ。
舞台上では、三人の女神が言い争いを始めている。
「私が結婚の女神なんだから私が一番愛されるべきでしょ!」
フユミがナツキの手から、林檎をもぎ取ろうとする。
「いいえ、戦略の女神として状況を管理し続けた私こそが一番愛されるべきです」
アキハ先輩が林檎へ手を伸ばす。
「あたしといるのが一番楽しいに決まってるんだから、アタシが一番愛されるべきっしょ!」
コハルも林檎へ手を伸ばす。
「ふふふ、醜い争いですねぇ。一番でなくったって、愛されるのならそれで良いでしょうに」
ナツキはニヒルに笑いながらも、林檎を手放そうとはしない。
四人はジタバタと林檎を奪い合う。
コミカルな大喧嘩に、観客は大爆笑している。
「選べねえよなこれ!」
「俺なら美の女神!」
「いやぁ結婚の女神だろ!」
俺だけは、顔を青くしている。
とめどない冷や汗で視界が滲む。
俺の脳裏をめくるめく記憶は、パズルのように組み合わさり、形を成す。
俺はついに、空白の一週間を完全に思い出した。