「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。   作:会澤迅一

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第19話 ☆パリスの審判(中編)・四天王の思惑、そして大喝采

 

 舞台中央。

 黄金の林檎を模した金色のボールに、四つの手が伸びていた。

 

 フユミが掴み、アキハが抑え、コハルが引っ張り、ナツキが支える。

 

 四人の指先がボールの上で交錯し、奇妙な力学的均衡を保っている。

 

 観客席からは、コミカルな奪い合いに見えているだろう。

 

 だが、その実態は異なる。

 誰か一人が力を強めても緩めても、バランスは崩れ、林檎は誰かの手に渡るか、あるいは床に落ちる。

 

 逆に、誰か一人が強引に奪おうとすれば、他の三人が即座に反応し、その手を弾くだろう。

 

 互いが互いの動きを完全に牽制し合う、ナッシュ均衡。あるいはチェスで言うツークツヴァンク。

 

 動けば状況が悪化するが、動かざるを得ない局面。

 

 スポットライトの光の下、四人の少女の思考は深まり、脳裏の闇の隅々まで張り巡らされる。

 

 会場との熱気とは裏腹に、少女たちの計算はコンピュータのごとく冷徹だった。

 

          ◇

 

 

(この後の脚本は、決まっている)

 

 不和の女神エリスを演じるナツキは、黄金の林檎の感触を確かめながら思考する。

 

 台本通りの展開ならば、この奪い合いの末、林檎は誰の手にも収まらず、舞台袖へと吹っ飛んでいく。

 

 女神は誰も選ばれない。

 プライドを傷つけられた女神たちは激怒し、その怒りの矛先を人間界へ向ける。

 

 そして世界は混乱し、トロイア戦争へと突入する――。

 

 原作たる【パリスの審判】と同じ、破滅的なオチ。

 

 それがナツキの書いた()()だ。

 

 このまま膠着が続いても、誰かが手を滑らせても、物語は混沌の結末を迎える。

 

(構いませんよ、私は)

 

 ナツキは冷めた目で、最前列のトーマを見下ろした。

 

          ◇

 

(……ここまでやったんだ)

 

 美の女神アフロディーテを演じるコハルは、流れる汗を拭おうともせず、林檎を握りしめている。

 

 確信がある。

 客席のトーマの顔色は、明らかに演技に圧倒されているだけではない。

 

 蒼白な顔。脂汗。焦点の合わない瞳。

 

 トーマはもう、全てを思い出したのだ。

 空白の一週間。あの熱帯夜の記憶。

 

(悔いはない。覚悟は決まってる)

 

 誰が選ばれてもいい。

 たとえ、アタシが選ばれなくても。

 

 あの日、トーマがアタシを求めてくれた事実は消えない。

 

 アタシは十分に幸せだった。

 

(でも、もし神様がいるなら)

 

 ずーっと、いっしょにいたいなぁ……なんて。

 

(神様がいないから、アタシたちがこんなこと演ってるんだけどさぁ)

 

 コハルは心の中で、自嘲的に笑って舌を出す。

 

 そして、祈るように指に力を込めた。

 

          ◇

 

(トーマは間違いなく私を選ぶ)

 

 結婚の女神ヘラを演じるフユミは、揺るぎない確信の中にいた。

 

 焦る必要はない。無理に力を込める必要もない。

 

 空白の一週間の初日、四月三十日。

 記憶を失ったトーマが、本能のままに最初に選んだのは私だった。

 

 空白の一週間の最終日、五月七日。

 前向性健忘を抱えたままのトーマが再び選んだのも、私だった。

 

 そして、記憶を取り戻しつつある今、最後に選ぶのは誰なのか。

 

(私よ。私しかいない)

 

 いま私がすべきは、見苦しく攻めることじゃない。

 

 ただ、堂々と待つこと。

 渡り鳥が帰巣本能を持ち、必ず元巣に戻るように。トーマは必ず、私の元へ帰ってくる。

 

(待ってるからね、トーマ)

 

 フユミは慈愛に満ちた眼差しで、ボールを優しく、しかし絶対に離さない強さで包み込んでいた。

 

          ◇

 

(……出来ることは、全てやりました)

 

 知恵の女神アテナを演じるアキハは、舞台上の空気を支配していた。

 

 理想の展開だ。

 四天王同士に、決定的な敵意はない。暴力沙汰には発展していない。刃物が出てくるようなことも、もうありえないだろう。

 

 全員がトーマを愛している。

 全員がトーマに愛されようとしている。

 

 そしてきっと。

 

 全員()トーマに愛されても構わないと考えている。

 

 その前提を踏まえての序列争い。

 

(私の計画通りです)

 

 憎しみ合って決裂すれば血が流れる。トーマの心は壊れてしまう。

 

 だからこそ、共犯関係を作り上げた。

 全員でトーマを共有し、その上で誰が一番かを決めるシステム。

 

(なればこそ、勝つのは私です)

 

 このシステムを構築したのは私。

 この舞台を用意したのも私。

 

 ゲームにおいて最強はゲームマスターである。

 ギャンブルにおいても、胴元は必ず勝つ。

 

 この私が勝者たるのは自明の理。

 アキハは薄く微笑み、林檎を見つめる。

 

 四者四様の思惑が交錯する中、舞台上の時間は永遠のように引き伸ばされていた。

 

 誰も動けない。

 誰も引けない。

 均衡を破れるのは、舞台上の女神たちではない。

 

 ただ一人。

 客席で青ざめている、羊飼いの青年。

 日村(ひむら) 斗真(トーマ)だけだった。

 

 トーマは、震える膝を両手で握りしめ、立ち上がる。

 

 予期せぬ挙動。

 その瞬間、女神たちはトーマに集中する。

 

 ただ一人を除いて。

 

(このときを待っていました)

 

 ナツキは小さくほくそ笑む。

 

 女神たちはトーマを見ている。

 林檎に加わる握力が弱まっている。

 

「おっと!」

 

 ナツキは偶然を装い、林檎を観客席へ投げ出す。

 

 放物線を描く林檎は、たった今立ち上がったトーマのもとへ。

 

 トーマは反射的に、林檎を手にした。

 

「おお、感謝します。羊飼いよ」

 

 ナツキは朗々と感謝を述べ、壇上から手を差し伸べる。トーマから林檎を受け取る──フリをして、ステージから降りる。

 

 トーマの手をグイっと引っ張り、

 

「私は嘘をつきました」

 

 屈んだトーマの耳元で囁く。

 

「今から()()になろうと思います」

 

 トーマが反応する間もなく。

 

 唇が重ねられた。

 

 超満員の体育館が、水を打ったように静まり返る。

 ステージの上の女神たちも、魂を抜かれたように呆然としている。

 

 今、会場は、世界は、ナツキとトーマの独擅場である。

 

 耳が痛くなるほどの静寂だった。

 

 永遠にも似た数秒間。

 

 二人の唇が離れた。

 

 耳が痛くなるほど───

 

「おおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」

 

 沸いた!!

 

 嵐のような大歓声と万雷の拍手喝采。体育館は狂騒に揺るがされる。

 

 トーマは椅子にへたり込み、放心状態で唇に触れる。

 

 ナツキは壇上へ戻り、高らかに謳い上げる。

 

「これが私の愛し方! これが不和の女神のやり方なのです! 愛は語るでも考えるでも感じるでもなく! 目的のために手段を選ばぬことなのです!」

 

 ナツキは両手を広げ、舞台の中央で威風堂々と立つ。

 

 華奢で小柄な体が、神々しいまでの雄大さを誇っている。

 

「愛とは言葉を離れた結果のこと! 実を結んだ()こそが愛なのです!!」

 

 照明が落ちる。カーテンが降りる。

 フィナーレの曲が大音響で流れる。アップテンポのクラシックが響き渡る中、嵐のような大歓声と万雷の拍手喝采が続く。

 

 隣席の男子生徒がトーマの肩を叩く。

 

「おまっ、スゲーな!! 最高じゃんこれ!!」

 

 後の席の者も身を乗り出す。

 

「神演出だったわ! これオマエが考えたの!?」

 

「ってか、彼女だったんかあの子!!」

 

「チョー美少女じゃねえかよ! うらやましい!!」

 

「これ学園が誇るベストカップルだろ!!」

 

「写真撮っときゃよかった〜!!」

 

 トーマは答えない。答えられない。

 ただ、自らに起こった事に圧倒され、虚ろな瞳で唇に触れる。

 

 パリスの審判は、ナツキの大勝利にて幕を閉じた。

 

 

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