「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。   作:会澤迅一

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第五章 記憶回復編
第1話 フユミ「ずっといっしょだと思ってたのに」(前編)


 目が覚めると、見慣れた天井があった。

 

 俺の部屋だ。

 カーテンの隙間から、夕日が差し込んでいる。

 

 体を起こすと、頭痛はもうない。

 枕元のスマホが点滅している。画面を見ると、LINEの通知が一件。

 

 相手は、アキハ先輩だ。

『おつかれさまです、トーマさん。

 貴方が舞台袖で倒れた後、タカに命じて自宅まで送らせました。

 医師に診せましたが、極度の緊張と疲労による血管迷走神経性失神とのこと。脳の血管に異常はありません。健康上の問題はないので、安心してください』

 

 事務的で、完璧な報告。

 でも、俺は知っている。彼女がどんな思いで、このメッセージを送ってきたのか。

 

 俺はスマホを置き、天井を仰いだ。

 

 思い出した。

 全部、思い出した。

 劇の結末。ナツキとのキス。そして、蘇った記憶の奔流。

 

 俺の脳裏には今、かつて失われていたパズルのピースが、恐ろしいほどの鮮明さで組み上がっている。

 

 始まりは、いつだったか。

 そう、あの日だ。

 手術の翌日。

 まだ自分が何者かもあやふやで、ただ本能だけで動いていた、雨の日。

 

 俺は静かに目を閉じ、記憶の海へと潜った。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 空白の一週間・一日目。

 四月三十日 十七時半。

 

 バケツをひっくり返したような豪雨だった。

 アスファルトを叩く雨音が、鼓膜の奥で鳴り止まない耳鳴りとリンクする。

 

 思考がまとまらない。

 今はいつか。ここはどこか。俺は何をしているのか。

 頭の中に白い霧がかかったようで、足元がおぼつかない。

 

 ただ、帰らなきゃいけない。

 

 その想いだけで、重たい体を動かしていた。

 

 帰らなくちゃいけない。

 待っている人がいるから。

 

 気づけば俺は、見慣れた表札の前に立っていた。

 

 自分の家ではない。その隣だ。

 

 震える指が、インターホンに触れる。

 

「はーい」

 

 スピーカーから懐かしい声が響く。

 ガチャ、とドアが開く。

 

「どちら様ですか? こんな雨の中ご苦労さまで、す……」

 

 現れたのは、部屋着姿のフユミだった。

 色素の薄い金髪。瑠璃のように透き通った碧眼。

 

 月澄(つきずみ)・フユミ・エインズワース。

 

 俺の幼なじみ。

 

「え?」

 

 フユミは目を丸くした。

 無理もない。そのときの俺は、ずぶ濡れで、薄っぺらい病院着姿だったのだから。

 

「ト、トーマ……? あんた、何その格好……」

 

 フユミの声が裏返る。

 いつもの仮面が、一瞬で剥がれ落ちた。

 

「フユミ……」

 

 名前を呼んだ瞬間、張り詰めていた糸が切れた。

 安心感に力が抜け、俺の体は崩折れる。視界が歪む。俺の意識は暗転した。

 

          ◇

 

 目が覚めると、暖かい匂いに包まれていた。

 

 卵と、かつおだしの匂い。

 

「……気がついた?」

 

 フユミの声が、キッチンから響いた。

 俺はソファーに寝かされていた。体には乾いたタオルケットが掛けられ、服も大きめのTシャツに着替えさせられている。

 

「……ごめん。こんな急に」

 

「本当よ。いきなり倒れ込んでくるんだもん。……救急車、呼ぼうか迷ったんだから」

 

 俺に背を向けたまま鍋をかきまぜている。

 

 その背中には少しの苛立ちが見えたが、どこか楽しそうにも見えた。

 

「はい。冷蔵庫の余り物だけど」

 

 とん、とローテーブルに置かれたのは、卵雑炊だった。

 

 ふわふわの半熟、青々としたネギ、刻み海苔。

 小学生の頃、フユミが風邪を引いたときに俺が振る舞ったものと似ている。

 

 でも、今のフユミの方が料理上手だ。

 

 俺はスプーンを手に取り、夢中で口に運んだ。

 

「……うまい」

 

 自然と声が出た。

 冷え切った体に、温もりが染み渡っていく。

 

「すごく美味しいよ」

 

「……ふん。お世辞なんていいから」

 

 フユミはそっぽを向いたが、耳まで赤くなっているのが分かった。

 

「お世辞じゃないよ。やっぱり、フユミのご飯が一番落ち着く」

 

「あら、そう。ずいぶん褒めてくれるのね。誰に対してもそうなんでしょ?」

 

 皮肉めいたフユミの言葉に、俺はかぶりを振る。

 

「まさか。フユミが特別だよ」

 

「特別、って」

 

 俺の言葉に、フユミの動きが止まった。

 

「どうしてそんなこと言うのよ」

 

 彼女はゆっくりとこちらを向き、鋭く俺を睨みつける。

 

「フユミ?」

 

 俺はフユミの変化に戸惑う。

 

「特別って、なんで私たちが違うみたいに言うのよ。ずっといっしょだと思ってたのに」

 

 フユミは体を震わせている。身を縮こめたそのさまは、いつもよりも小さく見える。

 

「小学校の、卒業式のとき……。『フユミは特別だから』、『住む世界が違う』、だなんて、勝手に線を引いて、勝手に遠ざかって」

 

 フユミの青い瞳が揺れる。震える唇から、想いの丈が溢れる。

 

「私ずっと頑張ったの。ピアノも、スケートも、勉強も、オシャレだって……全部。人気者だったあんたの隣にいて、恥ずかしくない女の子になりたかったから」

 

 フユミの瞳が、声が、潤んでいく。

 

「トーマが綺麗だって言ってくれたから、目立つ金髪と青い目も自慢になったの。髪型だって、トーマがかわいいって言ってくれたから、人に見られるのが怖くなくなったのに、トーマが、トーマがいてくれたからなのにっ!」

 

 むきだしの激情に、俺の理解は追いつかなかった。

 俺の記憶の中のフユミは、いつだって眩しくて、近くて遠い存在だった。

 

 太陽みたいなもので、いつもそこにあって、なくちゃやってけないけど、近づこうだなんて思えない。

 

 そういう存在だと思っていた。

 

 でもそれは、俺の勝手な勘違いだったのか?

 

「トーマが日向に連れ出してくれたんじゃない。……なのに、私が頑張れば頑張るほど、離れちゃって」

 

 フユミは唇を噛み、小さな手で涙をぬぐう。

 

「あれは、」

 

「わかってるわよ!」

 

 フユミの声は怒号のように、悲鳴のように響いた。

 

「褒め言葉のつもりだったんでしょうけど……私には、『もう一緒じゃない』って、絶縁されたみたいで、私、私は……」

 

 さびしかった。

 

 フユミはうつむいて、そう呟いた。

 

「また前みたいに、バカみたいなことで、笑い合いたかっただけなのに……私に、私がっ、かわいくないせいで……」

 

 フユミは何度も何度も手で涙をぬぐう。金糸の睫毛(まつげ)がグチャグチャになる。

 

「わかってるの。こんな面倒くさいこと考えてるから、嫌われたんだって、わかってるのよ。わかってるのに……っ」

 

 顔を覆って泣き崩れるフユミを見て、俺の胸が締め付けられた。

 

 考えるより早く、体が動いていた。

 俺はふらつく足で立ち上がり、フユミに近づく。

 

 気付けば抱き寄せていた。

 

「……トーマ……」

 

 フユミの体が強張る。

 俺は彼女の背中に腕を回し、その震えを全身で受け止めた。

 

「ごめん、フユミ」

 

 そのときの気持ちに、嘘はなかった。

 記憶も意識も曖昧だったからこそなのか。卑屈な建前や、淀みに淀んだわだかまりも消え失せ、ありのままの本音が口をついた。

 

「いっしょにいたかったんだ。俺にとっての特別だから、だから……」

 

 抱きすくめたフユミは、ひどく小さく感じられる。

 

 フユミが顔を上げる。いたいけな表情は、幼いときと変わっていない。

 

「……ほんと?」

 

 すがるような、消え入りそうな声。

 

「……ウソつけるほど器用じゃないよ」

 

 その一言が、最後の一線だった。

 

 唇が重なる。

 ファーストキスは、涙で少し塩辛かった。

 

 

 

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