「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。   作:会澤迅一

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第2話 フユミ「ずっといっしょだと思ってたのに」(後編)

 春の長雨で外は冷えているようだが、室内は熱気に包まれている。

 

 すりガラスの小窓は、真っ白に曇っていた。

 

 乱れに乱れたベッドシーツの上。

 

「……大丈夫?」

 

 俺は、隣に座るフユミの頭に手を伸ばす。

 金髪は汗に濡れ、額や首筋に張りついている。融かした黄金のような華やかさと、透けるように白い肌のコントラストは、目に焼き付くようだった。

 

 フユミは肩で息をしながら答える。

 

「大丈夫なわけ、ないでしょ、バカ」

 

 ひとこと一言の合間に、深呼吸が挟まっていた。

 

「……あちこち、ヘンな、感じよ」

 

 フユミはシーツを巻きつけたまま立ち上がる。

 クローゼットへ向かうその足取りは、ひどくつたない。

 生まれたての子鹿のように震え、一歩踏み出すたびに顔をしかめている。そのぎこちない歩き方が、()()()()の事実を物語っていた。

 

 俺はやり場のない視線を、部屋の中へと彷徨わせる。

 

 フユミの部屋に入るのは、小学生以来だった。

 白を基調とした、整理整頓されたシンプルな内装。表彰状や参考書が整然と並んでいる様は、彼女の几帳面さと潔癖さを表している。

 

 だが、その隙間には少女趣味が隠されていた。

 パステルカラーのクッションや、可愛らしい装飾のフォトフレーム。

 

 そして、ベッドのヘッドボードに並べられた数体のぬいぐるみたち。

 

 くまも、うさぎも、猫も。

 すべてのぬいぐるみが、なぜか壁の方を向き、俺たちに背を向けて並べられている。

 

 部屋に入ったとき、フユミが真っ先にやったことはこれだった。

 幼い頃から慣れ親しんだぬいぐるみに、自分の乱れた姿を見られたくなかったのか。

 

 そのあどけない羞恥心に、胸が締め付けられる。

 

 ふと、サイドテーブルに視線を落とす。

 そこには、役目を終えたゴムの個包装が置かれていた。

 

 ……フユミが、用意してくれたものだ。

 思考の隅に、黒いインクのような疑問が滲む。

 

 なぜ、フユミはこれを持っていた?

 フユミほどの容姿と才覚があれば、彼氏がいたとしても不思議ではない。いや、いて当然だ。俺が勝手に疎遠になっていた間に、フユミには別の誰かがいたのかもしれない。

 

 想像しただけで、腹の底から胸を通って焼けつくような嫉妬が、喉元にまでこみ上げる。

 

 だが、事が終わった直後にそんなことを聞くのは、あまりにも無粋だし、卑怯だ。

 

 俺は疑念と自己嫌悪の板挟みに、小さく息を吐いた。

 

「……なに?」

 

 吐息が聞こえてしまったのか、フユミが肩越しにこちらを見た。フユミはクローゼットの前で立ち尽くし、手には着替えを持っている。

 

「あ、いや、なんでも」

 

 俺が首を振ると、フユミはふんと小鼻を鳴らし、手にしたルームウェアを広げた。

 

 いつものジャージではない。フリルのついた、淡いピンク色のキャミソールとショートパンツ。ジェラートピケの新作だろうか。誰かに見せることを意識した愛らしいデザインだ。

 

「……親の部屋から持ってきたのよ」

 

 ゴムのことだ。

 

「アンタががっつくから、必要だと思って」

 

 俺の疑問を先読みしたフユミは、ぶっきらぼうに言い放つ。

 

「ありがとう」

 

「ありがとうって、アンタほんっと、はぁ……」

 

 フユミは呆れたようにため息をつき、着替え始めた。

 

 俺はぼんやりと天井を見上げる。

 親の部屋から持ってきた、か。

 

 ……いや、待てよ。 

 違和感が、パズルのピースのようにカチリとハマる。

 

 俺たちはリビングで抱き合い、キスをして、そのままなし崩し的にフユミの部屋へ雪崩れ込んだ。

 

 トイレに行く暇さえなかった。

 フユミが両親の寝室へ行き、何かを取りに行くタイミングなど、一度として存在しなかったはずだ。

 

 以前から親の部屋にあったものを、自分の部屋に移しておいた?

 

 そんなことあるわけない。

 

 彼氏がいた?

 いや、フユミに限ってそれはない。フユミが誰かと付き合っていれば、学園中の噂になる。それに、この真面目で不器用な幼なじみが、恋人の存在などという重大事を隠し通せるわけがない。

 

 だとすれば、答えは一つだ。

 フユミは、持っていたのだ。

 ずっと前から、自分の部屋に。

 

 いつか、俺とこうなるかもしれないと予期してい た。

 

 疎遠だった数年間も、彼女はずっと、俺を受け入れる準備をしていたことになる。

 

 そんなことありえるのか?

 

 ──ありえる。

 お互いの気持ちを伝え合った今なら確信できる。

 

「……あ」

 

 結論にたどり着いた瞬間、熱量の塊が喉元までこみ上げ、思わず声が漏れた。

 

「今度はなによ」

 

 着替えの途中、背中を向けたままフユミが問う。

 

「いや、その……ありがとう、ほんとに」

 

「はぁ? アンタなにいって……」

 

 キャミソールの肩紐を直しながら、フユミが振り返る。

 

 俺と目が合った。

 瞬間、フユミの碧眼が大きく揺らいだ。

 

 フユミの聡明な頭脳が、俺の思考をトレースし、自分のついた嘘の違和感に気づいたのだろう。

 

 またたく間の理解。

 フユミの顔が、小さな耳まで朱に染まる。

 

 彼女は弾かれたように再び背を向けた。

 ショートパンツに足を通す動作が、わざとらしいほどゆっくりになる。

 

 どう見ても、クールダウンのための時間稼ぎだ。

 

 愛おしさが、爆発する。

 

「フユミ」

 

「ヤだ」

 

「フユミ」

 

「うっさいバカ、話しかけないで!」

 

 俺はベッドから降り、歩み寄っていく。

 

「フユミ!」

 

「こっち来ないで、寄るな、見るな!」

 

 フユミは背を向けたまま、両手で顔を覆ってしまった。

 

 俺はフユミの顔を隠すその腕を、できるだけ優しく掴んだ。

 

 驚くほど細い手首。

 フユミは必死に振りほどこうとするが、俺との力の差は大きい。普通の女の子なのだ、フユミも。そんな当たり前のことにすら、俺は気づけていなかった。

 

 少し強引に腕をどける。

 フユミは、涙目で真っ赤になっていた。

 悔しさと、恥ずかしさが入り混じった瞳。脆く青いベネチアングラス。

 

 フユミは俺を睨みつけ、こらえきれず、ふいと視線を逸らした。

 

「……見ないでってば、バカ」

 

 弱々しく震える声に、拒否感の色はなかった。

 俺はフユミの顎に手を添え、再び唇を重ねる。

 

 先程よりも深く、濃密に。長いキスの後、唇が離れる。俺は彼女の華奢な肩に手をかけ、ゆっくりと押し倒す。

 

「ちょ、ちょっと、いま着替えたばかりなのに──」

 

 

 

 

「バカ、ほんとバカ、ほんっと……!」

 

 乱れた呼吸を整えることもせず、フユミが抗議の声を上げる。

 

 一度火がついた激情は、一度や二度で収まるものではなかった。

 

 息も絶え絶えになりながら、必死に睨みつけてくる幼なじみに対し、俺はベッドの上で平身低頭する。

 

「ごめん、マジごめん、ほんとごめん、我慢できなかった」

 

「もぉ〜〜!!」

 

 フユミはシーツの上で身をよじると、自分の白い肩口を確認するよう首をひねる。

 

 そこには、花びらのように小さな内出血の痕があった。

 

「キスマークなんてつけてくれちゃって……どうしてくれんのよ。マーキングか何かのつもり? はー、まったく、独占欲の強いやつ……」

 

 言葉としては文句を言っているが、その声色はどこか弾んでいる。

 

 鏡もないのに何度もその箇所を指でなぞり、微笑みながら確かめていた。

 

 ……俺の体には、フユミがつけたキスマークと、興奮のあまり立てられた爪痕、さらには歯型までもが全身にくまなく刻まれているのだが、今の彼女にそれを指摘するのは野暮というものだろう。

 

 俺は賢明に(あるいは懸命に)沈黙を守った。

 フユミはひとしきり愚痴をこぼすと、満足したように伸びをした。

 

 事後の余韻が抜け、急に空腹感が襲ってきたらしい。

 

「そろそろ夜ご飯にしましょうか。もうスーパーは閉まっちゃってるから、コンビニ行くわよ」

 

「了解。そしたら、ちょっと家からいろいろ持ってくるわ」

 

「ん。一人で大丈夫?」

 

 フユミの碧眼が、俺の顔色を気遣うように揺れる。倒れたばかりの俺を案じているのだ。

 

「大丈夫だよ。じゃ、ちょっとだけ待ってて」

 

 俺は名残惜しさを振り切り、フユミの部屋を後にした。

 

          ◇

 

 玄関のドアを開けると、冷たく澄んだ夜気が頬を撫でた。

 

 雨はいつの間にか上がっていた。

 4月末の夜。雨上がりの空気は、洗われたように澄み切っている。

 

 アスファルトの匂いと、湿った土の匂い。

 水たまりが街灯を反射し、世界をキラキラと輝かせていた。

 

 見上げれば、雲の切れ間から月が顔を出している。 

 

 満月に限りなく近いが、ほんのわずかに足りていない。

 かすかに欠けたその形が、未完成な俺たちを見守るように、青白い光を落としていた。

 

 嵐の日の終わり、世界は嘘のように静まり返っている。

 

 俺は隣の自宅へ戻り、必要最低限のものだけを手に取る。

 

 財布と、上着。

 自分の部屋の現状を確認する暇もなく、俺は再び外へと飛び出した。

 

 門の前。

 そこにはすでに、支度を終えたフユミが立っていた。

 

 月明かりの下、金色の髪が蛍のように淡く光っている。

 

「おまたせ」

 

 俺は持ってきた薄手のマウンテンパーカーを広げ、フユミに手渡した。

 

「着といて。風邪ひいたら大変だから」

 

「アンタが風邪ひいちゃ意味ないじゃない」

 

 フユミは呆れたように柳眉を寄せるが、拒みはしなかった。

 

「フユミも知っての通り、俺はバカだから。風邪なんか引かないよ〜ん」

 

「あーも、ほんっとバカ」

 

 フユミは小さく笑い、俺のマウンテンパーカーに袖を通した。

 

 俺のサイズだ。彼女の細身の体にはあまりにも大きすぎる。肩のラインは落ち、指先まですっぽりと袖に隠れてしまった。

 

 いわゆる彼シャツである。シャツじゃなくてパーカーだけど。

 

 フユミは余った萌え袖を口元へ持っていくと、くん、と鼻を鳴らした。

 

「え゙、臭《にお》う?」

 

 俺がギョッとして尋ねると、フユミは何も答えず、ぷいと顔を背けて歩き出した。

 

 その足取りは軽やかで、袖口に顔を埋めたままだ。

 

「ちょ、フユミ!」

 

 俺は慌ててその後ろ姿を追う。

 

「アンタが悪いのよ、クサいことやるから」

 

 数歩先で、フユミはくるっと振り返った。

 月下、ぶかぶかの袖を広げて、あどけなく微笑む。

 

 長年のわだかまりが溶けたフユミの笑顔は、天使のようだった。

 

 

 

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