「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。   作:会澤迅一

9 / 10
第9話 後輩のシミズ曰く、『言語の限界が世界の限界である』

 キーンコーンカーンコーン。

 

 昼休み終了の予鈴が、屋上の青空に吸い込まれていく。

 

「やっば! 忘れてた!」

 

 コハルが慌てて弁当箱を片付け、立ち上がる。

 

「あたし、友達に現国の教科書借りたまんまだった! 早く返さないと!」

 

 日差しのように現れ、叙々苑と唐揚げを交換し、和気あいあいと談笑し、嵐のごとくに去っていく。まさに陽キャの鑑と言うべき行動力。

 

「じゃあねトーマ! ナツキちゃんも、またお話ししよーね!」

 

「あ、はい……よ、よしなに……」

 

「よしなにって今日び聞かねぇな……」

 

 手を振るコハルを見送ると、屋上には俺とシミズだけが残された。

 

「じゃ、俺もそろそろ……」

 

 立ち上がろうとした俺の制服の裾を、シミズが掴んだ。

 

 初夏の風が吹く。

 シミズの黒髪がふわりと揺れ、彼女はどこか陶酔したような瞳で空を見上げていた。

 

「……信じられません」

 

「ん?」

 

火伏(ひぶせ)琥春(こはる)さん。まさか、私とあそこまで会話を成立させられるとは。私はどうやら、前期ウィトゲンシュタイン的な独我論の傾向が強すぎたようです」

 

 シミズはブツブツと独り言を言っている。

 どうやら『陽キャ=敵』という図式が崩れかかり、処理落ちしかけているらしい。

 

「まあ、イイ奴だろ? コハルは」

 

「……ええ。素敵な人です。しかし先輩」

 

 シミズがくるりと振り返り、俺を見上げた。

 その瞳が、見開かれる。

 

「私が先輩の、唯一無二の『理解者』であるという事実は、不変にして絶対、ですよね?」

 

 嫉妬だ。

 コハルと仲良く話していたのが面白くなかったらしい。

 

 俺は大真面目にうなずく。

 

「もちろん。シミズ以上に俺と趣味の合う人はいないよ」

 

「ふふ、まだそのようなラベリングですか」 

 

 シミズは一歩、俺に近づいた。

 距離が近い。叙々苑の残り香と、彼女自身のシャンプーの香りが混ざり合う。

 

「先輩。私と先輩の関係性は、もはや言語的定義の外部にあります。サルトルが言うところの『対自存在』としての葛藤を超越し、レヴィナスの言う『顔』としての倫理的応答責任を……」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 

 俺は両手でタイムのジェスチャーをした。

 

「もっと簡単に教えてくれないか」

 

 シミズが、ぽかんと口を開けた。

 そして、ハッとしたように口元を押さえる。

 

「……あ。申し訳ありません。私としたことが……先輩が一般高校生レベルであることを失念していました」

 

「おいサラッとディスったな?」

 

「それは世界の限界です。つまり言語それ自体の限界です。したがって、私の悪意や作為ではありません。ええと、その! つまりですね……」

 

 シミズはもじもじと指を絡ませ、視線をさまよわせた。

 

 顔が赤い。耳まで赤い。

 さっきまでの衒学的(げんがくてき)な態度はどこへやら、急に借りてきた猫みたいにしおらしく……いや、生まれたての小鹿みたいに震えている。

 

「その……私は、文学の話だけがしたいわけでもないのです。知的な交流も喜びですが、もっとこう……実存的で、本能的で、肉体的な……」

 

 彼女は意を決したように、上目遣いで俺を見た。

 

 潤んだ瞳。震える唇。

 

「わ、私、先輩がしたいことなら、なんでもできますよ」

 

「え?」

 

「オシャレにだってなりましたし! それに、そ、その……あのときみたいに、もっとすごいことでも……ご要望とあらば、なんでも……」

 

 すごいこと?

 何? 何をしたの俺たち!? 文芸部室で!!?

 

 赤を通り越して、沸騰したヤカンのようだ。

 自分の発言の大胆さに、脳の処理が追いつかなくなったらしい。

 

「あ、あう……私、なにを……なんて、はしたない言語ゲームを……ううぅ……」

 

「おい、大丈夫かシミズ!」

 

「せんぱい、せんぱ、い……」

 

 ぷしゅう。

 本当にそんな音が聞こえた気がした。

 シミズは白目を剥き、糸が切れた操り人形のようにぐらりと傾いた。

 

「おいっ!?」

 

 俺は慌てて彼女を支える。

 軽い。折れそうなほど細い体だ。

 

 完全に気絶している。知恵熱(誤用)か? それとも羞恥心によるオーバーヒートか?

 

「……参ったな」

 

 このまま屋上に放置するわけにはいかない。

 かといって保健室に運べば、『何があったの?』と詰問されるリスクがある。それに、シミズは俺以外の人との接触を極端に忌避する。それは養護教諭に対するときも例外ではない。

 

 となれば、向かうべき場所は一つだけ。

 俺はシミズを背負うと、特別棟への階段を降りた。

 

 

◆◆◆

 

 

 昼休みの静寂を未だ保つ特別棟。

 その三階の端にある文芸部室に、俺はシミズを運び込んだ。

 

 長椅子に彼女を寝かせる。

 額の汗をぬぐいつつ、体温を確かめる。熱はない。

 呼吸を確認する。規則正しい寝息を立てている。ただ寝ているだけのようだ。

 

「……まったく、人騒がせな天才作家様だ」

 

 俺は彼女の前髪を少しだけ整えてやり、書き置きを残すことにした。

 

『先に戻る。起きたらラインして』

 

 部室を見渡す。

 本棚にぎっしりと詰まった本。書きかけの原稿用紙。

 

 ここが彼女の城であり、俺たちの部室。

 記憶がないのが恨めしい。俺はここで、シミズとどんな時間を過ごしていたのだろうか。

 

「……思い出すのが怖い気もするけどな」

 

 俺は苦笑し、部室を出た。

 

 ドアを閉め、ふう、と大きく息を吐く。

 

 なんとか昼休みの修羅場は乗り切った。

 午後の授業まであと五分。ギリギリだ。急いで教室に戻らなければ。

 

 俺は廊下の角を曲がろうとして――。

 誰かとぶつかりそうになり、急ブレーキをかけた。

 

「っと、すみません!」

 

 謝りながら顔を上げる。

 そこには、腕を組み、仁王立ちしている人物がいた。

 

 肩まで届く金髪のツインテール。

 ラピスラズリのような碧眼。

 

 そして、猛禽のように高くから見下ろすような視線。上背は、俺より低いはずなのに。

 

「……あ、あの」

 

 干上がった俺の喉から、間の抜けた音が漏れる。

 

「奇遇ね、トーマ」

 

 月澄・フユミ・エインズワース。

 俺の幼馴染にして、美少女四天王の一角、つまり俺と一線を越えた少女がそこにいた。

 

「よ、よう、フユミ。こんなとこで何してんだよ〜! 特進クラスの教室、反対側だろ……?」

 

 俺が頬を引きつらせながら尋ねると、フユミは絶対零度の微笑を浮かべた。

 

 その視線は、俺の背後――文芸部室のドアへと注がれている。

 

「ちょっとね。パトロールよ」

 

「パ、パトロール?」

 

 フユミは遅くも早くもない速度で距離を詰めてくる。

 

「ええ。私の無防備な幼なじみが、悪い虫にタカられてないか確認しに来たの」

 

 一歩一歩が俺の寿命を数えるカウントダウンだ。ゼロになったら俺は、俺は……。

 

「それで? トーマ。なんで文芸部室から出てきたワケ? しかも、ずいぶんと慌てた様子で」

 

 フユミは腰に片手を当て、俺を指さした。

 

 ヒィッ!

 体が固まる。指先かられいとうビームを噴射されたような感覚だ。

 

「い、いや! ちょっと調べ物があって!」

 

「へえ。一人で?」

 

 フユミは問いを返しつつ、また一歩、近づいてくる。手を伸ばせば鼻をつまめる距離だ。

 

「ああ、一人で!」

 

「そう。一人で、ね」

 

 フユミはまた一歩近づいた。今度は息がかかるほどの距離だ。近いよ〜……。

 

 甘い匂いがする。我が家のボディソープの匂いだ。ってことは、やっぱりフユミは俺と……それにしても良い匂いだ……俺が使ってるのと同じのはずなのに雲泥の差……素体の差がここまで……。

 

 ってそれどころじゃねえ!

 

「あら、タイが曲がってるわよ」

 

 俺が答えるより早く、フユミは俺の胸元に手を伸ばし、ネクタイを握った。今朝、後輩にしたように。

 

「あ、おお、ありがと。フユミは昔から気が利くよな」

 

「神経質なのよ。曲がったものや細かいことがとにかく目について、気になっちゃうの」

 

「知ってるよ」

 

 フユミは昔から真面目で品行方正、正義感の強い奴だった。周囲と対立することも、まあ、少なくはなかった。

 

「そんな自分が面倒に感じることもあったけど、今は嫌いになれないわ。トーマのせいでね」

 

 フユミが、そっと微笑んだ。昔々、時たま俺に見せた、年相応の微笑みだ。久々に見た。

 

「ヒネくれた褒め方しやがって。どのみち褒めても何も出ねーぞ」

 

 俺は軽口で返す。何やら良い雰囲気だ。さっきまでの恐怖は、俺の考えすぎだったのかもしれない。

 

「いえ、目当ての()()が出たわ」

 

 フユミはそう言って、制服についた小さな糸くずのようなものをツマみ取った。

 

 それは、俺のものより長い、まっすぐな黒髪だった。

 

 シミズの髪だ。

 

「さっき、『一人で調べ物をしていた』って言ってたわよね」

 

 フユミが微笑む。先程とは全く別種の微笑。

 絞首台に立つ反逆者を見下ろす、女王様の微笑だ。

 

「ねえ、トーマ。私わからないわ。この綺麗な黒髪は誰のものなのかしら?」

 

 詰んだ。

 本日二度目の、完全なる『詰み』である。

 俺が金魚みたいに口をパクパクさせていると、フユミはニコッと笑った。

 

 その笑顔は、この世の何よりも美しく、そして恐ろしかった。

 

「放課後、一緒に、帰りましょう。話したいことが、山ほど、あるから」

 

 フユミは一言一言、ハキハキと区切って言った。

 まるで、聞き分けのない悪ガキに言い含めるような口調で。

 

 呆然と立ち尽くす俺に背を向け、去りゆく。

 

 小さくなっていく背中を見送る。

 

 五限のチャイムが鳴り響く。

 それは授業の始まりを告げる音ではなく、俺へのレクイエムのように聞こえた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。