「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
白い光が網膜を刺す。
俺は重たいまぶたをゆっくりと押し上げた。
視界に飛び込んできたのは、見知らぬ天井だった。
無機質な蛍光灯。吸音材の穴が等間隔に並ぶ白い化粧板。
ここは、どこだ。
俺は昨晩、フユミとコンビニへ行って、それから……。
思考には靄がかかり、記憶の糸は途中でぷっつりと切れている。
ただ、頭の芯が少し重い。
視線を横に巡らせると、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。
朝焼けの淡い光が、塵をキラキラと照らし出している。
その光の中に、彼女はいた。
「……おはようございます、日村さん」
ベッドの脇、丸椅子に腰掛けたその人は、聖母のような微笑みを浮かべていた。
先輩の白く細い指が、俺の髪を梳いている。
さらり、さらり、と。
壊れ物を扱うように繊細で、あるいは愛玩動物を撫でるような手つき。一定のリズムで繰り返されるその感触が、俺の意識を徐々に現実へ引き戻していく。
「先輩、今は、ここは……」
「今は五月一日、ここは病院ですよ。あなたが入院して、手術を受けて、脱走した病院です」
木南先輩はクスクスと笑い、俺の乱れた前髪を整える。
「驚きましたよ。まさか点滴を引き抜いて抜け出すなんて。おかげで昨晩は大騒ぎでした」
「俺……なんで、ここに」
「私が連れてきたんです。早朝、月澄さんが起きるよりも早く、あなたを
回収。
無機質な響きに、背筋が粟立つ。
俺はあわてて身を起こそうとしたが、体が鉛のように重い。
「⋯⋯フユミは?」
俺は問いかけた。
「木南先輩、フユミはどこですか?」
その瞬間だった。
先輩の手が止まった。
穏やかだった世界が、瞬時に凍りついた。
外で鳴いていた小鳥も、壁にかけられた時計も、俺の心臓も、一瞬だけ静止していた。
木南先輩の美貌から人間性が抜け落ちている。
慈愛も、微笑も、何もない。彫像のようなアルカイックスマイル。
その瞳は俺を映していない。
虚空を見つめる底なしの闇。
絶対的静寂。
だが、それは瞬き一つ分の時間だった。
木南先輩の長い
「……ご心配なく。月澄さんはまだ夢の中でしょう。私があなたの代わりに、彼女にLINEを送っておきました」
心配は無用です。
木南先輩はそう結んだ。
どうやって俺のスマホのロックを開けたのか気になるが、問いかけるのが怖かった。
木南先輩は、再び俺の髪を撫で始めた。細い指先は少しだけ冷たくなっている気がした。
「ねえ、日村さん。昔話をしましょうか」
先輩は窓の外、昇り来る朝日を見つめながら独り言のように語りだす。
「一年前の今ごろ、あなたと月澄さんが入学した当初……私はあなたに、興味なんてありませんでした」
端的な告白に、俺は返す言葉もない。
「私が興味を持っていたのは、月澄さんの方です。彼女とは以前、ピアノやバイオリンのコンクールでたびたび一緒になっておりましたから」
木南先輩の声音は、鈴を転がすように美しい。けれど、無機質に乾いていた。
「私の次に上手だったあの子が、私が辞めた後に私より良い成績を出したと聞いて……ふふ、私、幼稚で負けず嫌いでしょう? ハイスコアの更新が出来なかったら、レアドロを手に入れるまで周回するような、そんな未熟な人間なのです」
先輩は自嘲気味に口元を歪める。
「だから、あなたにちょっかいをかけました。月澄さんがあなたを想っているのは、一目見れば分かりましたから。嫉妬した月澄さんがあなたにアプローチをかけたら、さぞ
脳裏に、先輩との思い出が走馬灯のように蘇る。
生徒会室での雑談。放課後に奢ってもらったカフェのパンケーキ。休日に待ち合わせての映画鑑賞。
先輩はいつも完璧で、優しくて、俺のつまらない話を楽しそうに聞いてくれた。
そこに、そんな真意があったなんて、今の今まで微塵も感じなかった。
俺にとって木南先輩は、尊敬できる先輩であると同時に、気の置けない友人だったのだ。
「でも、不思議なものですね」
先輩が俺の顔を覗き込む。長い黒髪がさらりと流れ落ち、俺の頬をくすぐった。
「あなたは私と仲良くしてくれたのに、決して恋には落ちなかった。私との逢瀬を何度も重ねて、他愛ない冗談で何度も笑い合って、私のくだらない童心にも気付いてくれたのに……私を女として見ることは、一度もありませんでした」
「それは……先輩が、高嶺の花すぎて」
「いいえ、違います」
先輩は即座に否定した。
「あなたが話すのは、いつもいつも他の女性の話ばかり。ご自分では気付いていないでしょう? あなたはね、ご機嫌で気が緩んだとき、月澄さんや……
指摘され、心臓が跳ねる。
そんなつもりはなかった。けれど、言われてみれば否定できない自分がいる。
先輩の声色に、じわりと混じる濁りがある。熱と湿度を帯びた、昏く艶めく情念。
「『希少性の原理』に近しいものでしょう。なんでも思い通りになってきた私からすると、私になびかない殿方というのは……それはそれは珍しいものでした」
先輩の手が、俺の髪から頬へ、そして首筋へと滑り落ちる。ひんやりとした指先が、脈打つ俺の首筋に触れた。
「初めはただの
ふっ、と先輩は小さく肩をすくめた。
「『ミイラ取りがミイラになる』、『狩人罠にかかる』、まさしくそんなところです」
その仕草を見て、俺は息を呑んだ。
肩をすくめるのは、俺の癖だ。
そして俺のその癖は、幼い頃からずっと見てきたフユミの真似だった。
誰の前でもやっていたわけではない。親しい人の前でだけ出る癖。
そんな些細な癖が伝染るほど、木南先輩は俺を見ていてくれたのか。
「それであなたに恋してしまったんです。つくづく馬鹿な女でしょう? どうか笑ってください」