「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。   作:会澤迅一

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第3話 アキハ「世界一嫌いだと言ってください」(前編)

 白い光が網膜を刺す。

 

 俺は重たいまぶたをゆっくりと押し上げた。

 視界に飛び込んできたのは、見知らぬ天井だった。

 無機質な蛍光灯。吸音材の穴が等間隔に並ぶ白い化粧板。

 

 ここは、どこだ。

 俺は昨晩、フユミとコンビニへ行って、それから……。

 

 思考には靄がかかり、記憶の糸は途中でぷっつりと切れている。

 

 ただ、頭の芯が少し重い。

 視線を横に巡らせると、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。

 

 朝焼けの淡い光が、塵をキラキラと照らし出している。

 

 その光の中に、彼女はいた。

 

「……おはようございます、日村さん」

 

 ベッドの脇、丸椅子に腰掛けたその人は、聖母のような微笑みを浮かべていた。

 

 木南(きなみ) 秋葉(あきは)先輩だ。

 先輩の白く細い指が、俺の髪を梳いている。

 

 さらり、さらり、と。

 壊れ物を扱うように繊細で、あるいは愛玩動物を撫でるような手つき。一定のリズムで繰り返されるその感触が、俺の意識を徐々に現実へ引き戻していく。

 

「先輩、今は、ここは……」

 

「今は五月一日、ここは病院ですよ。あなたが入院して、手術を受けて、脱走した病院です」

 

 木南先輩はクスクスと笑い、俺の乱れた前髪を整える。

 

「驚きましたよ。まさか点滴を引き抜いて抜け出すなんて。おかげで昨晩は大騒ぎでした」

 

「俺……なんで、ここに」

 

「私が連れてきたんです。早朝、月澄さんが起きるよりも早く、あなたを()()しました」

 

 回収。

 無機質な響きに、背筋が粟立つ。

 俺はあわてて身を起こそうとしたが、体が鉛のように重い。

 

「⋯⋯フユミは?」

 

 俺は問いかけた。

 

「木南先輩、フユミはどこですか?」

 

 その瞬間だった。

 

 先輩の手が止まった。

 穏やかだった世界が、瞬時に凍りついた。

 外で鳴いていた小鳥も、壁にかけられた時計も、俺の心臓も、一瞬だけ静止していた。

 

 木南先輩の美貌から人間性が抜け落ちている。

 慈愛も、微笑も、何もない。彫像のようなアルカイックスマイル。

 

 その瞳は俺を映していない。

 虚空を見つめる底なしの闇。

 

 絶対的静寂。

 だが、それは瞬き一つ分の時間だった。

 

 木南先輩の長い睫毛(まつげ)が揺れた次の瞬間、先輩の顔にはいつもの完璧な笑みが戻っていた。

 

「……ご心配なく。月澄さんはまだ夢の中でしょう。私があなたの代わりに、彼女にLINEを送っておきました」

 

 心配は無用です。

 木南先輩はそう結んだ。

 

 どうやって俺のスマホのロックを開けたのか気になるが、問いかけるのが怖かった。

 

 木南先輩は、再び俺の髪を撫で始めた。細い指先は少しだけ冷たくなっている気がした。

 

「ねえ、日村さん。昔話をしましょうか」

 

 先輩は窓の外、昇り来る朝日を見つめながら独り言のように語りだす。

 

「一年前の今ごろ、あなたと月澄さんが入学した当初……私はあなたに、興味なんてありませんでした」

 

 端的な告白に、俺は返す言葉もない。

 

「私が興味を持っていたのは、月澄さんの方です。彼女とは以前、ピアノやバイオリンのコンクールでたびたび一緒になっておりましたから」

 

 木南先輩の声音は、鈴を転がすように美しい。けれど、無機質に乾いていた。

 

「私の次に上手だったあの子が、私が辞めた後に私より良い成績を出したと聞いて……ふふ、私、幼稚で負けず嫌いでしょう? ハイスコアの更新が出来なかったら、レアドロを手に入れるまで周回するような、そんな未熟な人間なのです」

 

 先輩は自嘲気味に口元を歪める。

 

「だから、あなたにちょっかいをかけました。月澄さんがあなたを想っているのは、一目見れば分かりましたから。嫉妬した月澄さんがあなたにアプローチをかけたら、さぞ見物(みもの)だろうな、と思って……積極的に関わりました」

 

 脳裏に、先輩との思い出が走馬灯のように蘇る。

 生徒会室での雑談。放課後に奢ってもらったカフェのパンケーキ。休日に待ち合わせての映画鑑賞。

 

 先輩はいつも完璧で、優しくて、俺のつまらない話を楽しそうに聞いてくれた。

 

 そこに、そんな真意があったなんて、今の今まで微塵も感じなかった。

 俺にとって木南先輩は、尊敬できる先輩であると同時に、気の置けない友人だったのだ。

 

「でも、不思議なものですね」

 

 先輩が俺の顔を覗き込む。長い黒髪がさらりと流れ落ち、俺の頬をくすぐった。

 

「あなたは私と仲良くしてくれたのに、決して恋には落ちなかった。私との逢瀬を何度も重ねて、他愛ない冗談で何度も笑い合って、私のくだらない童心にも気付いてくれたのに……私を女として見ることは、一度もありませんでした」

 

「それは……先輩が、高嶺の花すぎて」

 

「いいえ、違います」

 

 先輩は即座に否定した。

 

「あなたが話すのは、いつもいつも他の女性の話ばかり。ご自分では気付いていないでしょう? あなたはね、ご機嫌で気が緩んだとき、月澄さんや……冷水(しみず)さんや火伏(ひぶせ)さんの話をするんですよ」

 

 指摘され、心臓が跳ねる。

 そんなつもりはなかった。けれど、言われてみれば否定できない自分がいる。

 

 先輩の声色に、じわりと混じる濁りがある。熱と湿度を帯びた、昏く艶めく情念。

 

「『希少性の原理』に近しいものでしょう。なんでも思い通りになってきた私からすると、私になびかない殿方というのは……それはそれは珍しいものでした」

 

 先輩の手が、俺の髪から頬へ、そして首筋へと滑り落ちる。ひんやりとした指先が、脈打つ俺の首筋に触れた。

 

「初めはただの(たわむ)れでした。月澄さんへの当てつけをして、月澄さんが動けば手を引くつもりでした。なのに、気付けば意地になって、朝な夕なにあなたのことを考えていました」

 

 ふっ、と先輩は小さく肩をすくめた。

 

「『ミイラ取りがミイラになる』、『狩人罠にかかる』、まさしくそんなところです」

 

 その仕草を見て、俺は息を呑んだ。

 

 肩をすくめるのは、俺の癖だ。

 そして俺のその癖は、幼い頃からずっと見てきたフユミの真似だった。

 

 誰の前でもやっていたわけではない。親しい人の前でだけ出る癖。

 そんな些細な癖が伝染るほど、木南先輩は俺を見ていてくれたのか。

 

「それであなたに恋してしまったんです。つくづく馬鹿な女でしょう? どうか笑ってください」

 

 

 

 

 

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