「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
「あなたに恋してしまったんです。つくづく馬鹿な女でしょう? どうか笑ってください」
自嘲的に唇の端を歪める微笑。
いつもの完璧な表情とは全く異なる、硝子細工にヒビが入ったような、イビツな表情。
天使が通ったとでも形容すべき沈黙の間。
その空白を埋めるように、窓の外の太陽が稜線を越えた。
射し込む光の角度が変わる。
無機質な白い壁、スチール製の点滴スタンド、そして木南先輩のシルエットが、瞬く間に黄金色へと塗り替えられていく。
空気中に漂う塵の一つ一つが、金粉のように輝きながら対流する。
朝日は世界に輝きを強いる。
ただ、木南先輩だけが逆光の影の中にいた。
「……日村さん、落ち着いて聞いてくださいね」
木南先輩はいずまいを正す。
その表情は、いつも通りに仮面めいた、完璧な微笑に戻っていた。
「あなたは脳血管に奇形を抱えていました。いつ破裂してもおかしくない、余命いくばくかの状況だったのです」
唐突な宣告に、
「……え?」
俺は耳を疑った。
脳血管の奇形? 俺に?
「幸い、開頭手術の必要はありませんでした。手首からカテーテルを通し、血管内治療で完治する程度のものでしたから。手術は無事に終わっています。今のあなたに、命の危険はありません」
先輩の視線に促され、俺は自分の手首に目を落とす。
そこには確かに、小さな
実感が、じわじわと湧き上がってくる。
俺は死にかけていたのか。そして、助かったのか?
「ですが……あなたは手術を拒みました」
先輩の声が、少しだけ低くなる。
「手術に伴うリスクを、極端に恐れたからです。もし失敗して、記憶障害が残ったらどうするのかと。
俺が、そんなことを言ったのか?
信じられなかったが──少し考えたら、納得できた。
これといって大切なものなんてない俺にとって、フユミとの過去や、皆との他愛ない思い出が全てだ。
それを失って生き続けることに耐えられない──その思考は、イメージできる。
「
先輩は悪びれる様子もなく、平然と言い放った。
「あなたの尊厳と自由より、あなたとの過去より、あなたとの未来が惜しかったのです」
木南先輩の瞳には、揺るぎない光と底知れない闇が宿っていた。
俺の命を救ってくれた恩人なのに、言葉はまるで呪いのように染み渡る。
「その結果、医師の懸念は的中しました。今のあなたは『
「それは……?」
「新しい記憶を定着させることができないのです。あなたの記憶は、眠ったり意識を失ったりするたびに、リセットされます。起きていた間の記憶が、すべて消えてしまうのです」
言われている意味を噛み砕くのに、数秒かかった。
寝たら、忘れる?
そんな馬鹿な。
「実感が……ありません。俺は、ちゃんと覚えているつもりです。先輩とこうして話していることも、フユミのことだって」
俺の反論に、先輩はひどく虚しげに、陽炎のように、儚い微笑を浮かべた。
「ええ、そうおっしゃると思いました。私があなたに前向性健忘の話をするのは、これで六回目ですから」
「……え?」
「私が最初に説明してから、すでに一時間が経過しています。あなたは気絶しては起きてを繰り返しているのです。前向性健忘と宣告されるたびに驚いて、絶望して、そしてまた意識を失う。その繰り返しです」
ぞわ、と全身の毛穴が開いた。
六回目?
この会話が? この衝撃が?
俺が絶句していると、先輩は
「ですが、そう悲観すべきではありません。起きてから気絶するまでの時間は、確実に伸び続けています。回復に向かっている証拠です。だからこそ医師も、私の面会希望に応えてくれました」
先輩は優しく俺の手を握る。その温もりだけが、今の俺を繋ぎ止める唯一の命綱だった。
「俺は……本当に、記憶障害なんですか?」
嘘だと言ってほしい。悪い冗談だと笑ってほしい。
「昨夜、月澄さんと何をしたのか思い出せますか?」
先輩は静かに問い返す。
昨夜。
俺はフユミと……。
なんでフユミといっしょだったんだ?
フユミの家に行ったから……
なんでフユミの家に行ったんだ?
記憶の海を探っても、暗闇の中で空転する。
目覚めてすぐに夢を忘れていく感覚に似ている。
確かにあったはずの影を見失い、輪郭すらほどけていく。
思い出せない。
曖昧で、
「……っ」
俺の顔から血の気が引いていくのが自分でもわかる。きっと青ざめているのだろう。どこか他人事に感じる。そんな俺を、先輩はじっと見つめている。
「すぐに、治りますよね?」
恐怖を押し殺し、希望を込めて尋ねた。
先輩は深く頷いた。
「ええ。一週間ほどすれば、間違いなく治る、とのことです。脳の
安堵の吐息が、細く長く漏れ出た。
一週間。
たった一週間だ。それなら耐えられるかもしれない。
けど────。
その一週間の間、俺の記憶はどうなる?
今日起きたことを、明日には忘れている。明日起きたことを、明後日には忘れている。
俺の人生に、空白の一週間が現れるということか。
「俺は……いつか、全て思い出せるようになりますか? この一週間のことも」
「それは間違いありません。今は定着しないだけで、脳の奥底には記録されていますから。完治すれば、霧が晴れるように思い出すはずです」
よかった。
俺は安堵の息を吐く。
一生の記憶を失うわけじゃない。ただ、一時的に思い出せなくなるだけだ。
そう自分に言い聞かせる俺を見て、木南先輩はどこか軽やかな、けれど底冷えするような声で言った。
「では日村さん。ちょっとした宣戦布告をしましょうか」
「宣戦……布告?」
「次にあなたが気絶して目覚めた後、あなたは月澄さんとのことを忘れているでしょう。私への警戒心も、この会話も、すべてリセットされています」
先輩は俺の手を取り、ぎゅっと力を込めた。
「そのとき、私はあなたを誘惑します。色仕掛け、泣き落とし、ありとあらゆる手段を使って、あなたを