「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
「おいしい?」
フユミが、テーブルの向かいから尋ねてくる。
ちょうど食べ終わった俺は、ほう、と息を吐いた。
「ああ、おいしかった」
本当に美味しかった。
フユミが作ってくれたのは、クリームチキンリゾットだった。
体が内側から温まってくるのを感じる。そう言えば、十時間ほど何も食べていなかった。気付けば胃痛もない。
「おいしかったなぁ……」
ついつい繰り返してしまった。
「そ。よかった」
フユミは碧眼を細めた。
大人びて穏やかな笑顔だった。
フユミはポットを手に取り、ティーカップにお湯を注ぐ。うつむいた表紙に、金髪のツインテールが、肩から下へさらりと流れる。
綺麗だ。
「なによ、まじまじと見て」
「いやあ」
とっさに目を逸らすと、窓の外は夕暮れだった。
茜空、雲は細くたなびき、桜色と金色で彩られている。
早咲きの向日葵が、
部屋には、フユミの淹れたレモンティーの匂いが広がる。
閉じていた世界が開いたような、不思議な感覚があった。
そんな俺の戸惑いを察したのか、フユミは「はぁ、まったく」とため息をついた。
「バカなのよ、アンタ」
フユミは呆れたように肩をすくめ、やれやれと首を振ってみせる。
「悩み出したらいっつもそう。寝れなくなって食べれなくなって、視野狭窄でグルグル悩んで、すぐにカラダ壊しちゃう。昔から何にも変わってないんだから」
フユミは紅茶に口をつける。白磁の喉が小さく動く。そして、また嘆息する。
「いい? 疲れてるときに悩んじゃダメ。疲れてるときは、ごはん食べて寝なさい。悩むのは健康になってからよ」
「……ごめん」
「バカ。こういうときは
「……うん。ありがとう」
フユミは俺の感謝を、
「ん」
当たり前のように受け取ってくれた。
ふと、網戸越しに涼風が吹き込む。
さあっとレースのカーテンが揺れる。
草いきれに似た、微かな青い薫り。
肌を撫でる風は少しだけ乾いていて、梅雨明けを物語っていた。
そういや、もう夏至を過ぎている。
今日は七月三日。
夏はすぐそこまで来ている。
フユミが俺の顔を覗き込んだ。
「冷えてきた? 窓、閉めましょうか」
フユミが立ち上がろうとするのを、
「いや、あったかい」
俺は手で制した。
「……あったかいよ」
「そう。よかったわ」
フユミは淡々と応え、慈しむように微笑んだ。
◆
片付けを終えた俺たちは、肩を並べてスマブラをしていた。
フユミが「しよう」と言ったのだ。
とうぜん俺は逆らえない。
「はいカウンター」
「あ、ヤバ」
俺のマリオがフユミのロイに吹っ飛ばされ、画面に頭をぶつける。
「強いなぁ、フユミ」
「アキハ先輩には負けたけどね」
さらりと落とされた爆弾。
行間に含まれた重みにのしかかられ、俺は隣を見ることができない。
「まあ、今あんたに勝てたわけだし、せっかくだから罰ゲームでもさせましょうか」
「な、なんでも! なんでもやります!」
「じゃ、黙ってて。私がずっと喋るから」
「はぃ……」
俺は口を噤み、うかつに喋るまいと誓った。
「次の試合でも、負けたら罰ゲームね。……あ、返事はしてもいいわよ。わかった?」
「うん」
「敬語」
「はい」
俺たちはキャラクターを選び直し、試合を開始した。
フユミはGCコントローラを軽快に操作しつつ、
「覚えてる?」
平坦な声で切り出す。
「アンタの家で、初めてスマブラしたときのこと」
「はい」
「あたし、人に負けるの初めてで。もう、悔しくて悔しくて」
「……はい」
「やっぱ敬語やめて」
「うん」
俺の横スマをフユミはジャストガードした。
「で、あんた気を遣って負けてくれたのよね」
「そしたらフユミ泣いちゃったんだよな」
失言。
しばし、沈黙。
俺の心拍数はじわじわと上がり、呼吸もだんだん荒くなる。
黙れと言われたのに、つい喋ってしまった。
謝ろうかと考える前に、
「ちゃんと覚えてんじゃない」
フユミが言った。
「あたし、気を遣われるのがイヤなの。あんたにだけは気遣われたくないの。トーマに気遣われると、悔しくて悲しくて寂しくて、頭がどうにかなるのよ」
それと、とフユミは続ける。
「5月にカラオケ行ったときのこと、覚えてる? コハルとナツキといっしょだったの」
「うん」
俺は頷いた。
文化祭実行委員になった俺たちは、親睦会を兼ねてカラオケに行った。『3年目の浮気』をフユミとデュエットしたことを鮮明に思い出せる。
「帰り道に私が言ったこと、覚えてる?」
「うん」
一字一句たがわずに思い出せる。
『私、トーマがひどいことしても、ちゃんと誠意を示してくれたら、ちゃんと受け容れてあげる。愛想尽かして出て行ったりしないわ。ずっと一緒にいてあげるから』
街灯に照らされた金髪がきらきら輝いていたこと。フユミが天使みたいに笑っていたこと。ちゃんと思い出せる。
「じゃあ、最後に」
フユミは続ける。
「四月三十日に、私
「思い出せるよ、今は」
自分のものとは思えないほど強い声が出た。
「ずっと一緒にいたかった、って。俺はそう言った」
「ええ。ちゃんと覚えてんじゃない」
俺は横目でフユミを見る。フユミは画面を見つめたまま言う。
「ずっと一緒よ、私たちは。もう何があってもずっと一緒。トーマが浮気しても、犯罪者になっても、私のこと嫌いになっても、どこか遠くへ行こうとしても、シワシワのおじいちゃんになっても、ずっと一緒」
だから、とフユミは続ける。
「だから、いちいち不安がるんじゃないわよ。何があったって私がいるんだから。トーマはもう独りぼっちにはなれないの。みんなから嫌われたって、私はずっと一緒にいるから」
俺は歯を食いしばる。
こみあげる嗚咽を口の中で噛み殺す。吐いた息が情けなく震える。
フユミは三度目のため息を吐いた。
「泣き虫……は、お互い様か。まあ、今はいいわ」
試合は終了。俺は残機を全て失ったらしい。
滲んだ視界では画面も見えない。
目の前が真っ暗になって、温もりに包まれる。フユミが抱きしめてくれている。
「今はいいから、明日からはシャキッとしなさいよ。アンタ、変なトコで卑屈すぎんのよ。どーしてそんなに自信が無いのかしらね」
穏やかな声が降ってくる。
「私で童貞捨てたくせに」