「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。 作:会澤迅一
俺は陽射しの中で目覚めた。
薄目を開けて窓を見る。太陽の位置は真上に近い。
壁掛け時計へ視線を移す。
時刻は午前十時十二分。昼前だ。
のっそり身をよじると、腰から背中にかけて、鈍い筋肉痛が走った。
……夜明けまで続けてたんだから、そりゃそうか。
俺はボンヤリとした頭で、昨夜の狂騒を思い返す。
優しくて、激しくて、息もつけないほどの熱。
お互いの輪郭が溶けてなくなるんじゃないかと思うくらい、何度も何度も肌を重ねた。フユミの体力と執念は凄まじかった。優等生で引っ込み思案だった幼なじみの、あんな剥き出しの姿を知っているのは、世界中で俺だけだ。
そう思うと頬がニヤニヤと緩み、締まりのない顔になる。締まりのないのは元からか。元からだったわ。
隣にフユミの姿はない。
シーツには、フユミの匂いだけがかすかに残っている。
今日は七曜祭の最終日。
土曜日なので、一般公開日ではあるが全校生徒に登校義務はない。俺もクラスの出し物のシフトが入っているわけでもなく、特に予定らしい予定はなかった。
どうしようか、と一瞬だけ考えたそのとき。
ジリリリリリッ!!!
鼓膜を
「うおっ!!?」
跳ね起きてスマホを取る。俺がセットした時間じゃない。
画面を見て、思わず変な声が出た。
アラームのタイトル設定画面に、こう表示されていたのだ。
『LINE見て。フユミより』
……いつの間に俺のスマホのロックを解除して、アラーム設定までいじったんだ。
恐ろしい子!
俺は急速に眠気が冴えてくるのを感じつつ、指示通りにLINEを開いた。
フユミからの通知が一件。
『おはようございます』
画面の向こうから、凛とした声が聞こえてくるようだった。
幼なじみ同士のLINEにしては妙に丁寧な、ですます調の文面。
こういうところに、彼女の育ちの良さと生真面目さが滲み出ている。
『今日は七曜祭の最終日です。
一時間後にアキハ先輩がそちらに向かいます。
その後のことは先輩の指示に従ってください。
朝食は、キッチンにラップをかけて用意してあります。レンジで温めて食べてくださいね。
それから、ゆうべお風呂に入ったあとにのも、たたくさん汗をかいてしまたので、朝風呂に入ってください。ちょうど今、タイマーでお湯が沸くようにしてあります。制服もアイロンをかけて、リビングに掛けておきました』
俺はスマホを握りしめたまま、ベッドの上で天井を仰いだ。
至れり尽くせりすぎる。
朝食に、風呂に、アイロンがけされた制服。おまけに、俺の起床時間から逆算した完璧なスケジュール管理。
まるでお母さんだ。いや、お母さん以上だ。女神様だ。愛に応えられるよう、頼りきりで堕落してしまわぬよう、しっかりしよう。
ありがとうフユミ。今も昔も。
俺、一生、頭上がりませんよ。
フユミからのメッセージを何度も読み返すうちに、誤字脱字衍字があることに気づいた。フユミもフユミで動揺はあったようだ。
フユミ……。フユミ……!
俺は心の中で、フユミの家がある方へ向かって深く平伏した。
フユミの愛情が、ただひたすらにありがたい。
俺はベッドから飛び出し、リビングへの扉を開け放つ。
サァッ、と風が通り抜けた。
フユミが開けておいてくれたのだろう。窓から吹き込む初夏の風が、部屋の中を爽やかに循環している。
テーブルの上には、きちんとラップのかけられたクラブハウスサンドイッチ。
ハンガーには、シワひとつない俺の制服。
そして洗面所からは、お湯が沸いたことを知らせる軽快な電子音が聞こえてきた。
俺は大きく深呼吸をした。
澄み切った空気が、肺の奥まで淀みなく入ってくる。
昨日まで俺の胃をギリギリと締め上げていた、あの吐き気を催すようなドス黒い苦悩は、揺るぎない決意に変わっていた。
窓の外には、雲ひとつない、抜けるような青空。
初夏の日差しが、フローリングを明るく照らしている。
「よし」
俺は両手でパンッと頬を叩き、気合を入れた。
あと一時間で、あのアキハ先輩がやってくる。
俺はもう逃げない。
これだけ愛されたのだから、俺も腹をくくる。
俺は洗面所へ向かい、服を脱ぎ捨てて、シャワーを浴びた。
◆
ピンポーン。
予定時刻ぴったりに、インターホンが鳴った。
心臓は、驚くほど落ち着いていた。昨日の俺ならビクついていただろうが、今の俺はもう違う。
扉を開けると、アキハ先輩がそこにいた。
「なんだか久しぶりに感じますね」
アキハ先輩は初夏の日差しを受け、眩しげに瞳を細めた。
七曜学園の生徒会長であり、俺の運命を強引に、そして完璧に書き換えたひと。
夏風が吹き抜けて、艶やかな黒髪は滑らかにたゆたう。
彼女はゆっくりと俺の顔を見上げた。切れ長の瞳が俺の胸を刺す。
「……記憶を全て取り戻されたのですね」
確信に満ちた洞察だった。
「はい」
俺は真っ直ぐにアキハ先輩の瞳を見返す。
「アキハ先輩。俺は、」
その瞬間だった。
アキハ先輩の背後から、巨大な人影が現れた。
いや、最初からそこにいたのだ。
巨大で筋肉質な老女。執事服をまとった彼女は髙《たか》 貴美子《きみこ》、通称タカさん。アキハ先輩の使用人にしてボディガードだ。
ただ無言で立っているだけなのに、岩山のような威圧感がのしかかってくる。
「日村斗真さん」
タカさんの声は、地底から響くが如く重く低い。
「はい」
俺は反射的に背筋を正す。全身が張り詰める。
「お嬢様が、お世話になっております」
タカさんが、わずかに顎を引いた。
「いやあ、あの」
俺は恐縮し、慌てて深く頭を下げようとした。
俺は木南秋葉に──大事な大事なお嬢様に、とんでもないことをしでかした張本人なのだ。
しかし。
俺の頭が下がるより早く、ガシッ! と万力のような力で肩を抑え込まれる。
「えっ?」
タカさんの巨大な掌だった。
微動だにできない。老婆の握力とは到底思えない、というより人の力とは思えない。鋼鉄のバイスのような怪力が俺の肩を固定している。
「あなたの頭は軽くない」
静かだが、絶対的な気迫。
ツルなしメガネ越しの眼光に射抜かれた俺は、凍ったように固まった。
タカさんは俺をジッと見つめてから、スッと手を放した。
そして、淡々とした口調で続ける。
「胸を張ってください。あなたは木南秋葉に並び立つのですから」
タカさんは、今度は深く頭を下げてくれた。
俺はようやく理解した。
タカさんは、俺に教えてくれたのだ。
アキハ先輩は、木南財閥の次期総帥だ。
その隣に立つ以上、俺が卑屈になることなど許されない。
タカさんは『誇れ』と伝えてくれたのだ。
それは木南家使用人筆頭からの鮮烈な洗礼であり──激励だった。
「お車をご用意してございます。お嬢様、若様、どうぞこちらへ」
タカさんが手掌にて黒塗りの高級車を指し示すのに従い、俺は胸を張って 待って、若様??
若様!!?!?!?!?
「若旦那様、略して若様ですね」
アキハ先輩は特に気にした様子もなく、流れるような動作で車の方へと歩き出す。
若様。若旦那。
つまり、そういうことだ。名家の大事な大事な一人娘に手を出してしまったのだ。当然、行き着く先は『結婚』の二文字になる。
結婚。
結婚!
相手は木南家である。木南ホールディングスは日本一の巨大財閥である。トップである総帥はアキハ先輩の御父上。アキハ先輩は次期総帥である。
そんな名家へ、俺はいつか挨拶に行くことになる。
先ほどのタカさんのプレッシャーとは別次元の悪寒が、文字通りの死の予感が、俺の背筋を駆け上る。
普通の恋人同士なら「娘さんを僕にください」で済む。
だが、俺の現状はどうだ。
婚前交渉の事実はもちろん、四股である。
あの木南財閥の総帥に向かって、俺はこう宣言しなくてはならないのだ。
『嫁入り前の娘さんを既に頂きました。そして僕には他にも想い人が三人おります。結婚のお許しを頂けますでしょうか?』
俺が父親なら一旦ブン殴ってから考え直し、娘の今後について熟慮し、その上で念入りにブチ殺すだろう。
……ガチのマジで詰んでいる。
2000%殺される。
東京湾に沈められるなんて生温かいもんじゃない。見たことも聞いたこともない拷問器具とか持ち出されて、ねっとりジックリなぶり殺されそう。
想像しただけで胃袋が裏返り、膝の震えが止まらなくなりそうだった。
でも、やる。
俺はギュッと拳を握りしめ、震えを無理やりねじ伏せた。
もう決心したんだ。絶対に退かない。
相手が財閥のトップだろうが、悪の秘密結社だろうが、もう関係ない。
俺は四人全員を幸せにすると決めた。
そのためなら、やる。命懸けでもやる。
俺は、胸いっぱいに空気を吸い込み、改めて背筋を伸ばす。
力強く一歩を踏み出し、彼女たちの背中についていった。