「私で童貞捨てたくせに」と学園美少女四天王から言われてるんですが、まったく記憶にございません。   作:会澤迅一

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第12話 決意の朝に(前編)

 俺は陽射しの中で目覚めた。

 薄目を開けて窓を見る。太陽の位置は真上に近い。

 

 壁掛け時計へ視線を移す。

 

 時刻は午前十時十二分。昼前だ。

 のっそり身をよじると、腰から背中にかけて、鈍い筋肉痛が走った。

 

 ……夜明けまで続けてたんだから、そりゃそうか。

 

 俺はボンヤリとした頭で、昨夜の狂騒を思い返す。

 

 優しくて、激しくて、息もつけないほどの熱。

 

 お互いの輪郭が溶けてなくなるんじゃないかと思うくらい、何度も何度も肌を重ねた。フユミの体力と執念は凄まじかった。優等生で引っ込み思案だった幼なじみの、あんな剥き出しの姿を知っているのは、世界中で俺だけだ。

 

 そう思うと頬がニヤニヤと緩み、締まりのない顔になる。締まりのないのは元からか。元からだったわ。

 

 隣にフユミの姿はない。

 シーツには、フユミの匂いだけがかすかに残っている。

 

 今日は七曜祭の最終日。

 

 土曜日なので、一般公開日ではあるが全校生徒に登校義務はない。俺もクラスの出し物のシフトが入っているわけでもなく、特に予定らしい予定はなかった。

 

 どうしようか、と一瞬だけ考えたそのとき。

 

 ジリリリリリッ!!!

 

 鼓膜を(つんざ)くアラーム。

 

「うおっ!!?」

 

 跳ね起きてスマホを取る。俺がセットした時間じゃない。

 

 画面を見て、思わず変な声が出た。

 アラームのタイトル設定画面に、こう表示されていたのだ。

 

『LINE見て。フユミより』

 

 ……いつの間に俺のスマホのロックを解除して、アラーム設定までいじったんだ。

 

 恐ろしい子!

 

 俺は急速に眠気が冴えてくるのを感じつつ、指示通りにLINEを開いた。

 

 フユミからの通知が一件。

 

『おはようございます』

 

 画面の向こうから、凛とした声が聞こえてくるようだった。

 幼なじみ同士のLINEにしては妙に丁寧な、ですます調の文面。

 

 こういうところに、彼女の育ちの良さと生真面目さが滲み出ている。

 

『今日は七曜祭の最終日です。

 一時間後にアキハ先輩がそちらに向かいます。

 その後のことは先輩の指示に従ってください。

 朝食は、キッチンにラップをかけて用意してあります。レンジで温めて食べてくださいね。

 それから、ゆうべお風呂に入ったあとにのも、たたくさん汗をかいてしまたので、朝風呂に入ってください。ちょうど今、タイマーでお湯が沸くようにしてあります。制服もアイロンをかけて、リビングに掛けておきました』

 

 俺はスマホを握りしめたまま、ベッドの上で天井を仰いだ。

 

 至れり尽くせりすぎる。

 朝食に、風呂に、アイロンがけされた制服。おまけに、俺の起床時間から逆算した完璧なスケジュール管理。

 

 まるでお母さんだ。いや、お母さん以上だ。女神様だ。愛に応えられるよう、頼りきりで堕落してしまわぬよう、しっかりしよう。

 

 ありがとうフユミ。今も昔も。

 俺、一生、頭上がりませんよ。

 

 フユミからのメッセージを何度も読み返すうちに、誤字脱字衍字があることに気づいた。フユミもフユミで動揺はあったようだ。

 

 フユミ……。フユミ……!

 

 俺は心の中で、フユミの家がある方へ向かって深く平伏した。

 

 フユミの愛情が、ただひたすらにありがたい。

 俺はベッドから飛び出し、リビングへの扉を開け放つ。

 

 サァッ、と風が通り抜けた。

 フユミが開けておいてくれたのだろう。窓から吹き込む初夏の風が、部屋の中を爽やかに循環している。

 

 テーブルの上には、きちんとラップのかけられたクラブハウスサンドイッチ。

 

 ハンガーには、シワひとつない俺の制服。

 そして洗面所からは、お湯が沸いたことを知らせる軽快な電子音が聞こえてきた。

 

 俺は大きく深呼吸をした。

 澄み切った空気が、肺の奥まで淀みなく入ってくる。 

 

 昨日まで俺の胃をギリギリと締め上げていた、あの吐き気を催すようなドス黒い苦悩は、揺るぎない決意に変わっていた。

 

 窓の外には、雲ひとつない、抜けるような青空。

 初夏の日差しが、フローリングを明るく照らしている。

 

「よし」

 

 俺は両手でパンッと頬を叩き、気合を入れた。

 あと一時間で、あのアキハ先輩がやってくる。

 

 俺はもう逃げない。

 これだけ愛されたのだから、俺も腹をくくる。

 

 俺は洗面所へ向かい、服を脱ぎ捨てて、シャワーを浴びた。

 

 

 

 ピンポーン。

 予定時刻ぴったりに、インターホンが鳴った。

 心臓は、驚くほど落ち着いていた。昨日の俺ならビクついていただろうが、今の俺はもう違う。

 

 扉を開けると、アキハ先輩がそこにいた。

 

「なんだか久しぶりに感じますね」

 

 アキハ先輩は初夏の日差しを受け、眩しげに瞳を細めた。

 

 木南(きなみ) 秋葉(あきは)

 

 七曜学園の生徒会長であり、俺の運命を強引に、そして完璧に書き換えたひと。

 

 夏風が吹き抜けて、艶やかな黒髪は滑らかにたゆたう。

 

 彼女はゆっくりと俺の顔を見上げた。切れ長の瞳が俺の胸を刺す。

 

「……記憶を全て取り戻されたのですね」

 

 確信に満ちた洞察だった。

 

「はい」

 

 俺は真っ直ぐにアキハ先輩の瞳を見返す。

 

「アキハ先輩。俺は、」

 

 その瞬間だった。

 

 アキハ先輩の背後から、巨大な人影が現れた。

 

 いや、最初からそこにいたのだ。

 巨大で筋肉質な老女。執事服をまとった彼女は髙《たか》 貴美子《きみこ》、通称タカさん。アキハ先輩の使用人にしてボディガードだ。

 

 ただ無言で立っているだけなのに、岩山のような威圧感がのしかかってくる。

 

「日村斗真さん」

 

 タカさんの声は、地底から響くが如く重く低い。

 

「はい」

 

 俺は反射的に背筋を正す。全身が張り詰める。

 

「お嬢様が、お世話になっております」

 

 タカさんが、わずかに顎を引いた。

 

「いやあ、あの」

 

 俺は恐縮し、慌てて深く頭を下げようとした。

 俺は木南秋葉に──大事な大事なお嬢様に、とんでもないことをしでかした張本人なのだ。

 

 しかし。

 俺の頭が下がるより早く、ガシッ! と万力のような力で肩を抑え込まれる。

 

「えっ?」

 

 タカさんの巨大な掌だった。

 微動だにできない。老婆の握力とは到底思えない、というより人の力とは思えない。鋼鉄のバイスのような怪力が俺の肩を固定している。

 

「あなたの頭は軽くない」

 

 静かだが、絶対的な気迫。

 ツルなしメガネ越しの眼光に射抜かれた俺は、凍ったように固まった。

 

 タカさんは俺をジッと見つめてから、スッと手を放した。

 

 そして、淡々とした口調で続ける。

 

「胸を張ってください。あなたは木南秋葉に並び立つのですから」

 

 タカさんは、今度は深く頭を下げてくれた。

 

 俺はようやく理解した。

 

 タカさんは、俺に教えてくれたのだ。

 アキハ先輩は、木南財閥の次期総帥だ。

 その隣に立つ以上、俺が卑屈になることなど許されない。

 

 タカさんは『誇れ』と伝えてくれたのだ。

 それは木南家使用人筆頭からの鮮烈な洗礼であり──激励だった。

 

「お車をご用意してございます。お嬢様、若様、どうぞこちらへ」

 

 タカさんが手掌にて黒塗りの高級車を指し示すのに従い、俺は胸を張って 待って、若様??

 

 若様!!?!?!?!?

 

「若旦那様、略して若様ですね」

 

 アキハ先輩は特に気にした様子もなく、流れるような動作で車の方へと歩き出す。

 

 若様。若旦那。

 つまり、そういうことだ。名家の大事な大事な一人娘に手を出してしまったのだ。当然、行き着く先は『結婚』の二文字になる。

 

 結婚。

 

 結婚!

 相手は木南家である。木南ホールディングスは日本一の巨大財閥である。トップである総帥はアキハ先輩の御父上。アキハ先輩は次期総帥である。

 

 そんな名家へ、俺はいつか挨拶に行くことになる。

 先ほどのタカさんのプレッシャーとは別次元の悪寒が、文字通りの死の予感が、俺の背筋を駆け上る。

 

 普通の恋人同士なら「娘さんを僕にください」で済む。

 

 だが、俺の現状はどうだ。

 婚前交渉の事実はもちろん、四股である。

 

 あの木南財閥の総帥に向かって、俺はこう宣言しなくてはならないのだ。

 

『嫁入り前の娘さんを既に頂きました。そして僕には他にも想い人が三人おります。結婚のお許しを頂けますでしょうか?』

 

 俺が父親なら一旦ブン殴ってから考え直し、娘の今後について熟慮し、その上で念入りにブチ殺すだろう。

 

 ……ガチのマジで詰んでいる。

 

 2000%殺される。

 東京湾に沈められるなんて生温かいもんじゃない。見たことも聞いたこともない拷問器具とか持ち出されて、ねっとりジックリなぶり殺されそう。

 

 想像しただけで胃袋が裏返り、膝の震えが止まらなくなりそうだった。

 

 でも、やる。

 

 俺はギュッと拳を握りしめ、震えを無理やりねじ伏せた。

 

 もう決心したんだ。絶対に退かない。

 相手が財閥のトップだろうが、悪の秘密結社だろうが、もう関係ない。

 

 俺は四人全員を幸せにすると決めた。

 そのためなら、やる。命懸けでもやる。

 

 俺は、胸いっぱいに空気を吸い込み、改めて背筋を伸ばす。

 

 力強く一歩を踏み出し、彼女たちの背中についていった。

 

 

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