魔導産業革命 ~エネルギーシフトと覇権通貨「エン」がもたらす軍事なき支配~ 作:Camel おさ
Extra-1 主権の天秤と南東のネックレス
時は8月――。
世界初の「アインズマス」が世に公表される数か月前のこと――。
ノヴァリア王宮、統治評議室。
磨き上げられた黒大理石の卓を囲むのは、この世界の新たな理(ことわり)を司る者たち。
「――以上が、今期における属国二国への行政法整備、および『管理された熱狂』の進捗にございます」
純白のドレスを纏った宰相アルベドが、流暢に報告を締めくくった。
その隣では、デミウルゴスが静かに眼鏡のブリッジを押し上げる。
「素晴らしい進捗ですね、アルベド。自衛という国家の根幹を我が国へ依存しきった彼らは、もはや自ら進んで従順な家畜であり続ける道を選んでいるのです」
「ええ、まさにその通りですわ、デミウルゴス様」
末席から可憐な声を響かせたのは、中央銀行総裁、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ。彼女の瞳の奥には、異形としての濁った知性が宿っていた。
「金融の観点からも、帝国・聖王国との国際水平分業は極めて円滑に機能しております。両国が稼ぎ出す富は、すべて覇権通貨エンを介して、美しく我が国へと還流しております」
主座に深く腰掛けた魔導王アインズ・ウール・ゴウンは、骸骨の貌(かお)をピクリとも動かさずに、頷いて見せた。
アルベドが金色の瞳をアインズへ向ける。
「この完成された支配をさらに盤石なものとし、さらなる属国管理を行うための『至高の叡智』が必要な時期に来ております」
デミウルゴスも眼鏡を光らせながらアインズを見る。
ラナーが黄金の顔をアインズへ向ける。
アインズの背骨がビクリと震えた。
(え……また来ちゃったの? 「深淵なるお考えをお聞かせください」のターンが……。いやいや、属国管理なんて思いつかないんだけどっ?)
アインズは勿体ぶるようにゆっくりと顎を引いた。
(……あ、そうだ。確か元の世界には『米軍基地』ってのがあったよな。軍隊を常駐させて、実質的に首根っこを握るっていう……)
「ふむ。バハルス帝国に魔導国軍の基地を建設してはどうかな。場所は、そうだな……」
(米軍基地と言えば横田基地だよね? 東京都は日本の南東に位置してるから……)
「南東が良いだろう」
アインズの何気ない提案に、ラナーが弾かれたように立ち上がり、壁に貼られた巨大な地図の前へ歩み出る。その長い指先が一点を示す。
「バハルス帝国の南東の地……かつては地図にも載っていなかった辺境、ルナール」
デミウルゴスのダイヤモンドの瞳がキラリと光った。
「なるほど。そういうこ――」
アインズが内心で「あ、やばい」と身構えたまさにその瞬間、
「そういうことですね!!」
ラナーがデミウルゴスの言葉を遮るかのように、甲高い声を響かせた。
滅多に動揺を見せないデミウルゴスが、発声を途中で遮られ、驚きに目を見張ったままラナーを凝視する。
「アインズ様! これほど精緻な地政学の方程式が実在するとは、全身が震えるほどの感動を禁じ得ません!」
(ち、地政学? そんなの聞いたことない……)
ラナーは頬を紅潮させ、興奮のままに地図をなぞる。
「現在、ルナールのさらに南東に位置する竜王国は、ビーストマンの侵攻で滅亡の危機に瀕しています。ですが、この地に『魔導国軍基地』を建設すればどうなるか――。ルナールを起点に、滅びゆく竜王国の眼前へ、我が国のアンデッド軍を救軍として送り込むことが可能となります! ビーストマンの牙に怯える女王ドラウディロンは、魔導国が差し出すアンデッドという甘美なハニーポットへ飛びつくしかありません! 軍事防衛を我が国へ委ね、決済を『エン』に限定された竜王国は、魔導国の経済的属国となる――。アインズ様は、帝国の首根っこを押さえると同時に、世界を包囲する完璧な『地政学的属国化計画』を編み上げておられたのです!」
あまりの急展開に、アインズの精神安定が発動する。
(えええっ、竜王国がビーストマンにっ? なにそれ、知らない。俺はただ、東京の横田基地を思い浮かべて「南東」って言っただけなんだけどっ? なんでそこから地政学的? 属国化? 計画? そんな意味不明な陰謀が爆誕するんだよっ。というか、ちょっと待って。今後この誤解の暴走、デミウルゴスだけじゃなくて、ラナーまでやり始めるのっ?)
「……見事な読み解きです、ラナー」
デミウルゴスが穏やかに、絶対的な知性を持つ者の余裕を湛えて微笑んだ。
「しかし、私はあなたに、竜王国がビーストマンに侵攻を受けている事実を話した覚えはありませんが」
「はい。デミウルゴス様からはお聞きしておりません」
「では、その情報をどこから」
「それくらい分かります。皆さまとも話をしますし」
ラナーは小首をかしげ、黄金と讃えられた無垢な笑みを浮かべた。
ラナーは第三王女だった頃と同様、領域守護者となった今も変わらず「籠の中の鳥」だ。中央銀行総裁として王宮へ来ることはあっても、外界へ自由に赴くことなどない。ではこの「籠の中の鳥」は、どうやって南東の危機を知り得たのか――。
ラナーは無数のゴミの中から、綺麗な部分だけを選りすぐって、宝石の嵌ったネックレスを自作する能力を持っている。その能力においては、デミウルゴスやアルベドをも凌駕する。
「流石ね、ラナー。化け物と呼ばれていただけのことはあるわ」
「お褒めいただき、ありがとうございます。アルベド様」
ラナーは片足を斜め後ろに引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ、ドレスの裾を持ち上げて一礼――伝統的なカーテシーのお辞儀――をした。
その姿を見ながら、アルベドはふと唇に指を当てた。
(アインズ様の偉大さに触れすぎるあまり、デミウルゴスの言葉を遮るという暴走に気づいていないようね。以前のあなたは、あの者――クライムに狂執していたはずなのに……)
ラナーの変化――アインズに向ける瞳の熱――に、アルベドは引っかかるものを覚えていた。
デミウルゴスが胸に手を当て、声高に言った。
「ルナール基地の建設、およびそれを起点とした竜王国へのコンタクトは、私が責任を持って執行いたしましょう」
「ええ、お願いするわ、デミウルゴス」
アインズは緑の光に包まれながら、威厳たっぷりに首を縦に振った。
「うむ。皆よくぞ私の真意にたどり着いた。ルナール基地の建設を進めよ。すべては、私の描くロードマップの通りだ」
竜王国の運命を載せた主権の天秤は、アインズの全く意図しないところで、魔導国側へと静かに傾き始めたのであった。