魔導産業革命 ~エネルギーシフトと覇権通貨「エン」がもたらす軍事なき支配~ 作:Camel おさ
「陛下! 大変でございます!」
バハルス帝国皇城、皇帝執務室。
豪奢な両開き扉が勢いよく開かれ、筆頭秘書官ロウネ・ヴァミリネンが息を切らしながら滑り込んできた。
礼儀作法をかなぐり捨てたその狼狽ぶりに、バジウッド・ペシュメルが、呆れたように肩をすくめる。
「おいおい、ヴァミリネン。お前がそうやって礼節を放り出すのは、いつだってあの骸骨の国絡みだぞ。少しは落ち着けっての」
「し、しかし! これは文字通りの一大事なのです!」
書類に目を通していた皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは、羽根ペンを置き、静かに顔を上げた。
かつて彼の胃を焼き焦がし、頭髪を奪いかけた絶望の嵐は、いまや過ぎ去っていた。魔導国の圧倒的な技術と文化の奔流に呑まれた現在のジルクニフにあるのは、澄み渡るような諦観(ていかん)と、奇妙なまでの誇りであった。
「構わん、言え。いまさら魔導王が何を仕掛けてこようと、驚きはせん」
ジルクニフの穏やかな促しに、ヴァミリネンは震える手で親書を差し出した。
「アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の御名による、公式親書にございますっ」
ジルクニフは、魔導国特有の上質な魔導紙に並ぶ流麗な文字へ視線を走らせた。
そこにしたためられていたのは、帝国領南東部ルナールへの、魔導国軍基地の建設要請――実質的な事前通告――であった。
「……なるほど。軍事基地の常駐か」
ジルクニフは小さく呟いた。
軍の解体と防衛権の魔導国への全面委譲を決定した時点で、帝国内にアンデッドの駐屯拠点が置かれることは織り込み済みだ。他国の軍隊を国内に常駐させられ、安全保障の首根っこを完全に握られる。主権国家としては屈辱の極みだが、すでにエン経済と魔導技術の恩恵にどっぷりと浸かった今となっては、予想の範囲内だ。
だが――ジルクニフの端正な眉が、わずかに中央へ寄った。
「どうしました、陛下? 何か不穏な文面でも?」
怪訝そうに覗き込むバジウッドに、ジルクニフは親書を軽く振って見せた。
「基地を置く場所だ。ルナールだとさ」
「ルナール? ……どこですかい、そりゃ?」
「帝国の南東部だ。岩山と痩せた荒野が広がるだけで、かつては地図に名すら載っていなかった、寂れた辺境の地だ」
「はあ? 帝都の目と鼻の先を押さえるならともかく、なんでまたそんなド田舎に?」
バジウッドが頭を掻きながら笑った。
だが、ジルクニフの目は笑っていなかった。
(待て……。あの化け物が、無意味な手を打つはずがない)
ジルクニフは立ち上がり、壁に掛けられた地図の前へと歩み寄った。
帝都アーウィンタールから視線を南東へと滑らせる。
ルナール。帝国の最果て。だが、そのさらに南東、国境の先に広がる広大な領土に視線が止まった瞬間――ジルクニフの脳裏で、バラバラだった情報のピースが音を立てて噛み合った。
(南東……ルナールの先にあるのは……竜王国……!)
ジルクニフの脳裏に、ある女の顔が浮かぶ。
ジルクニフが『嫌いな女ランキング』をつけるならば、不動の第一位はあの旧王国の化け物王女、ラナーだ。そして堂々の第二位に君臨するのが――竜王国の女王、ドラウディロン・オーリウクルス。幼女の皮を被る若作り婆だ。
「竜王国は今、ビーストマンの侵攻を受けていたな」
ジルクニフの呟きに、ヴァミリネンが慌てて記憶を探る。
「は、はい。すでに主要都市にまで侵攻が及び、国民が食料として屠殺(とさつ)されているとか……」
「そうだ。頼みの綱のスレイン法国も、エルフの国との戦争で手一杯。誰もあの女を助けられない」
ジルクニフは地図上のルナールを指先で強く叩いた。
「ルナールに魔導国軍基地を建設する――それは帝国の首根っこを押さえるためだけではない。ルナールという発射台から、竜王国の喉元へ、アンデッドの大軍を送り込むための布石だ」
バジウッドが目を見張り、息を呑んだ。
「なっ……! じゃあ魔導王は、ビーストマンを蹴散らして、竜王国を助ける気なんですか!?」
「助ける? まさか」
ジルクニフは乾いた笑いを漏らした。
「溺れる者が藁をも掴む瞬間に、法外な利息のついた極上の救命具を差し出すのだ。アンデッドの圧倒的な武力でビーストマンを皆殺しにして見せれば、あのドラウディロンとて魔導国に膝を屈するしかない。軍事防衛を丸投げし、産業をエン経済圏に飲み込まれ、息の根を止められた属国――第二のバハルス帝国の誕生だ」
部屋に静寂が落ちた。
ヴァミリネンは恐怖に青ざめ、バジウッドはただ呆然と主君を見つめている。
(まただ……。また、あの化け物は遥か先を見ている……)
ジルクニフの胸を満たしたのは、恐怖ではなかった。
むしろ、あまりにも精緻で無駄のない覇権のグランドデザインに対する、深い感嘆と畏怖であった。
帝国の武装解除を完了させたその足で、すでに次の獲物を包囲する完璧な方程式を組み上げている。一体どれだけ先の未来まで、あの骸骨の頭の中には描かれているのか――。
ジルクニフは執務机へと戻り、優雅な所作でペンを手に取った。
「陛下……承認されるのですか?」
ヴァミリネンの怯えたような問いに、ジルクニフは口角を吊り上げ、皮肉に満ちた笑みを浮かべた。
「断る理由がどこにある? 我が国は何の痛みも負わず、魔導国が勝手に辺境を開発し、ついでにあの目障りな若作り婆が、泣き面で魔導門をくぐる様を高みの見物できるのだぞ」
ジルクニフは迷うことなく、親書の受諾欄に流麗なサインを走らせた。
かつて自分が味わった絶望。
自国の防衛権を差し出し、家畜として生きることを選んだ屈辱。
だが、その檻の中は――認めたくはないが――驚くほどに豊かで、平和で、刺激に満ちている。
ジルクニフは親書を閉じ、南東の空を見据えながら、まだ見ぬ同胞へ向けて小さく呟いた。
「ようこそ、家畜の檻へ。ドラウディロン」