魔導産業革命 ~エネルギーシフトと覇権通貨「エン」がもたらす軍事なき支配~ 作:Camel おさ
激しい雨が、竜王国の地方都市「オハス」の崩落した城門を叩いていた。
背後の街道では、未だ避難を終えていない数千の領民たちが、泥を跳ね上げ、悲鳴を上げて逃げ惑っている。
「オラァッ!!」
ミスリル級戦士ガルド・バルトスが、身の丈ほどもある大剣を振るった。
人間の十倍の筋力を誇る亜人――ライオンの頭部を持つビーストマンの雑兵が、胸を切り裂かれて防壁の瓦礫へと吹き飛ぶ。
しかし、崩れた城門の向こうには、雨のカーテンを切り裂くように、無数の獣たちの爛々(らんらん)とした眼光がひしめいていた。
「ガルド、下がって! これ以上前線を広げないで!」
後方から鋭い声を飛ばしたのは、マジック・キャスターであり、この『ドラゴ・カルテット(竜の四重奏)』のリーダーであるエリス・ヴァレンシアだ。
彼女は冷たい雨に濡れた金髪を払い、残りの魔力を必死に計算しながら杖を構える。
「いくら何でも数が多いな。ま、俺の腕の見せ所ってやつか!」
崩れた見張り台のてっぺんから、レンジャーのカイ・フェンリルが皮肉げに叫び、武技<能力向上>を発動した。
極限まで引き絞られた弓から放たれた矢が、防壁をよじ登ろうとしていたビーストマンの目を正確に撃ち抜く。だが、カイの背中にある矢筒は、すでに底をつきかけていた。
「グルルルルルッ!」
地を這うような唸り声とともに、一頭のビーストマンが、ガルドの隙を突いて跳躍した。
その鋭い爪が、ガルドの頭部めがけて振り下ろされる。
「武技――<フォートレス>!」
ガルドはとっさに左腕の鉄盾を掲げた。
強烈な金属音が響き、火花が散る。ビーストマンの凄まじい怪力によって、ガルドの巨体が泥濘(ぬかるみ)を数メートルも滑る。
受け止めた鉄盾は、ビーストマンたちの血と泥水に汚れ、すでに凹んで半壊していた。
「くそっ、腕が痺れやがる……! だが、この先へは絶対に行かせねえって決めたんだよ!」
ガルドが歯を剥き出しにして耐える背後から、エリスが魔法を唱える。
「<ファイヤーボール>!」
放たれた灼熱の火球が、防壁に密集していたビーストマンの群れの中で爆発した。獣たちの悲鳴と、肉が焦げる不快な臭いが大気に立ち込める。
しかし、エリスの頭部を激しい頭痛が襲った。魔力が完全に底を突きかけている証拠だった。
「セリア! ガルドの回復を!」
「神よ、どうかこの祈りを……。<ミドル・キュアウーンズ>!」
神官セリア・フローラが、泥に膝をつきながら祈りを捧げた。
白い治癒の光がガルドの全身を包み、軋んでいた彼の骨を繋ぎ合わせる。
セリアの顔もまた蒼白だった。彼女の魔力も、すでに限界を超えている。
――何時間続いたか分からない死闘の末、ついにビーストマンの群れが、森の奥へとじりじりと退き始めた。
「ひ、退いた……のか」
ガルドが大剣を地面に放り出し、その場に崩れ落ちた。
彼の左腕に括り付けられた鉄盾は、もはや元の形状を留めておらず、泥と血まみれのスクラップと化している。
「カイ……。矢は……?」
「打ち尽くした……。あと一波来られたら……終わってたな……」
カイが力なく笑い、見張り台から転がり落ちた。
エリスとセリアも、頭を抱えて泥の中に頽(くずお)れている。
四人全員が、まさに「あと一撃でも波が来たら全滅していた」という、文字通りの極限状態だった。
その、泥臭い沈黙を切り裂くように、エリスの耳元で<メッセージ>が鳴り響いた。
エリスは朦朧とする意識の中で、必死に受信した。
『エリス……! エリス、聞こえるか!?』
繋がった先から聞こえてきたのは、竜王国の別の前線――ここオハスからわずか数里しか離れていない地方都市を守備する冒険者仲間の声だった。
だが、その声は緊迫などという生易しいものではなかった。
発狂寸前の絶望に震えていた。
『助けてくれ! ビーストマンの、別部族だ! 別の群れが防壁を越えた! 数が、数が違いすぎるっ!』
「落ち着いて! 今そっちはどうなっているの!?」
エリスが叫ぶ。ガルドたち三人が、泥まみれの顔を上げてエリスを凝視した。
<メッセージ>の向こうから、凄まじい壁の崩落音と、雨音をかき消すほどの人間の絶叫が響いてくる。
『駄目だ……防衛線が崩壊した! あいつら、人間を……生きたまま貪り食ってやがる……ッ! うわぁっ、来るな! 来ないでくれぇ! ……ああぁっ、腕がっ、俺の腕があぁああ!!』
ぐちゃり、という生々しい肉の裂ける音。
そして、獣の凄惨な咀嚼(そしゃく)音。
『いやだあああああ! 喰われたくないぃぃ!』
悲鳴がエリスの鼓膜を突き刺した直後、<メッセージ>の接続がぷつりと切れた。
「……嘘……」
エリスの手から、杖が滑り落ちた。
泥の中に落ちた杖を見つめながら、エリスはただ、ガタガタと身体を震わせる。
オハスは何とか死守した。
だが、隣の都市は、今この瞬間に陥落し、屠殺場へと変貌したのだ。
「……エリス」
カイが静かにエリスを見た。
口には出さない。しかし、目が訊いている――助けに行くか?
エリスは無言で、首を小さく横に振った。
助けられない。何もできない。自分たちにはもう、魔力も、戦う武器も残されていない。
竜王国の最後の残照が、振り続ける雨の泥濘(ぬかるみ)の中に、静かに消え去ろうとしていた。