魔導産業革命 ~エネルギーシフトと覇権通貨「エン」がもたらす軍事なき支配~ 作:Camel おさ
9月――。
バハルス帝国皇城、皇帝執務室。
「陛下! 魔導国より、また親書が届きました!」
筆頭秘書官ロウネ・ヴァミリネンが、またしても息を切らせて駆け込んできた。
「まずは落ち着けよ。ルナールの件だろ? いよいよ着工の目処でも立ったか」
バジウッドが、淡々と言った。
「い、いえ……! 基地が完成したため、ぜひ視察を――とのことです!」
「はあ?」
バジウッドが、素っ頓狂な声を上げた。
「おいおい……。基地建設を承認してから、まだ一か月しか経ってねえぞ? いくらなんでも早すぎるだろっ。仮設テントでも張ったって話じゃねえのか?」
「何を言っているのだ、お前たちは」
ジルクニフが呆れたように言った。
「まだ一か月ではない。もう一か月も経ったのだ」
ジルクニフは、やれやれと首を横に振った。
「忘れたのか。あの化け物どもは、瓦礫の山だった旧リ・エスティーゼ王国の領土を、わずか三か月で新首都ノヴァリアへと作り変えたのだぞ。辺境の荒野に基地を一つ建てるのに、一か月もあればお釣りがくるに決まっているだろう」
「そ、それはそうですが……」
言葉に詰まるヴァミリネンとバジウッドをよそに、ジルクニフは静かに立ち上がった。
「断る理由など最初からない。皇帝専用機の準備を急がせろ」
◇ ◇ ◇
プラザ合意の際に魔導国より贈呈された皇帝専用機――白銀の巨鳥ボーン・アルバトロスに牽引される飛行船。
いまや乗り慣れたその機体に揺られ、ジルクニフ、ヴァミリネン、バジウッドの一行は、帝国の南東部、ルナールへと向かっていた。
やがて飛行船が徐々に高度を下げていくと、一行は窓の外へと目を向けた。
「……陛下……あれを見てくださいよ」
バジウッドが窓枠に手をかけ、呆然と下方を指差す。
ジルクニフもまた、眼下に広がる光景に息を呑んだ。
岩山と痩せた荒野が広がるだけで、かつては帝国の地図に名すら載っていなかった寂れた辺境――。その荒涼とした大地は、跡形もなく消え去っていた。
大地は幾何学模様を描く平坦な黒い石畳によって完全に舗装され、網目状に張り巡らされた溝を、液状魔力の青白い光が血液のように脈動して流れている。岩山は綺麗に削り取られて整地され、視界の果てまで伸びる直線的な防壁が造られていた。
(岩山はどこへ消えた……? あの荒野はどこへ行った……?)
「ははは……」ジルクニフは乾いた笑いを漏らした。
しかし驚愕は一瞬だ。旧王国の廃墟にノヴァリアを出現させた魔導国の技術を知るジルクニフにとって、これはもはや「予想できた異常」に過ぎない。
だが――基地の全貌が露わになるにつれ、ジルクニフの背筋に冷たい汗が流れ落ちた。
「……なんなのだ、この基地は……」
そこには、人間の基地にあるはずのものが、何一つとして存在しない。
兵舎がない。宿舎がない。食堂も、厨房も、医務室も――。
鍛冶場から立ち上る煙も、ゴミ捨て場すらもない。軍隊が集まれば必ず漂うはずの汗と泥の臭い、喧騒――そうした一切の「生命の気配」が、完璧なまでに存在していなかった。
そして、広大な滑走路に整然と配置された「戦力」を目にした瞬間、ジルクニフは凍りついた。
眼下に並ぶのは、ボーン・アルバトロスが牽引する巨大な飛行船群。
十機や二十機ではない。区画ごとに整列したその数は、ゆうに五百機はある。
さらに、整然と立ち並ぶ伝説のアンデッド――デス・ナイト、デス・ウォリアー。
悪夢の軍勢を目の当たりにし、バジウッドとヴァミリネンは息を詰まらせ、膝を震わせている。
だが――ジルクニフの目を真に奪ったのは、その精鋭たちではなかった。
広場の一角を埋め尽くすように、ミリ単位の狂いもなく直立不動で整列している、数千体におよぶ骨だけの兵士――低位のスケルトンたちであった。
飛行船が着陸すると、タラップの先には深紅の豪奢なローブを纏ったエルダーリッチが一体、静かに佇んでいた。
「バハルス帝国皇帝ジルクニフ陛下。ルナール基地へようこそ。ご案内いたします」
感情の宿らない、冷徹で無機質な声。過度な歓迎も、仰々しい演説もない。
エルダーリッチは必要最低限の言葉だけを口にし、踵を返して歩き出した。
青白く発光する液状魔力のラインが足元を照らしている。
「質問してもよいか」
ジルクニフの問いに、先行するエルダーリッチが足を止めずに応じる。
「何なりと」
「数百のデス・ナイトやデス・ウォリアーは理解できる。貴国が本気になれば、この戦力だけで周辺の国を滅ぼすことすら容易だろう。だが……あの数千体のスケルトンと、数百機もの飛行船は一体何だ? ビーストマンから竜王国を守るなら、デス・ナイトを数十体送り込むだけで事足りるはずだろう」
竜王国へ侵攻しているビーストマンの脅威を、ジルクニフは知っている。人間を遥かに凌駕する筋力を持つ肉食獣の亜人たち。だが、デス・ナイトの前には赤子同然だ。
――ならばなぜ、脆弱なスケルトンを数千体も揃え、数百機もの飛行船をここに集備させているのか。
エルダーリッチは歩みを止めず、ただ淡々と告げた。
「すべては、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の深謀遠慮によるもの。我が主の描かれる至高の作戦に、一片の無駄もございません」
それ以上の言葉は返ってこなかった。
ジルクニフは奥歯を噛み締めた。
(分からない……。だが、あの骸骨が、意味のない戦力配置をするはずがない……)
脆弱なスケルトンを数千体集めたところで、数十万、数百万のビーストマンの波状攻撃に耐えられるわけがない。そしてあの飛行船群――いったい何を運ぶつもりなのか。
(空からスケルトン兵を運ぶのか? いや、それにしてはスケルトンが弱すぎる……)
思考を巡らせれば巡らせるほど、魔導王アインズ・ウール・ゴウンという深淵の底が見えなくなる。
自分たち人間の知恵など遥か足元に置き去りにし、神のような視点から盤上の駒を配置しているのだ。その計り知れない智謀の影に、ジルクニフの背筋を悪寒が駆け抜けた。
基地の外周を見渡す。
いまはまだ軍事要塞としての冷徹な機能美しか持たないこのルナール。
だが、張り巡らされた魔導インフラ、広大な敷地、そして圧倒的な補給路を見れば――明白だった。
(ここはいずれ、基地だけでは終わらん……)
やがてこの地には人や物資が集まり、魔導技術の粋を集めた工場や商店が立ち並び、帝都アーウィンタールすらも色褪せさせる近代都市へと変貌を遂げるに違いない。
自国の領土でありながら、帝国の主権など微塵も及ばない魔導国の心臓部。
そして――このルナールという発射台から放たれる圧倒的な暴力によって、ビーストマンはすり潰され、竜王国は救済という名の甘美な首輪を嵌められるのだ。
ジルクニフは青白く脈動する滑走路を見据え、自嘲気味に呟いた。
「……あの骸骨の頭の中を覗くことなど、一生できそうにないな」
その言葉に案内役のエルダーリッチは答えることなく、ただ静寂の基地へと一行を導いていっ
た。