魔導産業革命 ~エネルギーシフトと覇権通貨「エン」がもたらす軍事なき支配~ 作:Camel おさ
10月中旬――。
帝都アーウィンタールを吹き抜ける風には、すでに冬の訪れを予感させる冷気が混じり始めていた。
皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは、執務机に広げられた大陸南東部の精緻な地図を、厳しい眼差しで見つめていた。
視線の先にあるのは、竜王国。ビーストマンの猛攻により、すでに二つの都市が陥落。民が家畜のように屠られ、三つ目の防衛拠点すら風前の灯火になっているという凶報がもたらされていた。
そして、そのすぐ北――帝国の南東に完成した、魔導国の前線基地「ルナール」。
そこには五百機におよぶ巨大な飛行船群が集結し、デス・ナイトやデス・ウォリアーが配備され、いまや遅しと出撃の合図を待っていた――はずだった。
(いつ動く……? 明日か、それとも今夜か……)
ジルクニフは無意識のうちに眉間を揉んだ。
魔導国が竜王国へ軍を派遣すれば、ビーストマンなど瞬く間に蹂躙されるだろう。そして竜王国は、救済という名の絶対的な隷属(れいぞく)を受け入れることになる。
世界のパワーバランスがまた一つ、あの怪物の手の中へと収まる瞬間を、ジルクニフは息を詰めて見守っていた。
だが――。
「へ、陛下! ルナール基地より、急報が入りました!」
ノックもそこそこに、筆頭秘書官ロウネ・ヴァミリネンが血相を変えて執務室の扉を押し開けた。手には通信用の記録紙が握りしめられている。
ジルクニフの隣りで控えていたバジウッドが、身構えながら口を開いた。
「いよいよ魔導国のアンデッド軍が、竜王国へ向け出撃したか」
「い、いえ……! 逆です! 止まったのです!」
「……は? 止まった?」
バジウッドが呆気にとられた声を漏らし、ジルクニフの瞳が鋭く細められた。
「どういうことだ、ヴァミリネン。詳しく話せ」
「は、はい……! ルナール基地が突如として活動を完全停止いたしました! 飛行船からは液状魔力の光が消え、ボーン・アルバトロスは翼を閉じ、アンデッド兵は滑走路上で直立不動のまま微動だにせず、物資の搬入もピタリと途絶えたとのことです!」
「……何だと」
ジルクニフは椅子から身を乗り出した。
「敵襲か?! 何者かが基地のインフラを攻撃したのか?!」
「いえ! 外敵の気配は一切ございません。ただ単に……すべての命令系統が停止し、基地全体が『凍結状態』に陥っているようなのです!」
静寂が執務室を支配した。
バジウッドが腕を組み、怪訝そうに唸る。
「おいおい……竜王国の連中は今まさに首の皮一枚で耐えてるんだろ? ここで軍を止める意味がどこにあるんだ? 一斉奇襲の前の『タメ』ってやつか?」
「違うな」
ジルクニフは即座に否定した。
「奴らは疲労を知らぬアンデッドだ。奇襲のための休息など必要ない。魔導国の補給力をもってすれば、兵站(へいたん)の遅れもあり得ん」
ジルクニフは立ち上がり、執務室の中を落ち着きなく歩き始めた。
思考の歯車が、猛烈な速度で回転を始める。
(なぜだ……。なぜ今、あの怪物は進軍を止めた……)
魔導王アインズ・ウール・ゴウン――人知を超越した深淵の知謀を持つ絶対者。
あの骸骨が、無意味に足を止めるはずがない。
ジルクニフの脳裏に、いくつもの仮説が浮かんでは消えた。
(竜王国に対する焦らし戦術か? 二つの都市を落とされた程度では、竜王国の女王はまだ完全な服従を拒むと読んだ……。三つ目、あるいは王都の喉元までビーストマンを侵入させ、真の絶望の淵に突き落としてから、救世主として降臨する……そうすれば、竜王国は主権のすべてを差し出して魔導国の足元に跪くしかない。……あり得る)
背筋に冷たい汗が伝う。
(あるいは……スレイン法国か? ルナール基地の沈黙そのものが巨大な撒き餌で、竜王国の窮地に乗じて動こうとする法国の戦力をおびき寄せ、一網打尽にするための罠なのか……!?)
考えれば考えるほど、盤上に潜む魔導王の冷徹な意図が恐ろしくなる。
ジルクニフの胃がキリキリと痛み始めた。
「くそっ……あの骸骨め、一体何を考えている……!」
思わず頭を抱えたジルクニフの耳に、陽気な音楽が飛び込んできた。
見れば、バジウッドが手持ち無沙汰に執務室のテレビのスイッチを入れていた。
「おい、バジウッド! 貴様、こんな時に何を――」
「いや、すみません陛下。あまりに息が詰まるもんで……」
頭を掻くバジウッドを叱責しようとしたジルクニフだったが、画面に映し出されたノヴァリアのニュース映像に、ふと目を奪われた。
画面の向こうは、異様な熱気に包まれていた。
街頭インタビューに答える魔導国の市民たちが、誰も彼も興奮で頬を紅潮させている。
『信じられないよ! 魔導王陛下の降誕を祝うことができるなんて!』
『我が工房総出で、陛下にお喜びいただける最高の献上品を作るつもりです!』
画面の上部には、華やかな装飾文字が躍っていた。
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魔導国全土で魔導王陛下のお誕生日を祝う祝祭ムードに
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ジルクニフの思考が、一瞬停止した。
脳裏に、数日前に世界中へ放映された特別番組の記憶が鮮烈に蘇る。
カンデーズの三人が魔導王へ直接インタビューを行ったあの番組だ。
世界中が固唾を呑んで見守る中、最後に投げかけられた質問――。
――陛下のお誕生日は、いつなのでしょう。
――12月25日。
「おい、ヴァミリネン」
ジルクニフは掠れた声で尋ねた。
「ルナール基地が沈黙したのは……具体的にいつからだ」
「え? あ、はい……記録によりますと、例のテレビ特番が放送された……その翌日の未明からでございますが……」
カチリ――と、ジルクニフの頭の中でバラバラだったピースが完璧な音を立てて噛み合った。
出撃直前での突然の命令停止――。
そして、魔導国全土を巻き込む熱狂的な祝祭の準備――。
ジルクニフの表情が急速に凍りつき、やがて引きつった笑いへと変わっていった。
「……はは……はははは……」
「へ、陛下? どうされたのですか?」
怯えるヴァミリネンと、怪訝な顔をするバジウッドを前に、ジルクニフは両手で顔を覆った。
「まさか、あの化け物ども……国家の軍事行動を、王の『お誕生日会』の準備のために、放り出したというのか……」
「はあ?!」
バジウッドが素っ頓狂な叫び声を上げた。
「お、お誕生日会ぃっ!? おいおいおい、冗談だろ! 一国の存亡がかかった軍事遠征を、自分のお誕生日会のためにストップさせたってのか!?」
「そうだ……。そうとしか考えられんっ」
ジルクニフは吐き捨てるように言った。
「あの絶対者にとって、他国の戦争など、路傍のセミの喧嘩にも等しいのだ」
「ぶっ……! あっはははは!」
バジウッドが腹を抱えて大爆笑した。
「傑作だな! 竜王国が血反吐を吐いて助けを待ってる横で、当の救世主様はパーティーの準備でそれどころじゃねえってか! いやあ、さすがは魔導王陛下、スケールが違いすぎるぜ!」
だが――ジルクニフの鋭利な知性が、さらなる戦慄のシナリオを紡ぎ出す。
(待て……。本当にただの『お祭り騒ぎ』なのか……?)
ジルクニフの背筋を、再び冷たい悪寒が駆け抜けた。
(世界中が注目する軍事基地をあえて沈黙させ、全人類の視線を祝祭へと誘導する。さらに、この祝祭を通じて魔導国経済圏の富と物資を爆発的に循環させ、文化的な支配を盤石なものとする……。そこで竜王国の救済に立ち上がれば……)
そこまで考え至った時、ジルクニフは底知れぬ深淵を覗き込んだような恐怖に襲われた。
(もし……ここまでがすべて、あの骸骨の計算通りだとすれば……あの男は一体どこまで先を見据えているのだ……!)
真実がどちらであれ、自分たち人間が魔導王の手のひらの上で踊らされている現実に変わりはなかった。
ジルクニフは深く、重いため息をつきながら、棚から胃薬の小瓶を取り出した。
薬を口に放り込み、ワインで一気に流し込む。
「……ヴァミリネン」
「はっ!」
「ルナール基地の監視は続けさせろ。だが、決して余計な探りを入れるな。あの者たちの邪魔をすれば、どんな理不尽な怒りを買うか分からん」
「承知いたしました」
「それと……至急、帝国最高の宝飾職人と工芸士を招集しろ」
ジルクニフは疲れ切った声で命じた。
「我らバハルス帝国からも、魔導王陛下へ贈る至高の聖誕祝いの品を用意する。12月25日に、決して遅れをとるなよ」
沈黙する南東の要塞ルナールと、世界を包み込み始めた聖誕祭の熱狂。
その奇妙な静と動のコントラストの中、歴史は確実に未来へと進んでいた。