魔導産業革命 ~エネルギーシフトと覇権通貨「エン」がもたらす軍事なき支配~ 作:Camel おさ
年が明けた1月4日――。
「アインズマス」十連休が終わった翌日、竜王国は建国以来最大の危機に直面していた。
すでに防衛拠点であった三つの重要都市が陥落。
数万に及ぶ民が家畜のように屠(ほふ)られ、肉を喰らい尽くされたという凶報が相次ぎ、ビーストマンの主力部隊はついに王都の外郭へとその爪牙(そうが)を伸ばしていた。
複数の部族に分かれたビーストマンの軍勢が、王都の各門および近隣の防衛拠点を同時に強襲していた。すべての戦力を一箇所に集結させることなどできず、守備兵力は完全に分散を強いられていた。
王都の城壁を背に、泥と鮮血にまみれた平原に立ちはだかるのは、二つの冒険者チーム。
数百メートル離れた右翼では、竜王国唯一のアダマンタイト級冒険者チーム『クリスタル・ティア』が奮戦していた。
リーダーのセラブレイトが放つ武技の煌めきと、魔法の炸裂音が遠く響き渡り、群がる獣どもをなぎ払っている。しかし、彼らとて四方八方から押し寄せる圧倒的な物量を前に孤立し、他方の戦線を援護する余裕など微塵もなかった。
そして、左翼の防衛ラインに立っていたのは、ミスリル級冒険者チーム『ドラゴ・カルテット(竜の四重奏)』であった。
「グオオオッ!!」
ライオンが二足歩行するかのようなビーストマンが、鋭い爪を振り下ろす。
前衛のガルド・バルトスが血反吐を吐きながら鉄盾を掲げた。
人間の十倍の怪力と、ミスリル級戦士の限界を超えた武技が激突する。
凄まじい金属の破断音が平原に響き渡った。
ビーストマンの暴力的な一撃は、ガルドの鉄盾をまるで薄い陶器のように粉々に打ち砕き、鋭利な爪がガルドの装甲を肉ごと引き裂く。
「ガハッ」
鮮血が泥濘(ぬかるみ)を赤く染め、ガルドが力なく膝から崩れ落ちた。
「ガルドッ!」
後方からリーダーのエリス・ヴァレンシアが、悲鳴のような叫び声を上げる。
すぐさま神官のセリア・フローラが泥にまみれながら手を伸ばした。
「神よ、癒やしを……<ミドル・キュアウーンズ>!」
放たれた青白い光がガルドの傷口を辛うじて塞ぐ。
だが、その瞬間、セリアの瞳から光が失われた。
連日にわたる連戦、そして限界を超えた信仰系魔法の行使により、彼女の精神力は完全に干からびていた。
「……うっ……」
セリアは糸が切れた人形のように、泥の中へと前のめりに倒れ伏し、そのまま意識を失った。
前衛の盾が消失した、その隙を見逃すビーストマンではない。
口端から粘つく唾液を垂らした二頭の肉食獣が、猛烈な勢いでエリスめがけて突進してくる。
「くっ! <ファイヤーボール>!」
エリスは杖を突き出し、残された魔力を振り絞って第三位階魔法を放った。
直撃した火球が轟音とともに炸裂し、先頭のビーストマンを黒焦げにして吹き飛ばす。
しかし、その直後、エリスの視界がぐらりと揺らぎ、激痛が脳髄を貫いた。
魔力枯渇――。
全身から力が抜け落ち、ガクっと両膝をついたエリスの動きが止まった。
「グルルァッ!!」
爆炎の煙を突き破り、二頭目のビーストマンが血走った眼を爛々と輝かせて跳躍した。
振り上げられた鋭利な爪が、エリスの喉笛へ走る。
(……だめ……魔法が、出ない……)
エリスは朦朧(もうろう)とする意識の中で、迫りくる獣の爪を呆然と見ていた。
「エリスッ!! 伏せろォッ!!」
見張り台の残骸から、レンジャーのカイ・フェンリルが狂ったように叫んでいた。
カイの背の矢筒はすでに空だった。最後の一矢は、ガルドを庇うために撃ち尽くしていた。
カイは腰の短剣を引き抜き、泥を蹴って全力で疾走した。
だが、数十メートルの距離はあまりにも遠い。
人間の足で、獣の跳躍に追いつけるはずがなかった。
(ああ……もう、だめ……)
迫り来る獣の牙。血肉を裂く爪の切先。
仲間たちと過ごした日々が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
――死ぬ。
エリスは死を覚悟し、静かに瞳を閉じかけた。
その時――
パァンッ!!
それは、大気そのものが爆縮したかのような、聞いたこともない異様な衝撃音。
直後、突風のような衝撃波がエリスの金髪を激しく乱す。
エリスの目前、数センチにまで迫っていたはずのビーストマンの姿が、唐突に消失していた。
上半身を完全に粉砕され、肉片となって吹き飛ばされていたのだ。
「……え……?」
薄れゆく視界の先――。吹き荒れる土煙と血霧の中に、それは静かに佇んでいた。
ボロボロの漆黒のマントをなびかせた人外の巨躯。
(……黒い……アンデッド……?)
それが敵なのか、味方なのかを認識する前に、エリスの意識は深い闇の中へと沈んでいった――。
◇ ◇ ◇
「……リス……エリス! おい、エリス!!」
頬を叩かれる感触と、喉に流し込まれた冷たい水の感触で、エリスはうっすらと目を開けた。
激しい頭痛に顔をしかめながら焦点を合わせると、泥と汗にまみれたカイの必死な顔が視界に飛び込んできた。
「……カ、イ……?」
「気がついたか……! よかった……本当に、よかった……」
カイが安堵から声を震わせている。
エリスは朦朧(もうろう)とした頭で、必死に記憶を手繰り寄せた。
「……みんなは……? ガルドと、セリアは……?」
「大丈夫、無事だ」
「……敵は……? ビーストマンは……?」
「それなんだがな……」
カイが複雑極まりない表情で、視線をエリスの後方へと向けた。
エリスはカイに支えられながら、ふらつく身体を起こし、恐る恐る振り返った。
そして、その光景を目にした瞬間、エリスの息が完全に止まった。
王都の外郭平原――何もないはずの大気の中に、巨大な漆黒の楕円が口を開けていた。
空間そのものを切り裂いて開かれた、不気味な黒い揺らぎ。
その黒き門から、次々と「それら」が吐き出されていた。
先ほどエリスを救ったものと同じ、巨大な大盾を構えた漆黒のアンデッド――デス・ナイト。
そして、両手に鋭利な長剣を携える異形のアンデッド――デス・ウォリアー。
黒き門から溢れ出るアンデッドの数は、瞬く間に数百を超えた。
「な、何なの……あれ……」
エリスの口から、戦慄の混じった呟きが漏れる。
その圧倒的な威圧感と死の気配は、戦場全体の空気を完全に支配していた。離れた場所で戦っていたクリスタル・ティアの冒険者たちも、剣を構えたまま呆然と立ち尽くしている。
魔導国軍――。世界最強の魔導王が従える、絶対の死者たち。
デス・ナイトとデス・ウォリアーの軍団が前進を開始する。その進軍の矛先は、竜王国の北部から南東――侵略者であるビーストマンの群れへと向けられていた。
ズシン、ズシン、ズシン――。
大地を揺るがす重厚な足音。
ビーストマンたちが狼狽の叫びを上げる。
「な、なんだコイツらは!?」
「アンデッドだ! だが、こんな奴らは見たことがないぞ!」
「狼狽えるな、たかがアンデッドだ!」
ニ頭のビーストマンが猛烈な早さで突進する。
ビーストマンの一頭が爪を振り下ろす。
だが、その渾身の一撃は、デス・ナイトが構える巨大な盾に軽々と弾き返された。
直後、デス・ナイトのフランベルジェが一閃する。
両断されたビーストマンの上半身が宙を舞い、血飛沫が大地に降り注いだ。
高々と跳躍したビーストマンが、デス・ウォリアーへ牙を剥く。
そこへデス・ウォリアーの双剣が舞い踊り、獣の四肢が一瞬で切り刻まれ、肉片へと変わった。
「ば、化け物だ!」
「ひ、退けっ! 退けえええっ!!」
「逃げろ! 郷(さと)へ戻るんだー!」
これまで竜王国の民を貪り喰らってきた捕食者たちが、今や見るも無残な獲物となり、自国――『ビーストマンの国』へ向けて我先にと敗走を始めた。
数百体の漆黒の軍勢は、逃げ惑う獣たちの背中を追い、地響きを立てながら整然と南東へと進軍していく。
エリスは、去りゆく死者たちの背中を、ただ言葉もなく見つめることしかできなかった。
◇ ◇ ◇
恐怖に震えながら逃げ帰るビーストマンたちは、知る由もなかった。
命からがら目指すその場所に、もはや帰るべき国など残されてはいないということを――。