魔導産業革命 ~エネルギーシフトと覇権通貨「エン」がもたらす軍事なき支配~ 作:Camel おさ
竜王国。
すっかり復興された地方都市オハスには、白亜のドーム状スタジアムが建設されていた。
「カイ! もっと腰を落とさねえか!」
「へいへい。言われなくても分かってるっての」
ドーム内の鮮やかな芝の上で、白球を追いかける男たちがいた。
かつて血と泥にまみれてビーストマンと戦っていたミスリル級戦士ガルドと、レンジャーのカイ、そして元冒険者だった者たちである。
いま彼らの体を包んでいるのは鎧ではない。
白地に真紅のラインが鮮やかに映える、真新しい野球のユニフォームだった。
「……本当に、信じられない光景ね」
バックネット裏のベンチから、その光景を見つめていたエリス・ヴァレンシアが、小さくため息をついた。彼女の隣には、かつてチームの命を必死に繋ぎ止めていた神官セリア・フローラが、やはりどこか落ち着かない様子で腰掛けている。
三か月前、魔導国の不眠不休のアンデッド軍が竜王国に足を踏み入れた瞬間、世界は一変した。またたく間に街が整備され、国境はデス・ナイトたちによって鉄壁の監視下に置かれた。
その結果、冒険者ギルドが扱っていた「魔獣退治」や「警備」という戦いの労働は、完全にこの国から消滅したのである。
「ガルドもカイも楽しそうですね」
セリアが穏やかに微笑んだ。
冒険者としての職を失い、途方に暮れていた彼らに冒険者組合から斡旋(あっせん)されたのは、プロ野球リーグへの転職だった。鍛え抜かれた筋力と持久力を持つガルドたちは、今や新設された竜王国球団のスター候補として、泥にまみれている。
「男の人はいいわよね。体を動かす仕事が残っていて……」
エリスは自らの細い指先を見つめた。
魔法の力を失ったわけではない。だが、戦う場所のないマジック・キャスターなど、ただの奇妙な特技を持った人間に過ぎないのだ。
「ふふ、私は少し、ワクワクしているんですよ」
セリアは、膝の上に置かれた一冊の分厚い『台本』を愛おしそうに撫でた。
彼女の転職先は、バハルス帝国で制作が始まったばかりの、新作アニメの「声優」だった。
経緯は極めてシンプルだった。
魔導国の放送局(MHK)の人間がルナール基地での面談の際、セリアの清澄(せいちょう)で、聴く者の心を洗うような美しい声に目を留め、バハルス帝国のアニメスタジオへ推薦状を送ったのだ。
試験的にマイクの前で喋らされたセリアの声は、制作陣を狂喜させ、新作アニメのヒロイン役に満場一致で抜擢された。
「アニメ……だっけ? まさか、セリアの声が『動く絵』に吹き込まれて、世界中のテレビに流れることになるなんてね」
「はい。神官としての祈りの言葉ではありませんが……私の声で、世界中の子供たちが笑顔になってくれるなら、これも一つの『救い』の形だと思うんです」
セリアの瞳には、かつてオハスの絶望の雨の中で見せていた涙の痕は、もうどこにもなかった。
「エリスだって、素晴らしいお仕事じゃないですか。あのシン・ワーナベ様に直接スカウトされたのでしょう?」
「スカウト、と言えば聞こえはいいけれど。ただの実務の穴埋めよ」
エリスは苦笑しながら、手元の手帳をめくった。
かつて辺境の死線において、限られた魔力と戦力を冷静に計算し、チームの命を繋ぎ止める「指揮」を執り続けていたエリスの知性と統率力。
それを見抜いたシン・ワーナベは、彼女をアシスタントプロデューサーとして迎え入れた。
『いずれ、君の手で竜王国に「ローカル局」を立ち上げるんだ。そのための技術を、俺の傍で徹底的に盗んでみせろ』
葉巻を燻らせながら不敵に笑ったシンの姿が、エリスの脳裏に浮かぶ。
魔導国が提供するインフラの扱い方、番組を制作し情報を届けるためのプロセスの管理――。それは、戦いとは全く異なる。だが、エリスの知性を熱く刺激する、新しい「戦場」だった。
キーン!
バックネットの向こうで、バットが白球を捉える乾いた快音が響く。
「牙を抜かれて、家畜の檻に入れられた……女王陛下は、そう自嘲していたらしいけれど」
エリスは立ち上がり、静かに芝を見つめた。
「それでも……温かいお風呂に入れて、美味しいご飯が食べられて、明日誰かが喰い殺される心配をせずに眠れる。……そんな檻なら、喜んで入るわよね」
「はい。本当に、温かい檻ですね」
セリアも立ち上がり、ガルドたちの元気な声が響くグラウンドへ向かって、穏やかな笑みを向けた。
ドラゴ・カルテットは、もう戦わない。
戦う必要のなくなった世界で、彼らは魔導国が提供する「平和という名の、逃げ場のない甘美な揺りかご」の歯車として、新時代の一歩を踏み出したのであった。