魔導産業革命 ~エネルギーシフトと覇権通貨「エン」がもたらす軍事なき支配~ 作:Camel おさ
四月の澄み切った大気を切り裂き、白銀の巨鳥ボーン・アルバトロスが、竜王国の王都にゆっくりと舞い降りた。
繋がれた巨大な飛行船――皇帝専用機のハッチが開くと、そこにはすでに「檻の快適さ」を骨の髄まで熟知している二人の男が乗っていた。
「ようこそ。我が大親友の空の旅へ」
笑顔で出迎えたのは、バハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。
そして、その隣で「ふむ」と鼻を鳴らすのは、クアゴアの王ペ・リユロ。
竜王国で飛行船の到着を待っていたのは、長い髪を揺らす、豊満な大人の美女だった。
戦争が終わり、もはや「保護欲をそそる少女の形態」で冒険者たちを釣る必要のなくなった彼女――ドラウディロン・オーリウクルスは、本来の形態に戻っていた。
その肢体を包んでいるのは、先日魔導国から贈られたばかりの「ブラッド」の春モデル、薄手の赤いドレスだった。
「空の旅か。こんなデートに誘うとは、さてはジルクニフ、私に気があるな?」
「まったくない」
「即答するな! 少しくらい照れたらどうだ!」
するとドラウディロンはしなを作り、妖艶に微笑んでみせた。
「これはブラッドの新作ドレスだ。どうだ、似合ってるか?」
「さすがブラッド、美しいドレスだ」
「そこじゃない! 私に似合ってるかを訊いてるんだ! お世辞くらい言えんのか!」
「早く乗ってくれないか」
「ち。つまらん男だな」
飛行船に乗り込んだドラウディロンは、手にしていた籠をキャビンの卓上へ置いた。中には、竜王国産のじゃがいもを細く切り、油で黄金色に揚げた料理――フライドポテト――が山盛りになっている。
「これは私からの手土産だ。魔導国の技術で揚げたポテトは絶品でな」
「ほう、美味そうだ。では、こちらからも」
リユロが、ずんぐりとした指で、持参した「黒い宝石」と呼ばれる香り豊かなキノコ――トリュフ――を取り出した。
ジルクニフが用意したこんがりと焼き上げられた魔導国産のチキンと、ドラウディロンのフライドポテトが、中央の黒大理石の円卓に並ぶ。
リユロは小さな削り器を使い、黄金色に輝くフライドポテトと、ジューシーな脂を滴らせるチキンの上に、トリュフを惜しげもなくスライスし始めた。
黒い薄片がはらはらと料理へと舞い落ちる。熱せられた脂と塩気に反応し、トリュフが持つ芳醇な薫りが弾けた。キャビン全体が、官能的な香気で満たされていく。
「な……なんだ、この香りは……!」
ドラウディロンの目が輝いた。
ジルクニフが手際よく、グラスに泡立つ葡萄酒――スパークリングワイン――を注いでいく。
シュワシュワと心地よい泡の音が静かに響き、三人はグラスを合わせた。
トリュフを乗せたチキンを口に運ぶ。
パリッとした皮の食感、溢れる肉汁、そして鼻腔を突き抜ける黒い宝石の魔力的な香りが、完璧な調和となって舌の上で踊った。そしてポテトをかじり、冷えたスパークリングワインを一気に煽る。
「美味い! こんな贅沢、ビーストマンに怯えていた頃には想像もできなかったぞ!」
ドラウディロンはドレスの裾が開くのも気にせず、感嘆の声を上げた。
視界の先には、どこまでも広がる白銀の雲海と、それを赤々と染め上げる、息をのむほど美しい夕日があった。
「雲の上の景色がこれほどとはな。……ジルクニフ、ずるいぞ。お前ばかりこんな素晴らしい船を持っていて」
「ふっ、羨ましいか? ならば魔導王陛下に、その見事な身体で色仕掛けでもすれば、『女王専用機』をプレゼントしてもらえるかもしれんぞ?」
ジルクニフがおどけた冗談を飛ばす。
ドラウディロンは葡萄酒でほんのり頬を染めながら、挑戦的な笑みを浮かべた。
「ところで、ジルクニフ。お前、結婚相手はいるのか?」
「いないな」
ジルクニフが肩をすくめると、ドラウディロンは立ち上がり、ドレスの胸元を手で挟んで、その大きな胸を揺らして見せた。
「私は独身だぞ? これだけの『中身』があるんだ。どうだ?」
ジルクニフは表情一つ変えず、ワイングラスを傾けた。
「良い友でいよう、ドラウディロン」
「即答するな! 少しくらい悩め!」
頬を膨らませるドラウディロンの姿を、リユロは呆れたような目で眺めていた。
クアゴアの美意識からすれば、毛の薄い人間種の肉体など、何の魅力も感じられない。
(人間種の求愛行動はよく分からん……)
リユロはトリュフのかかったチキンを口に放り込み、咀嚼しながら、賑やかな二人のやり取りを穏やかに見守っていた。
やがて――。
飛行船は国境を越え、元ビーストマンの国の上空へと差し掛かった。
「……おい、あれを見ろ」
ジルクニフが、静かに窓の下を指差した。
ドラウディロンとリユロが、ワイングラスを手にしたまま窓辺に寄り、眼下を見下ろす。
夕日は今、雲海を紅と黄金に染め上げている。
だが、その輝かしい雲の切れ間――「そこ」に差し掛かった瞬間、三人の息が、同時に止まった。
そこには――何もなかった。
かつて数百万のビーストマンがうごめき、咆哮を上げていた広大な郷は、跡形もなく消滅していた。
ただ、巨大な虚無のクレーターだけが、ポッカリと地上に穴を開けていた。
ドラウディロンの背筋を、冷たい氷水を流し込まれたかのような、凄まじい戦慄が駆け抜けた。
リユロの喉がごくりと鳴り、ジルクニフは無言で胃のあたりを押さえた。
これが、魔導王アインズ・ウール・ゴウンに逆らった者の末路。逆らい、抵抗し、あるいはただ「邪魔だ」と盤上から判断された者が受ける、理不尽極まりない絶対の死の証明だった。
しかし、その圧倒的な恐怖の直後――三人の胸を支配したのは、あまりにも深く、甘美な安堵であった。
あの骸骨の王に首輪を嵌められ、主権を天秤に載せられ、「経済の檻」に幽閉されたこと――それこそが、自分たちの国家と民を、あの漆黒の虚無から救い出す唯一の「黄金の切符」だったのだ。
この甘美な首輪に繋がれ、檻の中で家畜として大人しく踊っている限り、誰にも脅かされない穏やかな日常が、永遠に保障される。
それ以上に幸福な地獄が、この世界のどこにあるというのか。
「いずれこの地は、旧リ・エスティーゼ王国の領土がそうであったように、美しい近代都市へと生まれ変わるのだろうな」
ジルクニフはそう言うと、静かにグラスを持ち上げた。
「魔導王陛下に、乾杯を」
「ああ。魔導王に、栄光あれ」
「ふふ、乾杯」
キィン――澄んだ硝子の音がキャビンに響いた。
泡立つ葡萄酒の乾杯の音を残しながら、ボーン・アルバトロス飛行船は、美しく沈みゆく夕闇の空へと溶けるように、静かに飛び去っていった。
―― 【外伝】竜王国の残照に射す黎明・完 ――
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