魔導産業革命 ~エネルギーシフトと覇権通貨「エン」がもたらす軍事なき支配~ 作:Camel おさ
Extra-14 盟友の誓いと大空の密談
五月――。
ノヴァリアの空は、抜けるように高く澄み渡っていた。
王宮の窓から吹き込む風は心地よく、街路樹の若葉を揺らしては、柔らかな木漏れ日を白亜の床に落としている。
誰もが心浮き立つような、穏やかで美しい季節。
しかし、バハルス帝国皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの胃の腑は、まるで真冬の海のように冷え切っていた。
「魔導王陛下。……いま、なんと……?」
ノヴァリア王宮、貴賓室。
アインズ・ウール・ゴウン魔導王から直々の会談申し入れを受けてやってきたジルクニフは、何を聞き間違えたのかと耳を疑った。隣に控える筆頭書記官、ロウネ・ヴァミリネンもまた、引きつった顔で目を見開いている。
「ん? 聞き取れなかったか?」
アインズは首を傾げながら問い返した。骸骨の貌(かお)からは感情など微塵も読み取れないが、どうやら悪意があるようには見えない。
「い、いや……その……。まさか、そのようなご提案が魔導王陛下から飛び出すとは……。我がバハルス帝国は魔導国の属国となりました。私はあくまで、属国としての礼節を尽くしたいと考えております」
対するアインズは、下顎の骨をカラカラと撫でる仕草をした。
(歴史に名高い『ロン・ヤス会談』をやってみたいだけなんだけどな……)
元日本人である鈴木悟の脳裏にあったのは、昭和の歴史――アメリカ大統領と日本の首相が互いを「ロン」「ヤス」と呼び合い、親密な信頼関係をアピールしたという古い記憶だ。属国になって以来、完全に壁ができてしまったジルクニフと、あの理想的なトップ会談を再現してみたかったのである。
「ではもう一度言おう。これからは私をアインズと呼んでくれ。私は貴君をジルと呼ばせてもらう」
「し、しかし、絶対者であらせられる陛下を呼び捨てにするなど……!」
「何を言っているのだ。出会った頃は私を『アインズ』と呼んでいたではないか」
「ですが、あの頃とは、国としての立場が……」
言葉を濁しながら、ジルクニフの背筋にはどっと冷や汗が噴き出していた。
猛烈な勢いで脳髄が警鐘を鳴らしている。
(いったい何を考えているのだ、この怪物は! これは何かの踏み絵か?! 呼び捨てにした瞬間に不敬罪で帝国を滅ぼす口実にする気か?!)
すがるような思いで横目でヴァミリネンを見るが、彼は「どうか私に話を振らないでください」とばかりに視線を逸らした。
ならばと、アインズの傍らに控える絶世の美女――宰相アルベドに視線を向ける。彼女は女神のような完璧な微笑みを浮かべたまま、微動だにしない。それがひどく恐ろしかった。
試されている。受諾して呼び捨てにするのか、拒否して敬意を貫くのか。どちらを選んでも地獄が待っているようにしか思えない。
そこへ、アインズが追い打ちをかける。
「属国になったとはいえ、貴君と私とは盟友ではないか。堅苦しい呼び方はやめたいのだ」
盟友――その言葉に、ジルクニフは覚悟を決めた。ここで断れば、差し出された手を払いのけたと見なされる。
「では……お言葉に甘え、呼ばせていただきます」
ひきつる頬の筋肉を必死に抑え込み、ジルクニフは絞り出すように言った。
「アインズさ……ん」
(ナーベかよ!)
アインズは内心で激しくツッコミを入れたが、王としての威厳を保ったまま鷹揚に頷いた。
「ふむ。急な申し出で戸惑ったようだな。まあ、今日からでなくとも良い。少し時間を与えようではないか」
そしてアインズは、事もなげに続けた。
「では、本題に入るとしよう」
しかしすでにジルクニフの胃は激痛を訴えており、この後の会談を乗り切る気力など、欠片も残っていなかった。
◇ ◇ ◇
ノヴァリアを離陸し、帝都アーウィンタールへと向かう皇帝専用機(ボーン・アルバトロス飛行船)の機内。
ソファに深く沈み込んだジルクニフは、窮屈だった首元の金の装飾を少しばかり緩め、魔導ケータイを取り出した。
登録されたドラウディロンの番号を呼び出すと、数回のコールの後、聞き慣れた女性の声が響いた。
「はーい、ジルクニフ。もう私が恋しくなった?」
「まったく恋しくない」
『即答するな! ていうか、今日は魔導王陛下との会談でしょ。もう終わったの?』
「聞いてくれ。恐ろしい目に遭った」
重いため息とともにジルクニフが先ほどの顛末を説明すると、受話口の向こうで盛大に吹き出す音がした。
『ぶふぅっ! なにそれ?! ジル?! あっはははは! 鮮血帝ジル。傑作ね!』
「笑いすぎだ! 内臓が全部ひっくり返るかと思ったのだぞ!」
『あははっ! こんな美味しい酒の肴(さかな)はないわ! ちょっと待ってて、いま極上の葡萄酒を持ってこさせるから』
「人の不幸を肴に酒を飲むな! なんて女だ、まったく」
ジルクニフはこめかみを揉みほぐしながら毒づくが、その表情は王宮にいた時よりも幾分か柔らかく、どこか毒気を抜かれたようだった。
やがて、通信越しにトクトクとグラスに葡萄酒が注がれる音が聞こえてくる。
『ぷはぁっ、美味い。肴が美味けりゃ酒も美味いな。……で、本題の会談内容は? 何が決まったの?』
「竜王国の南端からさらに南へ、探検隊を送り込むそうだ」
『……魔導高架鉄道の終着駅、テルミナのさらに南ってこと?』
ドラウディロンの声から、スッと笑い気が消えた。
『あそこは未踏の熱帯雨林ジャングルよ? 何の目的で?』
「それがよくわからんのだ。レアアースがどうとか、新・三種の神器がどうとか……」
『レアアースって何? 新・三種の神器って何?』
「知らん! 俺に訊くな! あの智謀の化物が考えてることが、俺にわかるわけないだろ!」
『ああ、ごめん。それもそうね……』
カツン、と向こう側で硬いテーブルにグラスが置かれる微かな音がした。
続いて訪れたのは、水を打ったような冷たい沈黙。いつもの幼女ぶったふざけた態度はそこにはなく、『黒鱗の竜王』としての底知れぬ気配が、通信越しにすら伝わってきた。
『……でも、正気なの? あの辺りは“南境の深淵”よ。地図もない。人間が生きて帰れる場所じゃないわ』
「魔導王の真意はわからん。だが、あの男が動く以上、世界がまた変わるはずだ」
(キーロ・タヨトとンフィーレアが組めば作れるはずだ、とか言ってたな……。何をだ?)
通話を終え、魔導ケータイをテーブルに放り出したジルクニフは、窓の外へ視線を向けた。
眼下には、赤く染まりゆく夕暮れの雲海がどこまでも広がっている。冷え切った胃をさすりながら、ジルクニフはこれからはじまる未知の嵐を静かに予感していた。