魔導産業革命 ~エネルギーシフトと覇権通貨「エン」がもたらす軍事なき支配~ 作:Camel おさ
アインズとジルクニフによる『ロン・ヤス会談』が行われる、およそ一週間前――。
ノヴァリア王宮、統治評議室。
アインズは、ラナーとアルベドから、定例の金融報告を受けていた。
「――したがって、物価指数と関税率の乖離を是正するためには……」
ラナーの口から滑らかに紡がれる専門的な説明は、いつも通りアインズの頭には1ミリも入ってこなかった。
(マクロ経済とかインフレとか、俺に理解できるわけないだろ……)
威厳に満ちた骸骨の貌(かお)の下で、アインズは飛び交う難解な用語の嵐からどうやって逃れようかと必死だった。
(シャルティアには『ブラッド』という新たな輝きを与えることができた。他に道を見失っている者はいないだろうか……。そうだ、プレアデスはどうだ?)
「あー、ラナーよ」
アインズが重々しく片手を挙げると、ラナーはピタリと説明を止め、書類から顔をあげた。
「何か、報告に不備がございましたでしょうか?」
「そうではない。実は、急ぎで処理せねばならん別件があってな。続きは後日にしてくれないか」
アルベドが女神のような麗しい笑みを浮かべた。
「畏まりました、アインズ様。では、その別件の決済が終わるまで、私共はここでお待ちします」
(えっ、待つの? 解散じゃないの?)
逃げ道を塞がれたアインズは、内心の動揺を微塵も見せず「うむ」と頷くと、その場で<メッセージ>を使い、シズ・デルタを呼び出した。
◇ ◇ ◇
「……お呼びでしょうか、アインズ様」
数分後。統治評議室に現れたシズは、照準器のような瞳を静かにアインズへ向けた。
「うむ。シズには長い間、ローブル聖王国への新聞配達を頼んでいたな。ご苦労だった」
「……はい」
これまでシズは、聖王国のネイア・バラハの元へ毎朝新聞を届けていた。しかし物流網の整備が進んだ今、わざわざプレアデスを配達員として使う必要はなくなっていた。
「今は普段、何をして過ごしているのかな」
「……ひま。やること、ないです」
小さく首を横に振るシズ。
「やはりそうであったか」
「アインズ様。もしやプレアデスにも、新たな任務をお考えなのでしょうか」
アルベドが、主の深謀遠慮に気づいたかのように目を輝かせる。
「そうだ、アルベド。全員一度にとはいかないが、彼女たちにも新たな道を拓いてやりたいのだ」
「まずはシズから、ということですね。具体的にはどのような指令を……?」
アルベドとラナーが、固唾を呑んで絶対者の次の言葉を待っている。
(やばい、まだ何も考えてないぞ……。何か、適当な任務は……)
アインズは至高の支配者に相応しい態度で、深く考える仕草をした。
(シズはプレアデスの中でもカルマ値が比較的高く、人間とも良好な関係を築くことができる。ならば、冒険者チームに同行させても問題ないはずだ……)
アインズはもっともらしい理由を後付けしつつ、口を開く。
「シズよ。『アインザック探検隊』に同行してみないか」
「……あのテレビに出てるおじさんですか?」
「そうだ。彼らは未知を既知とするために冒険をする者たちだ。シズ、お前であればきっと彼らの役に立つであろう」
「……りょうかい。まかせてください」
そのやり取りを聞いていたアルベドの金色の瞳が、鋭く見開かれた。
「アインズ様。それはもしや、竜王国の――」
アルベドが恭しく言いかけた、その瞬間、
「テルミナのさらに南を調査するということですね!」
ラナーが弾かれたように立ち上がり、アルベドの言葉を完全に遮った。
アルベドの視線がスッと冷たくなり、ラナーを射抜く。しかしラナーは意に介した様子もなく、高揚した表情で壁の巨大な地図へ歩み寄った。
「テルミナのさらに南……人類未踏のジャングル。そこへ探検隊を送り込み、人類が目にしたこともない新たな素材を発見させる。それを次なる発明へと繋げれば、魔導国の経済がさらに潤う……!」
ラナーはアインズへ顔を向け、無垢な少女のように瞳を輝かせた。
「これもアインズ様が描くロードマップの一つなのですね!」
(えっ、そうなの?!)
内心で激しくツッコミを入れたアインズだったが、脳内に閃きが舞い降りた。
(そういえば……三種の神器はすでに揃った。ならば次は『3C』と呼ばれた新・三種の神器か。カラーテレビはすでにある。自動車もすでにある。残るは一つ……クーラーだ)
アインズのコレクター魂に火がついた。
「ふっふっふ」
アインズが意味ありげに低く笑うと、アルベドがすかさず言葉を継いだ。
「やはりアインズ様は遥か先の未来まで、すべてを見通しておられる……!」
(いや、でも待てよ。確かクーラーを作るためには、特殊な素材が必要だったような気が……)
アインズは曖昧な記憶を探りながら、ポツリと独り言を漏らした。
「レアアースが必要か。果たしてあるのかな、この世界に」
「レアアース、でございますか?」
聞いたこともない言葉にアルベドは首を傾げたが、すぐに金色の瞳に閃きが宿る。
しかし、アルベドが称賛の言葉を紡ぐより早く、口を開いたのはラナーだった。
「すでにアインズ様は、今後どのような発明がなされるかまで予見しておられる。そして、その発明に何が必要となるのかも。しかしその素材はこれまで発見されたことのない極めて希少なもの。だからこそあえて、人類未踏のジャングルに探検隊を送り込む。――そういうことですね!」
「う、うむ。その通りだ、ラナーよ。よくぞ私の考えを見抜いた」
「お褒めいただき、光栄の至りに存じます、アインズ様」
ラナーはドレスの裾を持ち上げ、完璧で優雅なカーテシーを見せた。
アインズはシズへ視線を向け、厳かに告げる。
「ではシズよ。アインザック探検隊に同行し、彼らの発見に尽力せよ。詳細は追って伝えるとしよう」
「……はい。アインズ様のご期待に沿えるよう、がんばります」
シズが退室していくのを見送りながら、アルベドはラナーの不自然な変化に強い引っかかりを覚えていた。
(ルナール基地建設のときはデミウルゴスの言葉を遮った。そして今回は、この私の言葉を。絶対的な上下関係を重んじてきたはずのラナーが、己の暴走に気づいていない……)
横目でラナーを観察すると、熱を帯びた瞳でただひたすらにアインズを見つめている。
(クライムに狂執していたあなたはどこへ行ったの? それに、アインズ様へ向けるその瞳の熱はなに? ネイア・バラハの狂信とは明らかに違う……)
「ラナー」アルベドはラナーに声をかけた。
「はい。アルベド様」
「クライムは元気かしら」
「はい。つつがなく過ごしております。お気遣いいただき、ありがとうございます」
ラナーは、陽だまりのように耀く笑顔で即答した。
しかしその一瞬、貼り付いたような笑顔の奥で瞳孔が微かに揺れたのを、アルベドは見逃さなかった。
探るような視線を切り上げ、アルベドはアインズに向き直る。
「ではアインズ様。金融報告の続きをいたしましょうか」
「……ああ、そうだったな。続きを聞かせてもらおうか」
(に、逃げられなかった……)
アインズは自分自身が<絶望のオーラ>に包まれるのを感じた。