魔導産業革命 ~エネルギーシフトと覇権通貨「エン」がもたらす軍事なき支配~ 作:Camel おさ
ノヴァリア魔導放送局「MHKビル」。
暖かな春の日差しが差し込む最上階の会議室で、シン・ワーナベはヒルマ・シュグネウスと定例の企画会議に臨んでいた。
「ヒルマ……」
「なぁに?」
「その服は……なんだ」
「ブラッドの新作だけど? まさか、ブラッドにケチをつけるつもり?」
「いや、そういうことを言いたいのではなく……」
(……わざとだ。この女、絶対にわざとやってる)
胸元があらわになった薄手で深紅のドレスを着たヒルマに、シンはまたも目のやり場に困ることになる。
「……そろそろ時間ね」
時計を確認したヒルマが小さく呟いた。
「ん? まだ会議を始めたばかりだが?」
「この会議にぜひ参加したいと仰っている特別な方がいるの。お呼びしてもいいかしら」
「ほう。誰だそれは。まあ誰であれ、ヒルマが必要だと思うなら構わないぞ」
シンは最高のビジネス・パートナーであるヒルマに絶対の信頼を寄せている。
「一階で待たせてあるのか? 受付に電話して上がってきてもらおう」
「いいえ。その必要はないわ」
ヒルマは手元のバッグから一本のスクロールを取り出すと、優雅に立ち上がり、会議室の壁際まで歩いた。
「ヒルマ……? 何をしているんだ?」
ヒルマはシンの困惑を意に介さず、おもむろにスクロールを展開した。
放たれた魔法は<ゲート>。空間に漆黒の穴が穿(うが)たれる。
そこから静かに姿を現したのは――魔導王アインズ・ウール・ゴウン、その人であった。
「ま、魔導王陛下……!?」
予想だにしなかった絶対者の降臨に、シンの心臓が跳ね上がった。
反射的に椅子を弾いて立ち上がり、床へ深く膝を突く。
視界の隅では、すでにヒルマが完璧な礼を取っていた。
横目でヒルマを睨むと、彼女は「驚いた?」とでも言いたげな笑みを浮かべている。
(この女、とんでもないサプライズを仕掛けやがった……!)
「驚かせてしまったようだな。楽にせよ。ここは会議室だ。座ってくれ。私も座るとしよう」
重厚で威厳に満ちた声が室内に響く。
シンは恐縮しながら席に戻り、居住まいを正した。
「陛下、このような場所にお越しになられるとは……。どのようなご用件でしょうか」
「うむ。お前たちが制作している『アインザック探検隊』のことだ。あれは実に素晴らしい番組だな。国民の知的好奇心を大いに刺激している」
「ありがたきお言葉……!」
「そこでだ。次回のロケ地について、私から一つ提案がある。竜王国の遥か南、人類未踏のジャングルへ向かってもらえないか」
「南境の……未踏地帯、でございますか!?」
シンが息を呑むと、アインズは静かに頷いた。
「そうだ。あそこには我が国が求めている未知の希少鉱物――レアアースが眠っている可能性がある。危険な地ゆえ、護衛としてシズ・デルタと、足としてソウルイーターをつけよう。だが、何が起きるか分からぬ死地ゆえに、『少数精鋭』で臨んでほしいのだ」
「少数精鋭……」
「詳細は追って伝えるが、まずはお前の意見を聞きたくてな。どうだ、引き受けてもらえるか」
「もちろんにございます! 我がMHKの総力を挙げ、陛下のご期待に応えてみせます!」
魔導王直々の特命、そして未踏のジャングルという圧倒的なロケーション。
シンの胸の奥でテレビマンとしての狂熱が激しく燃え上がった。
「同行するクルーの選定については、アインザックと相談して決めるがよい」
「はっ――」
返答しかけたシンの脳裏に、電撃のような閃きが走った。
過酷な死地で必要となるサバイバル能力と戦闘能力。なおかつ、テレビの演出意図を理解して現場を回せるディレクション能力。
そんな都合のいい人間が、この世のどこに――。
(……いや、いるぞ。灯台下暗しだ。最高の適任者が、一人だけ……!)
シンの口角が、獲物を見定めた業界人特有の笑みへと釣り上がる。
「陛下。まさにうってつけの『適任者』に心当たりがございます。ご期待以上の番組に仕立ててみせましょう」
◇ ◇ ◇
MHKビル内の現場は、今日も戦場のような熱気に包まれていた。
「第三スタジオの収録、押してます! 次の番組のセットチェンジを急がせて!」
「ああっ、魔導カメラの記録用クリスタルが足りない! 予備はどこですか!?」
「重機材運搬用のデス・ナイトが搬入口で立ち往生してる! 誰か搬入許可の魔印を出して!」
編集室とスタッフルームが一体化したような広大なフロアでは、締め切りと進行に追われる若手スタッフたちが悲鳴を上げながら走り回っている。
彼らの間を縫うようにして、重い照明機材や音声ケーブルを抱えたスケルトンたちが、カタカタと骨を鳴らしながら無言で往復していた。人間には重労働となる機材運びをアンデッドが担うことで、放送局の回転率は飛躍的に向上している。しかし、そのアンデッドたちに的確な指示を出し、複雑な現場を回すのは結局のところ人間の役割だった。
「記録用クリスタルの予備なら、第三倉庫のB棚に補充されてるわ。走れば往復一分よ。それから、搬入口のデス・ナイトには私が直接許可を出しに行くから、あなたは台本の最終確認を急いでちょうだい」
混乱の極みにあるフロアに、凛とした、しかしどこか包容力のある声が響き渡った。
「エリスさん! ありがとうございます!」
「さすが元ミスリル級のリーダー、助かります!」
若手スタッフたちがぱっと顔を輝かせ、それぞれの持ち場へと駆け出していく。
彼らの視線の先に立つのは、動きやすいオフィスカジュアルに身を包んだ人間の女性――エリス・ヴァレンシアだ。
かつて竜王国でミスリル級冒険者チーム『ドラゴ・カルテット』を率いていた彼女は、魔導国への移住後、その明晰な頭脳と卓越した統率力を買われ、MHKのアシスタントプロデューサー(AP)へと大転身を遂げていた。
冒険者時代の革鎧は脱ぎ捨て、今は洗練されたジャケットとパンツスタイルをスマートに着こなしている。手には杖ではなく、分厚いファイルボードとスケジュール表が握られていた。
エリスはふう、と小さく息を吐きながら、手元の進行表に素早くチェックを入れる。
(冒険者時代より今のほうが、ずっと目まぐるしいかもしれないわね)
エンターテインメントを作り上げ、国家規模の熱狂を生み出すこの仕事には、冒険とはまた違う心地よい疲労感と充実感があった。
エリスはスタッフルームの喧騒を背に、素早い足取りで搬入口へと向かう。
APとしての彼女の日常は、今日も分刻みで動き続けていた。
◇ ◇ ◇
午後、一段落ついたエリスは、シン・ワーナベに会議室へと呼び出された。
「忙しいところすまないな、エリス。座ってくれ」
シン・ワーナベは、バハルス帝国産の葉巻をくわえながら、辛みのある豊かな香りを室内に吐き出す。
「いえ。……それで、急な打ち合わせというのは?」
エリスが席に着くと、シンは葉巻を灰皿に置き、真剣な面持ちで向き直った。
「看板番組の一つ、『アインザック探検隊』の次なるロケ地が正式に決定した。……南境の深淵だ」
「南境の深淵……ですか。それはまた、ずいぶんと……」
「ああ。これまでとは比較にならないほどの遠方であり、地図すら存在しない未踏のジャングルだ」
エリスは眉をひそめた。元冒険者としての直感が、その言葉の危険性を警告している。
「なぜ、そのような魔境へ? 視聴率のためですか?」
「違う。これは、魔導王陛下からの勅命だ」
シンは熱を帯びた声で語り始めた。
「陛下は仰った。南方の未踏地帯には、未だ見ぬ希少な鉱石――レアアースが眠っている可能性があると。探検隊の真の目的は、その資源の発見と確保にある」
「理由はわかりましたが……しかし、地図もない未踏の地となれば、未知の魔獣や風土病の危険が計り知れません。探検隊の安全はどう確保するおつもりですか?」
「無論、陛下もそこは憂慮(ゆうりょ)しておられる。探検隊に危険が及んだときのために、強力な護衛が同行することになった。戦闘メイドのシズ・デルタ様だ」
「プレアデスのシズ様が……! それなら、どんな魔獣が現れても遅れをとることはないでしょう」
エリスは驚きとともに安堵の息を吐いた。
「さらに、冒険者たちはソウルイーターに騎乗する。ソウルイーターたちには、冒険者の指示に従うようにと、既に陛下から命が下っている」
シンはそこまで言うと、机の上を指でトントンと叩いた。
「そして、ここからが重要だ。陛下は『少数精鋭で臨むこと』を強く命じられた」
「少数精鋭、ですか」
「そうだ。今回は経験の浅い者は同行させない。何が起きるかわからない死地において、経験の浅い者は足手まといになる。それによって他の者たちに危険が及ぶようなことがあってはならない、と」
シンの言葉には、部下やスタッフの命を第一に考えるアインズの慈悲、そしてそれを絶対に遵守しようとするシン自身の強い使命感が滲んでいた。
過剰な演出や煽りを良しとせず、常に「真実の躍動感」を求めてきたシンにとって、この過酷なリアルこそが最高のエンターテインメントになり得ると確信しているのだろう。
「経験豊富な者だけで構成された精鋭部隊こそが、この遠征には相応しい」
「ええ、その通りですね。……ところでプロデューサー。一つお聞きしたいのですが」
「なんだ」
「その精鋭部隊のメンバーというのは、誰を想定しているのでしょうか? 南境の未踏地帯となれば、最低でもオリハルコン級、できればアダマンタイト級の……」
「アインザック隊長、シズ様、そして君だ」
「……はい?」
エリスは間抜けな声を漏らした。
「君に行ってもらいたい。いや、君しかいないんだ、エリス」
シンは真剣な眼差しで、再び葉巻をくわえた。
「な、なぜですか!? 冒険者を引退して、テレビ局の裏方になったんですよ!? 安全で文化的な生活を送るためにMHKに就職したのに、また命懸けの冒険に行けと仰るんですか!?」
エリスは立ち上がり、バンと机を叩いた。
「落ち着いてくれ。理由は明確だ」
シンは諭すように言葉を続ける。
「元ミスリル級冒険者としての圧倒的なサバイバル能力と戦闘経験。それに加えて、テレビの『演出意図』や『進行管理』を完全に理解しているAP。この二つを併せ持つ人材が、魔導国の、いや、この世界のどこにいる?」
「ぐっ……!」
「現地で何が起きるかわからない以上、現場の判断でカメラを回し、かつ死なない人間が必要なんだ。カメラマンには不眠不休で撮影ができるエルダー・リッチを同行させるが、彼らに『テレビ的な画角』や『撮れ高』を指示できるのは君しかいない」
エリスは頭を抱えた。
「それにしたって……! アインザック隊長だけで十分ではないですか?!」
「いや、隊長はあくまでアインザック殿だが、彼は君ほどの過酷な絶望を経験していないだろう」
「……」
エリスの脳裏に、泥濘に塗れた竜王国の戦場や、絶望的な大軍と対峙した王都での記憶がフラッシュバックする。
「彼はおそらく、戦闘時の実質的な指揮は君に任せることを考えるだろう。役割の分担については、アインザック隊長とよく相談してくれ」
逃げ道は、完全に塞がれていた。
「……わかりましたっ、やりますっ、やらせていただきますよ! その代わり、帰ってきたら特別手当と長期休暇を要求しますからね!」
「ああ、約束しよう。頼んだぞ、我がMHKが誇る『戦うAP』殿」
シンの口角が微かに上がり、エリスは深い、深い溜息を吐いたのだった。