魔導産業革命 ~エネルギーシフトと覇権通貨「エン」がもたらす軍事なき支配~ 作:Camel おさ
新首都ノヴァリアの朝は、抜けるような青空と冷涼な風に包まれていた。
だが、高級ホテル「ノヴァリア・グランド・プラザ」の豪奢な大理石ロビーに立つエリス・ヴァレンシアの頭の中は、澄み渡る青空とは正反対の、重苦しい鉛色の霧に覆われていた。
(……頭が割れるように痛い……。それに、何この胸のざわつきは……?)
こめかみを押さえながら、エリスは今朝目覚めた瞬間の絶望感を思い出していた。
昨夜の記憶が致命的に抜け落ちている。覚えているのは、目の前のグラスを片っ端から空けたことくらいだ。何か途方もない暴言を吐いたような、取り返しのつかない醜態を晒したような、背筋が凍る感覚だけがへばりついて離れない。
「おはようございます、エリス殿。おや、オリーブドラブのコートですか。とてもよくお似合いです」
威風堂々とした声とともに、蝶ネクタイを誇らしげに整えたバードマン、エクレア・エクレール・エイクレアーが短い足でペタペタと歩み寄ってきた。
「あ……エクレア様、おはようございます……」
「昨夜の誓い通り、私を抱えて運びなさい」
エリスがおずおずと両腕を差し伸べると、エクレアは当然の権利であるかのようにその腕の中にすっぽりと収まった。胸元に抱きかかえられたエクレアは、満足げにくちばしを鳴らした。
「実に快適なホールド感です。昨夜の無礼は、寛大な私の心により不問にして差しあげましょう」
「昨夜の無礼? わ、私、何かしましたでしょうか……?」
「五段活用だの、甘そうだのと侮辱した挙句、私を放り投げたではありませんか。ですが、許して差しあげますとも」
「ひっ……!」
エリスの青ざめた顔から、一気に血の気が引いた。本当にやらかしていた。
「おはよう、エリス君。今朝の体調はどうかな?」
そこへ、歴戦の重厚な空気を纏ったプルトン・アインザックが歩み寄ってきた。
かつて背中に背負っていた大剣はない。アインザックは魔導王陛下より、青い靄をかすかに立ち上らせる『ブルークリスタルメタルの短剣』を下賜(かし)された。それを機に冒険者訓練所で鍛錬を積み、短剣二刀流へと戦闘スタイルを変えたのだ。右の腰にはブルークリスタルメタルの短剣を、左にはエ・ランテル最高峰の短剣を装備していた。
「ア、アインザック様! 昨夜は……その、大変失礼な言動をしてしまったようで……! 申しわけありませんでした!」
深々と頭を下げるエリスを見て、アインザックは快活に肩を揺らして笑った。
「ははは! 気にするな。無礼講だと言ったのは俺の方だ。それに、君の背負ってきたものの重さを知ることができて、むしろ良かったと思っている」
冒険者組合長のあまりに広い懐に、エリスが胸を撫で下ろしかけた――その時。
「……覚えてる?」
背後から、抑揚のない冷ややかな声が落ちてきた。
振り返ると、シズ・デルタがジト目――感情の読めないエメラルドグリーンの瞳で、エリスをじっと見つめていた。その手には魔導スクロールが握られている。
「シ、シズ様……! ええと、その……ほとんど覚えていなくて……」
冷や汗を流しながら視線を泳がせるエリスに、シズは淡々と事実の刃を突き刺した。
「……抱きつかれた」
「えっ」
「……結婚できないかもしれないって号泣した」
「わ、私、そんなことを……」
「……エリスの涙で服がぐしょぐしょ」
「わーーーっ!! ごめんなさい~っ!」
「……エリスはお酒を飲むとポンコツになる。昨日のメモ」
エリスは腕の中のエクレアを思わずギュッと抱きしめ、真っ赤に染まった顔をその背中に埋めて悶絶した。
エクレアが「ぐえっ、締め付けが強い!」と短い翼をバタつかせる。
そんなエリスの頭上へ、シズが無表情のまま小さな手を伸ばし、ぽんぽんと軽く頭を撫でた。
「……私のことは、シズ先輩と呼ぶ」
「へ?」
「……私のほうが強い。だから先輩」
エリスは涙目で顔を上げると、コクコクとうなずいた。
「は、はい……シズ先輩……」
そのやり取りを腕組みして眺めていたアインザックが、ニヤリと笑みを浮かべた。
「なら、俺のことはザックと呼べ」
「……はい?」
エリスは目を丸くしてアインザックを見つめ返した。
(ザック……? なぜザック? アインザック様じゃなくて?)
「ザックさ……ん」
「うむ、それでいい」
アインザックは満足そうに顎髭を撫でると、ふと思い出したように、穏やかな視線をエリスに向けた。
「ところでエリス。ドラゴ・カルテットのメンバーとは、酒の席を持たなかったのか?」
「え? あ……いいえ。割と頻繁に、飲んでいました」
「ほう?」
「なぜかみんな、『エリスのために飲みに行こう』と言って、よく誘ってくれたんです。私は飲まされるばかりで、翌朝いつも二日酔いになってたんですけど……」
エリスは少し照れくさそうに、かつての仲間たちとの思い出を振り返った。
その屈託のない横顔を見て、アインザックの表情が静かに和らいだ。
――アインザックには、すべてが理解できた。
ドラゴ・カルテットのメンバーたちは、若きリーダーであるエリスを心から信頼し、命を預けていたのだ。
だが、極限の死線において、気丈に振る舞い続ける彼女の肩に、どれほどの重圧がのしかかっているかも痛いほどわかっていた。
だからこそ仲間たちは、定期的にエリスを酒の席へと引っ張り出し、彼女の胸の内に溜まった毒と弱音をすべて吐き出させ、それを丸ごと受け止めていたのだ。
「良いチームだったようだな」
「え……?」
「さあ、そろそろ出発の時間だ」
アインザックの温かい眼差しに、エリスは意味が分かりかねながらも、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「……じゃあ行く」
シズが静かに魔導スクロールを掲げ、封蝋を解く。
高位階スクロール<ゲート>――その魔力が解放された瞬間、ホテルのロビーの中央に、光を呑み込む漆黒の空間の歪みが広がった。魔力の波動に、ロビーの空気がかすかに震える。
「行きましょう、エリス殿。我が覇道の第一歩です」
「抱っこされている身でよく言えますね……」
エリスはエクレアを抱き直すと、迷いのない足取りで漆黒の歪みへと踏み出した。
光と闇が反転するような浮遊感に包まれながら、一行の姿はノヴァリアのロビーから掻き消えていった――。