魔導産業革命 ~エネルギーシフトと覇権通貨「エン」がもたらす軍事なき支配~ 作:Camel おさ
「グルルルルルルル…………ッ!」
大地を震わせる重低音の唸り声とともに、樹海の主(ぬし)が姿を現す。
体長は五メートルを優に超え、歩みを進めるだけで密林の巨木がメキメキと軋みを上げる。丸太のような太い四肢、巨岩を削り出したかのような頑強な鼻先。そして何よりも圧倒的なのは、その全身を鎧のごとく覆い尽くす、高密度の剛毛と分厚い甲皮だった。
「ぬうっ……南境の化物めが!」
アインザックは即座に両手の短剣を構え直し、湿った腐葉土を蹴り飛ばして巨獣の側面へと回り込んだ。
ブルークリスタルメタルの短剣が、青い光の軌跡を描いて巨獣の脇腹へと振り下ろされる。
武技――<斬撃>!
キンッッッ!!
樹海を揺るがしたのは、肉や骨を断つ音ではなかった。
鋼鉄の鐘を金槌(かなづち)で殴りつけたかのような、甲高い金属音。
激しい火花が散り、アインザックの右腕に強烈な痺れが走る。
「馬鹿な……!? この硬度は何だ……!?」
アインザックが後方へ跳躍し、間合いを取る。
「<マジック・アロー>」
すかさず後衛のエリスが魔力弾を放つが、青白い光弾は硬質な毛皮の表面で弾け散り、焦げ跡ひとつ残せない。
「グルオオオッ!」
刃も魔法も通じぬ怪物が、苛立たしげに前脚を踏み鳴らす。首を低く垂らし、巨躯全体を弾丸のように突進させる構えだ。踏み潰されれば、人間の肉体など一瞬でミンチに変わる。
絶体絶命の重圧が場を支配した。
そのとき、シズが小さく呟いた。
「……博士の図鑑で見た。これはカピバラ」
「カピバラぁ? なんですかぁ、それはー?」
シズは瞳をパチパチと瞬かせ、巨獣を検分するように見つめている。
「……たぶん柔らかい」
「どこがですか?!」
しかしシズの言葉が、エリスの脳裏に閃きをもたらした。
(全身が毛皮と甲皮の複合装甲……でも、ずっと顎を引いて頭を低く下げている。あの長い顎の下……。そうか……!)
「喉元だけは装甲がない……!」
しかし、敵は巨大な頭部を垂らしたままだ。正面からも側面からも、喉元を狙う隙間などない。
「くっ……! あいつの頭を、無理矢理にでも上へ向けさせないと……」
エリスの切迫した呟きを聞いたシズが、すっと首を巡らせた。
その視線の先――。
荷駄用ソウルイーターの背中で、安全圏から偉そうに見物している一体のペンギン。
エクレアは蝶ネクタイを整えながら満足げに頷いていた。
「ふむ、手強い原生生物のようですね。ですが案ずることはありません。いずれ私がナザリックの頂点に立ち、全土を統べた暁には、このような野蛮な獣など――」
トタトタ、と無音で歩み寄ったシズが、無表情にエクレアの頭部を鷲掴みにした。
「むぎゅっ!? 痛い! シズ殿、何をされるのですか!?」
短足をバタつかせるエクレアをぶら下げたまま、シズは抑揚のない声で告げた。
「……デコイ」
「デコイとは? 何のことでしょうか?」
「おとり……鳥だけに。……あ、いま面白いこと言った」
「鳥ではありません、バードマンです! って、え? おとりィィィ!? ちょ、待ちなさ――」
ヒュンッ!
風を切り裂く澄んだ音が響いた。
シズの右腕が、淀みない流線を描いて青空へと振り抜かれる。
オートマトンの驚異的な筋力によって射出されたエクレアの体は、猛烈な初速で鬱蒼とした樹冠の隙間を突き抜けた。
「ぎゃあああああああーっ! 私の覇道がああああーっ!」
抜けるような青空をバックに、完璧な放物線を描いて天高く飛翔していく蝶ネクタイのペンギン。
短い翼と黄色い足を狂ったようにバタつかせ、木霊(こだま)する断末魔の絶叫。
そのあまりに異様で、あまりに滑稽(こっけい)な飛翔体に、突進しかけていたカピバラ巨獣の目が完全に釘付けとなった。
「フゴッ?」
巨獣が思わず頭部をカクンと跳ね上げ、空中のエクレアを見上げた。
その瞬間――。
硬い剛毛の奥深くに隠されていた、無防備で柔らかな喉元の皮膚が、白日の下に晒された。
「そこよっ! シズ先輩、同時に攻撃します!」
「ん」
ジャキっ!
すかさずシズがアサルトライフルを構え、エリスが杖を突き出す。
「リッチ! 私たちを撮って! その後すぐにカメラを巨獣へ向けて!」
ダダダダダッッ!!
<マジック・アロー>!
シズの魔導銃から放たれた閃光と、エリスの木製杖から放たれた青白い魔力光が空を切り裂く。
同時に、エルダー・リッチのカメラが巨獣へ向けられる。
超高速の弾丸と必中の魔力弾が、無防備な喉元へと吸い込まれていった。
「グギャアッ!」
急所を撃ち抜かれた巨獣が絶叫を上げ、白目を剥いて巨躯をのけぞらせた。巨体がグラリと傾き、地響きとともに横倒しに大地へと叩きつけられ、そのままピクリとも動かなくなった。
一方、空高く舞い上がったエクレアは、優美な放物線の頂点を過ぎ、猛烈な勢いで地上へと落下していた。
「ぎゃああああああーーーっ!」
風を切り裂いて落ちてくる蝶ネクタイのイワトビペンギン。
「……あそこか!」
アインザックは瞬時に落下地点を割り出すと、湿った腐葉土を力強く蹴り飛ばして疾走した。
それを見たエリスが叫ぶ。
「リッチ! ザックさんを追って!」
落下地点へと滑り込む、アインザックの見事なスライディング・キャッチ――!
落下してきたエクレアの体を「スポッ」と完璧に抱きとめた。
「ぐふっ!」
「……ふう、間に合った」
エクレアの美しい放物線から、喉元の急所攻撃、巨獣の昏倒、そしてアインザックの華麗なスライディングキャッチまで――そのすべてを完璧な画角で記録したエルダー・リッチは、小さく一度だけ首を縦に振った。
「撮れた……! 完璧な撮れ高……!」
エリスは拳を握りしめて歓喜しかけ――ハッと我に返って頭を抱えた。
「……って、シズ先輩ぃぃぃぃ!!」
密林に響き渡るエリスの悲鳴。
「エクレア様を空に放り投げるなんて無茶苦茶です!」
「……でも、いい絵が撮れた。撮れ高は大事」
シズは魔導銃を下ろし、親指を立てた。
(うっ……! それを言われると、APとして何も言い返せない……!)
アインザックの腕に収まったエクレアは、小刻みに痙攣しながら呟いた。
「……三途の川の向こうに、餡ころもっちもち様のお姿が見えました……」
◇ ◇ ◇
やがて南境の空が茜色から深い藍色へと移り変わり、熱帯雨林に重苦しい夜の帳が下りた。
日中の激闘と泥だらけの行軍により、探検隊の疲労は限界に達していた。鬱蒼とした熱気と、肌にまとわりつく湿気、不気味に響く夜行性魔獣の遠吠えが、神経を容赦なく削り取っていく。
わずかに開けた草原へ出たところで、アインザックが足を止めた。
「今夜はここで野営とするか」
「えっ……こんな魔獣の巣窟で野営ですか……?」
エリスが青ざめて杖を抱え込むと、
「……みんな、下がって」
シズが淡々と告げ、高位階スクロールを取り出した。
<クリエイト・フォートレス>
第十位階の魔力が解き放たれた瞬間、轟音とともに大地が隆起した。
先ほどまで何もない草原だった場所に、高さ三十メートルを超える重厚な白亜の巨塔が、忽然と夜空へそびえ立った。
「な、なんですかこれぇぇ……!?」
エリスはその場にへたり込んだ。元冒険者としての常識が、音を立てて粉々に砕け散っていく。
「……入って。中は広い」
シズが歩み寄ると、分厚い鋼鉄の扉が無音で左右に開いた。
通路を抜けた先に広がっていたのは、魔法の明かりに満ちた円形のホールだった。
外観から想像するよりも遥かに広大な空間。高い天井には魔法の明かりが灯り、床は塵ひとつない白い石造りで整えられている。
何よりありがたかったのは空気だった。密林の不快な蒸し暑さや泥の臭いは完全に遮断され、ひんやりと涼しく、清涼な空気が満ちている。中央には上階へ続く優美な螺旋階段があり、壁際には十枚もの部屋の扉が並んでいた。
「……各部屋にベッドがある。適当に使っていい」
シズの言葉に、エリスは安堵の息を漏らした。
「これなら、魔獣に怯えずにぐっすり眠れそうです」
塔の外では、四頭のソウルイーターが、微動だにせず闇の中に佇んでいた。
生者の魂を喰らうアンデッドの魔獣。飲食も睡眠も一切不要な彼らが門番として立っているだけで、南境のいかなる肉食獣も近づくことすらできない。
アインザックが保存食と水袋を取り出しながら、エリスの顔を見てニヤリと口元を緩めた。
「エリス君はさぞ残念だろうが、酒は持ってきてないぞ」
「うっ……! ザックさん、まだそのことを……!」
エリスは耳まで真っ赤にして両手で顔を覆った。
その横で、エルダー・リッチが深々と一礼した。
「本日分の録画媒体を届けに、いったんMHKビルへ戻ります」
骸骨のカメラマンはそう言い残すと、スクロール<ゲート>を展開し、漆黒の虚空の中へと静かに姿を消した。
一方、ホールの革張りソファにどっかりと腰を下ろしたエクレアは、優雅に羽毛を撫でつけながら胸を張った。
「ふむ。ナザリックの第九階層には遠く及びませんが、まあ野営としては及第点を差しあげましょう。さあ、エリス殿、私を部屋まで運びなさい」
「はい、エクレア様」
エリスは笑みをこぼすと、両腕を差し伸べてエクレアをふわりと抱き上げた。
胸元にすっぽりと収まったエクレアは、満足げにくちばしを鳴らす。
シズが小さくつぶやいた。
「……今日のメモ。エクレアはデコイに最適」