魔導産業革命 ~エネルギーシフトと覇権通貨「エン」がもたらす軍事なき支配~ 作:Camel おさ
ノヴァリア王宮、貴賓室。
「アインズと呼べ」と告げられ、胃の腑をひっくり返されたのと同じ部屋に、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは再び座っていた。
磨き抜かれた円卓。窓から差し込む陽光。何一つ変わらない、穏やかで美しい部屋だ。
変わったのは、隣の席だった。
「……ねえ、ジル。今日の私、見劣りしてない?」
小声で囁いてきたのは、竜王国女王ドラウディロン・オーリウクルスだ。
艶やかな大人の女性の姿。黒を基調としたドレスの胸元には銀細工が光り、結い上げた黒髪からは白いうなじがのぞいている。
「いつも通りだ」
「なによそれ。こっちは命がけで着飾ってんの。『美しい』とか『完璧だ』とか言えないわけ?」
「事実を言ったまでだ」
「お世辞の一つくらい言えんのか?」
「場所をわきまえろ。ここをどこだと思っている」
今朝、皇帝専用機(ボーン・アルバトロス飛行船)で竜王国の王都へ迎えに行ったときから、この女はずっとこの調子だった。機内では緊張を紛らわせるように葡萄酒を三杯あおり、「魔導王陛下ってどんな方? デミウルゴス様よりも怖い? 本当に骨だけなの?」と同じ質問を五回は繰り返した。
ジルクニフの背後では、筆頭書記官ロウネ・ヴァミリネンが緊張した面持ちで書類の束を握りしめている。
竜王国の宰相は青ざめた顔で、ドラウディロンの後ろに控えていた。
――扉が開いた。
漆黒のローブをまとった死の支配者――魔導王アインズ・ウール・ゴウンが、宰相アルベドを伴って姿を現す。
ジルクニフとドラウディロンは同時に立ち上がり、深く頭を垂れた。
「よく来てくれた。楽にしてくれ」
アインズは鷹揚に手を振って着席すると、まずはジルクニフへ目を向けた。
「息災であったか、ジル」
ぴしり、とジルクニフの頬の筋肉が引きつった。
隣でドラウディロンの肩が小刻みに震えている。笑いを噛み殺しているのだ。
「……はい。おかげさまで、大過なく過ごしております、ア……」
アインズさん、と言うべきなのか。だが、属国の皇帝が他国の女王の面前で、宗主国の王を「さん」付けで呼ぶ――そんな光景が、外交の場でどう映るのか。
「……魔導王陛下」
結局、ジルクニフは逃げた。
アインズはわずかに首を傾げたが、それ以上は何も言わなかった。
「そして――」
アインズの視線がドラウディロンへ移る。
「貴女がドラウディロン女王か。こうして直接会うのは初めてだな」
「お初にお目にかかります、魔導王陛下。竜王国女王、ドラウディロン・オーリウクルスでございます。先のビーストマン討伐におけるご恩、竜王国の民は一日たりとも忘れたことはございません」
淀みのない、完璧な女王の口上だった。
「礼には及ばぬ」
アインズが頷くと、ジルクニフが口を開いた。
「まずは、このたびの南境探検における世紀の大発見、心よりお祝い申し上げます。帝国中がエレナの幻影に沸き立ち、いまや白霧の湖の話題で持ちきりです」
ドラウディロンもそれに続く。
「竜王国も同じでございます。自国のすぐ南に、あのような秘境が眠っていたとは……。民はみな、魔導国の偉業に感服しております」
「うむ」
アインズは満足げに頷くと、傍らのアルベドへ目配せをした。
アルベドが円卓の中央に、黒い小箱を置き、蓋を開ける。
現れたのは、虹色の光沢を帯びた階段状の結晶と、鈍く黒光りする岩の塊だった。
アインズの脳裏に、執務室へ鉱石を届けに来たシズの姿がよみがえる。
――……魔力を流したら、片面が凍りついた。反対側からは、熱気が出た。
淡々とした報告を聞いた瞬間、アインズの頭蓋骨の中で、鈴木悟の思考がぐるぐると回り始めた。
(片面が冷たくて、反対側が熱い……? じゃあ冷たい面を部屋に向けて、熱い面を外に出せば……それ、クーラーじゃないか?)
仕組みはさっぱりわからない。わからないが、とにかく冷たいものは冷たいのだ。
新・三種の神器の最後の一つ。思いつきで口走ってしまった、あのクーラーが――ひょっとすると、本当に作れてしまうかもしれない。
アインズは虹色の結晶を骨の指先でつまみ上げた。
「この鉱石は、魔力を流すことで冷熱を分かつ特異な性質を持つ。こちらの黒い岩は、尋常ならざる磁力を帯びている」
ジルクニフとドラウディロンが、息を呑んで結晶を見つめる。
「ジル。帝国のキーロ・タヨトと、我が国のンフィーレア・バレアレ。この二人にこれらの素材を託し、共同で研究させてみぬか。空間そのものを冷やす新たな神器――『クーラー』を創り出すのだ」
ジルクニフの背筋を、冷たいものが駆け上がった。
――キーロ・タヨトとンフィーレアが組めば作れるはずだ。
あの日、この部屋で、魔導王は確かにそう口にしていた。何を作るのかと首を傾げたものだったが、探検隊を送り出すより前から、この鉱石の存在を見通していたというのか。
(魔導王は未来を見通しているのではない。未来を設計している――やはり、そういうことか)
「……身に余る光栄です。帝国の威信にかけて、必ずや成し遂げてみせましょう」
ジルクニフが深々と頭を下げると、アインズは満足げに頷いた。
「さて。貴君らから届いた嘆願書についてだが」
アインズは手元の書類に視線を落とした。
「まずは白霧の湖への学術調査隊の派遣。帝国と竜王国の連名だったな」
「はっ。エレナの幻影と古代遺跡の謎を解き明かすため、両国の歴史家と魔法詠唱者を送り込みたく――」
ジルクニフが、背後のヴァミリネンに目で合図を送る。しかし、それと同時にアインズの声が響いた。
「うむ、許可しよう。大いに調査するとよい」
「……は?」
あまりにもあっけない快諾に、ジルクニフは一瞬言葉を失った。
交渉材料も、譲歩案も、何ひとつ切り出していない。
ヴァミリネンが徹夜で用意した三十枚の資料は、一枚もめくられないまま終わった。
(やはりこれも……全て計画の内だった、ということか……)
「ありがとうございます。さっそく調査を進めさせていただきます」
「では、次は竜王国の嘆願だな」
魔導王の紅い眼光が向けられた。ドラウディロンは膝の上でそっと指を組み、呼吸を整える。
(落ち着け、私。ここが正念場よ)
帝国には自動車をはじめとする工業製品が、そしてそれを設計する技術がある。聖王国には工場がある。国際水平分業の歯車が回り始めてから、両国は目に見えて豊かになった。
だが、竜王国には何もない。ビーストマンの脅威から解放されたいま、国を支える柱となる産業が、どこにも見当たらないのだ。
アインザック探検隊の大発見をテレビで観て、ようやく見つけた観光産業という活路。それをいま、この場で掴み取らなければならない。
「申し上げます。先日の放送で発見された、七色の湯――あの温泉を活かし、竜王国は一大温泉リゾートを築きたいと考えております」
その瞬間――魔導王の眼窩に灯る紅い光が、ほんの一瞬ぱっと明るく揺らめいた。
(……え?)
見間違いではない。「温泉」という言葉を口にした、まさにその瞬間だった。
ドラウディロンは表情を変えぬまま、その小さな揺らぎを心の奥にしまい込んだ。
「あの一帯で発見された鉱石について、竜王国はいかなる権利も主張いたしません。採掘権はすべて魔導国に献上いたします。その代わり、温泉の湧く一帯を竜王国の領土としてお認めいただきたいのです」
ドラウディロンはさらに言葉を継いだ。
「ただ、お恥ずかしながら、我が国には密林を切り拓く技術も、巨大な宿を建てる国力もございません。つきましては、リゾート開発とホテルの建設を、魔導国に発注させていただきたく存じます。また、南境の観光地化に伴い、魔導国のノヴァリア、帝国のアーウィンタール、聖王国のホバンス、ドワーフ国のフェオ・ジュラ、そして我が王都――それぞれの首都と現地を結ぶ、ボーン・アルバトロス・エアラインの定期便の運行をお願いしたいのです」
言い切った――。
背後で宰相が、ごくりと唾を呑む音が聞こえた。
魔導王は顎の骨に指を添え、しばし考え込むような仕草を見せてから言った。
「ふむ。いいではないか」
「お待ちください、アインズ様」
凛とした声が、魔導王の言葉を遮った。
アルベドが、路傍の小石を見るような冷ややかな眼差しをドラウディロンへ向けた。
「ずいぶんと貴国に都合のよいお話ですこと」
ひやり、と貴賓室の空気が一瞬で凍てついた。
「鉱石の権利を『献上』と仰いましたけど、あの地を見つけたのは我が国の探検隊。もともと貴国のものではありません。それを差し出す代わりに土地をよこせ、工事は魔導国にやらせろ、空の道まで敷けと――」
黄金の瞳が、すうっと細められる。
「我が国の技術と労働力を使って、ご自分たちだけ利益を貪るおつもりかしら」
ドラウディロンの全身から一気に血の気が引いていく。
肌を刺す、目に見えない圧。
王都をビーストマンに包囲されたときですら、ここまでの死の予感を覚えたことはなかった。
(これは……まずい……。殺される……)
横目で盗み見れば、ジルクニフは石像のように前を見据えたまま微動だにしない。その額に一筋の汗が伝っている。
背後では宰相が、書類の束を取り落とす音がした。
(考えろ、考えろ私……! 何か……何か起死回生の一手がないか……!)
脳裏に、先ほどの光景がよみがえった。
「温泉」と口にした瞬間、ぱっと明るく揺らめいた、あの紅い灯り。
(……賭けるしかない)
「も、申し訳ございません!」
ドラウディロンは深々と頭を下げ、そして顔を上げた。
「ですが……魔導王陛下は、湯浴みの文化を好まれるとお見受けいたしました!」
魔導王の眼窩の灯りが、またしても揺らめいた。
――当たりだ。
「リゾートホテルが完成した暁には、魔導王陛下を『一番風呂』にご招待させていただきます! もちろん、アルベド様もご一緒に! 専用の露天風呂付きのスイートルームをご用意いたします!」
沈黙が落ちた――。
ドラウディロンは、自分の心臓の音だけを聞いていた。
アルベドの表情が、ぴたりと止まっている。
「……アインズ様と、ご一緒に……」
アルベドの唇から、かすかな呟きがこぼれた。
「……専用の露天風呂で、混浴……。そして、スイートルームの、ダブルベッド……」
ドラウディロンは、混浴とは言っていない。ダブルベッドとも言っていない。
アルベドの白い頬が、みるみるうちに薔薇色へと染まっていく。
黄金の瞳はとろりと潤み、両手が胸の前で祈るように組み合わされる。
腰の黒い翼が、小刻みに震えながら直立していく。
「なんと素晴らしい提案……!」
先ほどまでの冷気が嘘のような、とろけるほどに甘い声だった。
「アインズ様、ぜひ受諾いたしましょう!」
貴賓室にいた全員が、あっけにとられてアルベドを見つめた。
次の瞬間、魔導王の体が緑色に光ったかと思うと、
「うむ。では、竜王国の嘆願もすべて受け入れるとしよう」
そう答えた魔導王の声は、心なしか上ずっていた。
(勝った……!)
ドラウディロンは、円卓の下で拳を握りしめた。
膝が震えている。背中は冷や汗でぐっしょりと濡れている。
しかし、死中に活路を見出すべく放ったクイーンの妙手――ブリリアント・ムーブは、盤上の絶望を鮮やかに覆してみせた。
◇ ◇ ◇
会談がすべてまとまり、一同が席を立とうとした、そのとき――。
アインズが、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、今日は二人で同じ飛行船に乗ってきたそうだな。嘆願書も連名だったし……」
骸骨の顔に表情はない。真意を読み取ることはできない。
だが、その声音は、ドラウディロンにはどこか微笑ましげに聞こえた。
「二人は本当に仲が良いのだな」
ドラウディロンは、妖艶に微笑んだ。
「ええ。とても」
そう言って、隣のジルクニフへ意味ありげな流し目を送る。
ジルクニフの動きがピタリと止まった。
立ち上がりかけた中腰の姿勢のまま、瞬きひとつせず、口をわずかに開けたまま。
まるで時間そのものが止まってしまったかのように、完全に凍りついていた。
「アインズ様」
アルベドが、いまだ薔薇色の頬のまま、弾むような声で言った。
「ドラウディロン女王陛下にも、我が国より『女王専用機』を贈呈してはいかがでしょう。リゾートの視察にも、我が国への往来にも大いに役立ちます」
「それは名案だな」
アインズが頷く。
「ま、誠に……誠によろしいのですか!? これほど過分なる恩寵を賜り、感謝の言葉もございません! 魔導王陛下、宰相アルベド様。海より深きご配慮、身に余る光栄にございます!」
ドラウディロンは胸に手を当て、臣下の礼を尽くして深く頭を下げた。
そのときジルクニフは、まだ凍りついていた。
「では、本日はこれにて」
アインズの言葉とともに、会談はお開きとなる。
アルベドは「スイートルーム……混浴……」と夢見るように呟きながら主の後に続き、ドラウディロンは宰相と手を取り合って勝利を喜び、ヴァミリネンは使われなかった三十枚の資料を寂しげに抱えていた。
ジルクニフが我に返ったのは、貴賓室に一人取り残されたあとのことだった。