魔導産業革命 ~エネルギーシフトと覇権通貨「エン」がもたらす軍事なき支配~ 作:Camel おさ
時は少し遡り、全世界を熱狂の渦に巻き込んだ緊急特番『アインザック探検隊』の放送から二週間後のこと――。すなわち、アインズとアルベドが南境の温泉リゾートへと赴く、およそ二週間前の出来事である。
◇ ◇ ◇
新首都ノヴァリアの王宮、統治評議室では、定例の行政報告会が開かれようとしていた。
黒曜石の巨大な卓の主座には、絶対支配者アインズ・ウール・ゴウンが鎮座し、その左右には宰相アルベド、知将デミウルゴス、中央銀行総裁ラナーが並んでいる。
そして下座には、ノヴァリアの現場執行部『エイト・リーブス』の全体統括を担うヒルマ・シュグネウスが控えていた。
ヒルマはすぐに、室内に奇妙な空気が漂っていることに気づいた。
(アルベド様のご様子が、いつもと違う……?)
ヒルマは恭しく伏せていた視線をわずかに持ち上げ、そっとアルベドの顔を盗み見た。
普段のアルベドといえば、美貌の奥に氷の刃のような冷徹さを秘め、張り詰めた威圧感を放っている。
ところが今日のアルベドは、白い頬はほんのりと薔薇色に上気し、金の瞳はどこか遠くの甘美な夢でも見ているかのように潤んでいる。口元には、花のような柔らかい微笑みが浮かんでいた。
チラリと視線を走らせれば、ラナーもまた、ドロリと濁った瞳をわずかに細めてアルベドを観察していた。
種族も立場も違えど、二人の女性が直感した結論はひとつ。
――アインズ様と、何か特別なことがあったに違いない。それも、この守護者統括の理性をとろけさせてしまうほどの、蜜のように甘い何かが――。
「まずはアルベド、南境調査の件はどうなっている」
アインズの重々しい声が響き、アルベドはハッと我に返ったように背筋を伸ばした。
「はい、アインズ様。白霧の湖へ派遣されたバハルス帝国および竜王国の合同調査隊より、第一報が届いております」
アルベドは手元の書類に目を落とした。
「調査隊の報告によりますと、白霧の湖を取り巻く濃霧の発生原理や、遺跡に関する謎はまったく解明されておらず、本格的な調査には相応の時間を要するとのことです。また、関連性は不明ながら、周辺の熱帯密林には『カポック』と呼ばれる樹木が大量に自生していることが確認されました。ただ、『蒼き皇女エレナ』の作中にカポックの描写はなく、史実や文献を紐解いても特に記載は見当たりません」
「ふむ。まあよい、調査は気長に続けさせよ」
アインズは頷くと、一拍置いた。そして軽く咳払いをひとつ挟み、どこか言葉を選ぶようにして訪ねた。
「……それで……リゾート開発の方は……進んでいるか」
アルベドの表情がぱあっと華やいだ。
「はいっ。温泉リゾートにつきましては、すべて順調に推移しております。湯殿の整備も、スイートルームの内装も滞りなく進んでおりまして……あと二週間ほどで、無事に開業を迎えられる見込みでございます……ふふっ、はぁ……」
報告の最後、アルベドの唇から、熱い湯気に当てられたかのような甘い吐息が漏れた。両手が無意識のうちに自身の頬へと添えられ、漆黒の翼が背後でぱたぱたと幸せそうに羽ばたいている。
(それかっ! 原因はその温泉リゾートかっ!)
ヒルマの脳裏に、稲妻のごとき閃きが走った。
間違いなくアルベドは、開業するその温泉リゾートへ、魔導王陛下と二人きりで行く約束を取りつけている。二週間後という具体的な日取りを口にした瞬間の、あのとろけきった顔が何よりの証拠である。
(し、しかし……これにどう反応すべきなの?!)
ヒルマの胃が、きりきりと痛み始めた。
権力者がこれほどあからさまに上機嫌な理由を匂わせている以上、「まあ、アルベド様、開業の暁には陛下とお出かけに?」などと水を向けて機嫌を取るのが宮廷処世術の定跡(じょうせき)だろう。もしかすると、アルベドは周囲からそう羨ましがられるのを待っているのかもしれない。
だが、もしそれが二人だけの極秘事項――他者が絶対に踏み込んではならない聖域だったとしたら――。余計な口を挟んだ瞬間、せっかくの逢瀬に泥を塗った不届き者として、八つ裂きに――いや自ら死を望むほどの苦痛を味わうことになるかもしれない。
ヒルマが脂汗を滲ませながら必死に思考を巡らせていると、アインズが軽く咳払いをした。
「う、うむ。ご苦労だった、アルベド。では次に、ヒルマ。都市の動向について報告せよ」
「は、はいっ! 謹んでご報告申し上げます!」
ヒルマは慌てて雑念を振り払い、深く頭を下げた。
「現在、MHKのみならず、ノヴァリア百貨店の窓口へ、魔導国内および周辺諸国から連日のように問い合わせが殺到しております。窓口の者たちが対応に追われ、悲鳴を上げるほどの数でございます」
「ほう。一体どのような問い合わせなのだ」
アインズの眼窩の紅い光が、興味深そうに揺らめいた。
ヒルマは手元の報告書を開き、寄せられた声を読み上げた。
「先日の特別番組『アインザック探検隊』を観た者たちからでございます。『シズ様やエクレア様の人形は売っていないのか。うちの子どもがどうしても欲しいと泣いてせがむ』といった声が、山のように届いております。さらには『ノヴァリア百貨店に置いていないのなら、どこの店へ行けば買えるのか』、『いま売っていないのなら、今年のアインズマスに合わせて売り出される予定はないのか』など、問い合わせが引きも切らない状況でございます」
報告を終えたヒルマが顔を上げると、アインズは顎に手を当て、何事かを懐かしむように天井を仰いだ。
(シズやエクレアの人形か……。そういえば、元の世界でもテレビで人気の出たマスコットやアニメのキャラクターは、こぞってグッズ化されていたな。ハローキティなんかも、ありとあらゆる商品が世界中の百貨店に並んでいた……)
アインズは、かつての記憶を辿りながら、何気なくぽつりと呟いた。
「ふむ。キャラクター産業だな」
直後、デミウルゴスの宝石の瞳がキラリと光った。
「なるほど、そういうことですか。ようやく繋がり――」
「そういうことですね、アインズ様! ようやく繋がりました!」
デミウルゴスが言い終えるより早く、隣から凛とした、それでいて恍惚に満ちた女性の声が被さった。声の主はラナーである。彼女は両手を胸の前でぎゅっと組み、崇拝の眼差しをアインズへと向けていた。
またしても言葉を遮られたデミウルゴスが、信じられないものを見るかのように目を見張り、ラナーの方へと首を巡らせる。
ヒルマもまた、息を呑んだ。これはただでは済まない――そうヒルマが身を縮めた、そのとき――。
「まあまあ、ラナー。アインズ様の御前ですよ。デミウルゴスが話している途中なのですから、もう少し落ち着きなさいな。気持ちはわかりますけれど、ね?」
響いたのは、春風のように優しく、聖母の慈愛に満ち溢れた声だった。
アルベドは怒るどころか、ふわりと小首を傾げ、女神そのものといった穏やかな微笑みを浮かべてラナーをたしなめた。
『――!?』
その瞬間、ラナーとヒルマの背筋が、同時に凍りついた。
激昂されるよりも百倍恐ろしい。あのアルベドが、無礼を働いた者をこんなにも優しく、慈愛に満ちた顔で諭すなど、天地がひっくり返ってもあり得ない異常事態だ。
「も、申し訳ございません、アルベド様、デミウルゴス様……。あまりの感動に、つい我を忘れてしまいました」
ラナーは頬をわずかに引きつらせながら淑やかに頭を下げた。
デミウルゴスは眼鏡の位置をクイッと直して微笑んだ。
「いえ、構いませんよ。どうやら、皆もアインズ様の真意を理解したようですね。ならば、私からこれ以上の説明は不要でしょう」
デミウルゴスが満足げに頷いた。
その瞬間、アインズの動きがピタリと停止した。
(えっ、ちょっと待って、デミウルゴス。何かが繋がったんだよね?)
アインズにはデミウルゴスとラナーが何を理解し、何と何を繋げたのか、さっぱりわかっていない。ただ人形が欲しいと言われているから、キャラクター産業だな、と感想を漏らしただけなのだ。
(まずい、このまま「ようやく私の考えがわかったようだな」で済ませたら、後でどんな壮大な計画が勝手に動き出すかわからん! なんとかしてデミウルゴスに説明させなければ!)
アインズは視線を泳がせ、下座に座るヒルマに目をつけた。
これだ、とばかりに威厳たっぷりの声を作る。
「う、うむ。ようやく私の考えがわかったようだな。……だが、デミウルゴスよ。この場にはヒルマもいるのだ。ノヴァリアの現場統括であるヒルマが理解していなければ、今後の実務の執行に差し支えるだろう。ヒルマにもわかるように、順を追って説明してやれ」
「ま、魔導王陛下……! なんというお心遣い……っ!」
ヒルマは感極まったように両目を見開き、深々と頭を下げた。
至高の御方が、自分のような人間の理解度にまで気を配ってくださるとは、なんという慈悲深さか。
しかし、元裏社会幹部にして、今やノヴァリアの物流・商業を取り仕切るヒルマの明晰な頭脳は、すでに一つの明確な答えを導き出していた。
「身に余るお言葉、恐悦至極に存じます! ですがどうぞご安心くださいませ。不肖このヒルマにも、陛下のお考えはしかと理解できました!」
ヒルマが誇らしげに胸を張って言い切った瞬間、アインズは自ら絶望のオーラに包まれた。
(理解できてないの、俺だけかよ!)
まさに絶体絶命――。アインズの背中の骨が冷たく震える。
だが、そのとき、起きた――奇跡が。
「ねえ、デミウルゴス。……私に説明してもらえないかしら?」
発言したのは、アルベドだった。
ピシリ、と統治評議室の空気が凍りついた。
デミウルゴスが口を半開きし、ラナーが息を呑み、ヒルマが我が耳を疑って顔を向ける。
ヒルマの心臓が早鐘を打ち始める。人間の自分ですら理解できたことを、ナザリック守護者の頂点に立つ存在であり、内政のすべてを統べる宰相アルベドが理解できていない? そんなはずがない。あり得るはずがないのだ。
だが、当のアルベドは小首を傾げ、きょとんとした顔でデミウルゴスを見つめている。
無理もない。アルベドの脳内は、アインズと二人きりで浸かる温泉と、その後に待つスイートルームでの甘美な夜の妄想で埋め尽くされていた。ヒルマの報告も、アインズの呟きも、ラナーの割り込みすらも、桃色の靄(もや)の向こうから聴こえる小鳥のさえずりに過ぎなかったのだ。
しかし、窮地のアインズにとって、その言葉は天から垂らされた蜘蛛の糸そのものだった。
アインズはこれ以上ないほど優しい声でアルベドに語りかけた。
「アルベド。お前はこのところ、南境の開発や各国の対応で誰よりも忙殺されていたな。たまには思考が追いつかぬこともあるだろう。デミウルゴスよ。多忙なアルベドのために、わかりやすく説明してやれ」
「畏まりました、アインズ様」
そのときヒルマは――デミウルゴスとラナーも――勝手に納得しかけていた。おそらくアルベドは、アインズ様のお考えを本当に皆が理解できているかを試すため、あえて質問したのだ――と。
だが、それにしては、アインズに優しく労われたアルベドの「ふふっ、アインズ様ったら……」というデレきった笑顔は、演技にしては生々しすぎる。
デミウルゴスは気を取り直すように再び眼鏡を押し上げた。
「では、アインズ様の描かれた壮大なる構想を紐解かせていただきます。まず、今回の問い合わせの殺到を受け、我が魔導国は新たに『キャラクター産業』を立ち上げ、シズやエクレアを模した人形を製造・販売いたします」
デミウルゴスは立ち上がり、指を一本立てた。
「ここで重要なのは、その購買層です。ヒルマの報告にもあった通り、人形を欲しがっているのは主に幼い子どもたち、そして女性層となります。であれば、従来の陶器や木彫りのような硬く重い人形では、子どもが抱いて眠るのには適しません。表面は柔らかい毛並みで覆われ、中に綿を詰めた、軽くて抱き心地のよい人形とするのが最適でしょう」
そこまで聞いた瞬間、アインズの脳内にピコンと電球が灯った。
(ああ、なるほど! 硬いフィギュアじゃなくて、柔らかくて綿の入った人形……つまり「縫いぐるみ」を作ろうって話か!)
ようやく一つだけ話が見えたアインズは、ここぞとばかりに重々しく頷き、威厳に満ちた声で口を挟んだ。
「うむ。それを『縫いぐるみ』と言う」
「『縫いぐるみ』……! なんと本質を突いた名前でしょうか! 流石はアインズ様、すでに名称まで定められていたとは!」
デミウルゴスが深々と頭を垂れ、ラナーが感嘆のため息を漏らす。
アインズは内心でほっと胸を撫で下ろしながら、鷹揚に手を振って先を促した。
「その『縫いぐるみ』をいかにして供給するか。ここにこそ、アインズ様がこれまで打ってこられた布石のすべてが収束するのです。すなわち、エン経済圏をさらに拡大する、新たな『国際水平分業』の構築です」
デミウルゴスの声が熱を帯び始めた。
「第一に、キャラクターの意匠権――すなわち知財は、すべて我が魔導国が掌握します。これにより、最も利益率の高い商品の企画およびライセンス料は、魔導国が完全に独占することになります」
(それは以前にも聞いた仕組みだな。よしよし、ここまではわかるぞ)
アインズが頷くのを見て、デミウルゴスはさらに言葉を継いだ。
「第二に、縫いぐるみに不可欠な『原料』です。先ほどアルベドから、白霧の湖の周辺には熱帯植物――カポックが大量に自生しているとの報告がありました。カポックの果実から採れる繊維は、極めて軽く、弾力性に富み、縫いぐるみの中綿としてこれ以上ない最上の素材となります。さらに、温暖な気候を有する竜王国において、表面の布地や糸の原料となる『綿花』を大規模に栽培させるのです。これを、観光産業と並ぶ、竜王国の新たな基幹産業として育成します」
デミウルゴスは軽く首を振りつつ、「いったいアインズ様はどこまで先を見通しておられるのか」と呟き、恍惚とした表情を見せた。
「なぜアインズ様が、一見何の利益もないように思えた合同調査隊の派遣をあっさりとお認めになり、さらには竜王国へ気前よく土地をお譲りになったのか――。すべては、あの地に眠る資源を発見させ、竜王国を『縫いぐるみ産業の原料供給地』として組み込むための、深遠なる布石だったのです!」
(なっ……!?)
驚いたのは、もちろんアインズ自身だった。
(カポックなんて今日初めて聞いたし、調査隊を認めたのも土地を譲ったのも、友好関係をアピールしたかっただけなんだけど!)
心の中で絶叫するが、表面上は微動だにせず「当然だ」と言わんばかりに眼窩に紅い光を宿している。
そこへ、ラナーがうっとりとした笑みを浮かべて言葉を添えた。
「バハルス帝国には共同でクーラーを発明させ、竜王国には新たな産業を与える。感謝させながら、生み出された利益は魔導国が吸い上げる……。本当に見事なご采配です」
下座のヒルマは、改めて魔導王の底知れぬ深謀遠慮に戦慄し、全身に鳥肌を立てていた。
南境探検にはじまり、特別番組の放送、調査隊の派遣、果ては領土の割譲に至るまで、すべてが一本の線で繋がっている。
神か悪魔か――いずれにせよ人間の知恵で太刀打ちできる相手ではない。
「第三に、縫いぐるみの顔を決定づける『目玉』のパーツです。ここだけは布ではなく、艶やかなガラスや樹脂を用いた方が良いでしょう。これを細工技術に長けたドワーフ国に製造を担わせます。そして最後に、第四として――」
デミウルゴスが両腕を広げ、完璧な円環を語る。
「竜王国から届いた綿花とカポック、ドワーフ国から届いた目玉パーツを集約し、大量に縫い合わせて完成品へと仕立てる製造工程は、『世界の工場』たるローブル聖王国に担わせるのです!」
魔導国が企画と知財を握り、竜王国が原料を育て、ドワーフ国が部品を作り、ローブル聖王国が大量生産して世界中へ売りさばく。まさに大陸全土を一つの巨大な工場へと変貌させる、毛並み柔らかな覇権の完成であった。
一通りの説明を終えたデミウルゴスは、スッと視線を下座へと向けた。
「ヒルマ・シュグネウス」
「は、はいっ! デミウルゴス様!」
不意に名を呼ばれたヒルマは、弾かれたように背筋を正した。
「あなたも理解できたと言いましたね。ならば、現場を統括する者として、次に何をすべきか分かっているはずです」
試されている――ここで見当違いの答えを口にすれば命はない。
ヒルマは頭をフル回転させ、最大の課題を絞り出し、凛とした声で進言した。
「はい、デミウルゴス様。この縫いぐるみをはじめ、我が魔導国は今後、国内外においてさらに膨大な『版権』の管理が必要となってまいります。つきましては、粗悪な模造品の取り締まりや各国への製造許諾、ライセンス料の徴収を一元的に行うため、私どもエイト・リーブスが統括する『版権管理団体』を新たに立ち上げようと考えます」
デミウルゴスは眼鏡の奥で満足げに光を宿し、小さく頷いた。
「よろしい。早急に優秀な者を集め、組織を立ち上げなさい。……まあ、あくまでも『人間としては優秀』というレベルにはなるでしょうが、その程度で充分でしょう」
「はっ! ありがたき幸せに存じます!」
ヒルマが安堵の息を吐きながら深々と頭を下げた、そのとき――。
「ありがとう、デミウルゴス。おかげで、私もようやく分かったわ」
花が綻ぶような、美しくもあどけない声が響いた。
顔を上げたヒルマ、ラナー、そしてデミウルゴスの三人は、アルベドの表情を見て、今度こそ完全に動きを止めた。
そこにあったのは、部下の理解度を試した上司の満足げな笑みなどではない。
本当に、心の底から「いま初めて話の筋を理解した」というスッキリとした顔と、これから二週間後に待つアインズとの温泉リゾートを思って、再びうっとりと夢の世界へ帰りかけている、無防備で幸せそうな微笑みだった。
(……ほ、本当に分かっていなかった……!)
デミウルゴスの頬がピクリと引きつり、ラナーの瞳が驚愕に揺れる。
あろうことかアルベドは、ただ純粋に頭の中がお花畑になっていただけだったのだ。
(見なかったことにしよう。いや、聞かなかったことにしなければならない……っ!)
下座に座るヒルマは、頭を下げ、誰にも気づかれぬよう奥歯をガチガチと鳴らした。
今日、この統治評議室で起きたこと――世界最強国である魔導国、その宰相たるアルベドが、恋わずらいのあまり会議中に妄想に浸り、人間の自分ですら理解できた話をまったく理解できていなかったという事実――それを知る人間は、この世で自分しかいない。
もし万が一、これが外部へ漏れるようなことがあれば、その出処は百パーセント自分だとみなされる。そうなれば、どんな想像を絶する恐怖を味わうことになるか分かったものではない。
(絶対に墓場まで持っていく……! 私は今日、何も見なかったし、何も聞かなかった……!)
華やかな新産業の誕生が決定した統治評議室の片隅で、ヒルマはただ一人、ぶるぶると小刻みに震えていた。