魔導産業革命 ~エネルギーシフトと覇権通貨「エン」がもたらす軍事なき支配~ 作:Camel おさ
かつてリ・エスティーゼ王国の裏社会を牛耳った闇の組織『八本指』。
王国が魔導国によって文字通り地図から消し去られた際、彼らはアインズ・ウール・ゴウン魔導王の慈悲によって命を救われ、ナザリックの管理下にある「村」へと移住させられていた。
かつて利権と暗殺、裏切りにまみれた修羅場を生きてきた彼らにとって、ここでの暮らしは、驚くほど平和だった。広大な麦畑、穏やかな風、十分な食料――。
もちろん、絶対的な恐怖が前提の、ガラスの上の平和ではあったが。
「――皆様、お茶が入りましたよ」
元奴隷部門の長、コッコドールが、穏やかな、しかしどこか生気を欠いた手つきでカップを配る。
「ありがとう、コッコドール」
元高級娼婦にして元麻薬部門の長、ヒルマ・シュグネウスが、紅茶の湯気を見つめる。
ゆっくりとした時間が流れていく――。
しかし、その平穏は突如として破られた。
空間がぐにゃりと歪み、漆黒の穴――〈ゲート〉が開いたのだ。
冷たい緊張が走る。
現れたのは、銀髪をなびかせたゴスロリ衣装の絶世の美少女。ナザリックが誇る最強の階層守護者、シャルティア・ブラッドフォールンであった。
「お前たちをある場所へ連れて行くでありんす。ついてくるでありんす」
「は、はいっ! 直ちに!」
ヒルマたちは反射的に平伏した。
特にコッコドールは、歯をガチガチと鳴らし、床に額を擦りつけている。
<ゲート>を通り、彼らが足を踏み入れたのは、巨木が立ち並ぶトブの大森林の奥深く。そこに佇むのは、素朴ながらもどこか神秘的な気配を纏った一軒のログハウス<深緑の隠れ家>。
中へ案内する道すがら、シャルティアはふと足を止め、応接間の床の一点をじっと見つめた。その端正な顔立ちが、瞬時に熱を帯び、うっとりとした恍惚の表情へと変わっていく。
「ああ……ここでありんす。かつてこの場所で、わたくしはアインズ様の御身体をその身に受け、至高の『椅子』となる誉れを授かったでありんす……」
頬を赤らめ、自身の身体を抱きしめて身悶えする守護者の姿に、八本指の面々は内臓が裏返るほどの恐怖を覚えた。何を言っているのかは分からない。しかし、決して触れてはならないことだけは本能で理解できた。
「さあ、奥へ行くでありんす」
我に返ったシャルティアに促され、彼らが恐る恐るリビングの扉を開けると、そこには先客がいた。
「――お待ちしておりました、皆様」
鈴を転がすような、清らかな声。
しかし、そこに座っていたのは人間ではなかった。不吉なコウモリの羽、どろりと濁った瞳、その瞳の下も黒ずんでいる。
だが――その顔立ちには見覚えがあった。
「なっ! ラナー、王女……?!」
ヒルマが思わず声を漏らす。元リ・エスティーゼ王国第三王女、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ。人間から悪魔へと種族を変えた彼女が、優雅に微笑んでいた。
八本指の面々は驚愕に目を見開く。同時に、あの心優しい王女までもがナザリックの毒牙にかかり、怪物に変えられてしまったのか――と誤認した。
まさか、「黄金」と呼ばれた王女が自ら進んで祖国を魔導国に売った怪物だとは、夢にも思わない。
「驚かせてしまってごめんなさい。でも、今の私はアインズ様の下で働く身。今回は、皆様の『かつての経験』が必要になり、お呼び立てしたのです。現在、バハルス帝国との間で、アインズ様の名を騙った大規模な『フィッシング詐欺事件』が発生しています」
ラナーの口から語られた事件の概要は、彼らにとって未知の、しかし本質的には極めて泥臭い「知能犯罪」の手口だった。魔導国の親書を完璧に偽造し、帝国の官僚の心理の隙を突いて、莫大な額の金貨を騙し取った正体不明の知能犯。
「表の捜査は、すでにドッペルゲンガーやハンゾウたちが進めています。ですが、犯人は魔法の痕跡を残さず、裏社会の流通網を巧妙に使って金貨を洗浄(ロンダリング)していると思われます。……そこで、皆様の出番です」
ラナーのどろりとした瞳が、冷酷な悪魔のそれに変わる。
「かつて王国の裏社会を支配していた皆様の知識、人脈、そして『犯罪者の思考』。それらを使って、裏のルートから犯人の足取りを追ってください。これはアインズ様のご意志です」
……ラナーの声色が変わった。
「もし失敗すれば……分かりますね?」
「ひ、ひぃぃっ!」
恐怖公の部屋での「経験」がフラッシュバックしたコッコドールが短い悲鳴を上げた。全身がガタガタと震え出す。
(犯人を見つけ出さなければ……またあの地獄に戻されるぅっ!)
他の八本指の面々も、圧倒的な恐怖から、従順に平伏して指令を受け入れる。
だが――。ただ一人、ヒルマだけは、他のメンバーとは全く違う理由で、その身体を小刻みに震わせていた。
(アインズ様の……あの偉大で、慈悲深い魔導王陛下の御名を騙ったですって?!)
ヒルマの脳裏に、魔導王陛下の神々しい姿が浮かぶ。
彼女にとって、アインズ・ウール・ゴウンは絶対の神であり、その権威を汚す者は、この世で最も許されざる大罪人だった。それを、どこぞの馬の骨とも知れぬ詐欺師が、小賢しい偽造で泥を塗ったのだ。
ヒルマの胸の奥から湧き上がってきたのは、恐怖ではなく、魂が燃え盛るほどの、烈火のごとき『憎悪』だった。
「……ラナー様」
ヒルマは床に額をつけたまま、低く、しかし驚くほどドスの利いた声で言った。その瞳には、かつて裏社会の頂点に君臨した「女帝」としての、冷徹で凶暴な光が戻っていた。
「お任せください。魔導王陛下の御名を騙り、その威光に泥を塗った不届き者……。私どもの手で必ずや引きずり出してご覧に入れます」
アインズへの狂信的な忠誠心が、ヒルマを完全な復讐の鬼へと変えていた。
ラナーはそれを見て、満足そうに、醜悪で美しい笑みを浮かべた。
「ええ、期待しています。魔導国を敵に回した愚か者に、本当の地獄を教えてあげなさい」
表からはナザリックの圧倒的な個の力が、そして裏からは、執念の狂信者となったヒルマ率いる八本指の闇のネットワークが動き出す。見えざる詐欺師への、絶対的な包囲網が形成されることとなる。