魔導産業革命 ~エネルギーシフトと覇権通貨「エン」がもたらす軍事なき支配~ 作:Camel おさ
夜のエ・ランテル。酒場の喧騒は、魔導ランプの明るさに負けじと熱を帯びていた。液状魔力の恩恵は、この街の労働者たちに、夜を謳歌する活力を与えていた。
酒場の片隅では、新聞社のデスクを預かる係長のシン・ワーナベと、その後輩である主任のクルトが、仕事帰りの晩酌をしていた。
「……新天地開拓か。正直、にわかには信じがたい」
シンが硬い干し肉を噛みしめ、吐き捨てるように言った。
クルトはエールの入ったジョッキをあおると「ぷはぁっ」と勢いよく息を漏らす。
「係長、またその話ですか。もっと前向きに捉えましょうよ」
「前向き、ねぇ。お前、本当に信じてるのか? デスナイトが千体投入されたところで、そう簡単に終わるものかっ」
そう言ってエールをあおったシンが、ふと沈黙し、暗い表情を浮かべた。
「……いや……終わるのかも……しれないな」
「どういう意味です?」
「デスナイトの膂力(りょりょく)があれば、百人がかりの重労働を一体で片付けるだろう。それは便利だ。……だがな、クルト。この国の若者たちは、やがて何を目的として生きればいい?」
クルトは黙ってシンを見つめた。
シンは指先をわずかに震わせている。
「アンデッドの利便性はもはや疑いようがない。だが、現場の労働者たちの目は死んでいく。彼らはアンデッドに職を奪われ、かといって別の生きがいも持てなくなる。あまりにも強大な力が、あまりにも鮮やかに街を作り変えていく。昨日まであった世界の形を、まるで最初からなかったことのようにしてな……」
「係長。それは、陛下への不敬になりかねない意見ですよ」
「ああ、わかっている。だが、それが今の魔導国の『歪み』だ。言論の自由があるというなら、この国の未来が『アンデッドの揺りかご』になってしまう懸念を、記事にしてもいいはずだ」
「係長……」クルトは言葉を失った。
シンは覚悟を決めたように、最後の一口を飲み干す。
「俺は書く。この国で生きる人間としてな」
「エール、おかわり!」
二人がジョッキを合わせる「カツン」と乾いた音が、この国の急激すぎる変化の音と重なって響いた。
◇ ◇ ◇
「新天地開拓プロジェクト」が報じられた合同記者会見の数日後。
新聞に以下の社説が掲載された。
――――――――――――――――――――――――――――――――
エ・ランテルはインフラ整備と生活水準の向上により、市民の幸福度は確かに上がった。
アンデッドが肉体労働を担うことで、人々は重労働からも解放されつつある。
新天地開拓によってアンデッドの重要性はますます高まるだろう。
しかし、これが加速し、専門的な作業までをもアンデッドが担うようになれば、市民は仕事を奪われてしまうのではないか。『働く喜び』や『生きるための闘争心』を失ってしまうのではないだろうか。
このままでは、労働の喪失が起き、魔導国はアンデッドが維持する『巨大な揺りかご』となるだろう。
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(うーん。その通りなんだよなぁ。18世紀の産業革命では労働者が暴動を起こしたし、21世紀には「AIに仕事を奪われる」って人類がパニックを起こしたし……。急な進化は不安を与えるんだよな……)
アインズ・ウール・ゴウンの名にかけて、国民全員に『言論の自由』を与える――そうアインズは宣言した。それはわかっている。わかってはいるが、アルベドの腸は煮えくり返っていた。美しい顔は般若の形相に変わり、レベル100の殺圧が周囲の空間をどす黒いオーラで揺らした。
(あー、怒ってるなー、アルベド)
「アルベド、落ち着け。わかっていると思うが、処罰は不要だ。私はこの者に感謝を伝えたい」
「……は? 感謝、でございますか?」
アルベドが目を丸くし、殺圧が薄れていく。
「ふむ。この者を呼ぶとしよう」
◇ ◇ ◇
執務室に招かれたシン・ワーナベは、死刑宣告を待つ罪人の顔をしていた。額から流れ落ちる冷や汗が、床に点々と染みを作っている。
(もう終わりだ。あの記事は、あまりに言い過ぎた……!)
死の恐怖に支配されていたシンの視界が、ふと執務室の片隅で止まった。
静寂の中に立つ三人のメイド。
シクスス、フォアイル、リュミエール。
その清廉で可憐な美貌を認めた瞬間、記者の直感が働いた。
(なんて完璧な均衡……。彼女たちの写真を撮って新聞に載せれば……いかん、今はそんなことを考えている場合ではない!)
恐怖と職業意識が脳内で激しく衝突し、シンは必死に正気を保っていた。
――ただ彼女たちの姿は、シンの脳裏にくっきりと刻まれることになる。
背後の扉が重々しい音を立てて開く。アインズ・ウール・ゴウンの歩む気配が、床を規則正しく鳴らす。シンは声も出せず、顔を下げ、平伏の姿勢を貫くことしかできない。
「待たせたようだな。楽にせよ。座るがよい」
その骸骨の顔を正面に見た瞬間、シンは心臓が口から飛び出るかと思った。眼窩の赤い光、剥き出しの歯。生身の王とは隔絶した「死」の体現がそこにあった。
「……あ、りがとうございます」
震えながら椅子に腰を下ろしたシンを、アインズはじっと見つめ、静かに切り出した。
「シン・ワーナベよ。あの社説……非常に興味深かった」
シンが直立し、椅子を避けて床に跪く。
「申しわけございませんでした! 魔導国の未来を憂うあまり、つい筆が滑り……!」
「詫びる必要はない。むしろ礼を言いたいのだ。まあ座ってくれ」
アインズは、骨だけの指を組んでシンを見た。
「労働の喪失――私が最も懸念していたことを、お前は的確に言語化した。国民がアンデッドに頼り切る未来は、生きた人間にとって揺りかごであり、同時に墓場でもある。お前のその熱意こそ、今の魔導国に最も必要なものだ」
アインズの言葉が脳内で反響する。恐怖に支配されていた思考が、色を変えていく。
(……感謝? 陛下が……この俺に?)
「ふむ。何か褒美をやりたいが……何が良いか」
アインズはふと思案し、懐から一つの懐中時計を取り出した。銀細工の蓋には、ルーン文字が刻まれている。
「これを持っておけ。ルーン文字をあしらった私の懐中時計だ。これを見せれば、魔導国内のあらゆる場所で、お前は陛下直属の『特別取材権』を行使できる」
シンは戦慄しながら、震える手でそれを受け取った。冷たい金属の感触が、夢ではないことを告げている。
「陛下……このような、恐れ多い……」
「良い。お前は私の目となり、耳となるのだ。民が何を考え、何に怯え、何に期待しているか。それを私に教えてくれ。お前のペンは、時に数千のデスナイトにも勝る――私はそう確信している」
アインズは椅子から立ち上がり、シンの肩に重々しい骨の指を置いた。
「これからも期待しているぞ、シン・ワーナベ」
シンは、アインズの骸骨の眼窩の中に、冷酷さではなく、深い憂慮と、民を思う孤独な王の意志を見た気がした。
「はっ……! この身、魔導国と陛下のために捧げます! 必ずや、民の声を正しく陛下に届ける記事を書き続けます!」
シンは涙を流しながら誓った。この瞬間、彼はただの新聞記者から、魔導国の未来に灯をともす「導き手」へと変わったのである。
――後に、新たな産業への「転職」を果たすことになるシン・ワーナベは、魔導国の歴史に名を残すこととなる。