魔導産業革命 ~エネルギーシフトと覇権通貨「エン」がもたらす軍事なき支配~ 作:Camel おさ
バハルス帝国。北東。カルサナス都市国家連合との国境付近。
忘れ去られ、草木に覆われていた旧街道は、今その姿をがらりと変えていた。ジルクニフ皇帝の命により、魔導国の道路を模したかのような、完璧に舗装された石畳の道へと変貌を遂げていたのだ。
ノヴァリアの道には遠く及ばない。しかし、その石畳は寸分の狂いもなく均され、馬車の轍一つない。これは、帝国の未来を賭けた「鉄の馬」の、試験疾走のために用意された、まさに「未来への道」だった。
夜明け前の空はまだ暗く、乳白色の霧が地表を這うように漂い、全てを幻想的に包み込んでいた。
キーロ・タヨトは、分厚い布をかけられた試作車の前に立っていた。
幾夜も工場に籠もり、油と汗にまみれ、指先を切り刻みながら、キーロがその魂を削って作り上げた結晶――鉄の馬。その金属の塊が、霧の中で静かに佇んでいる。
「……ついに、この時が来た」
キーロの喉から、乾いた呟きが漏れた。その声には、疲労と、そして途方もない期待が滲んでいた。
傍らでは、ジルクニフ皇帝の密命を受けた近衛騎士たちが、周囲を厳重に警戒しながら、キーロの準備を固唾を飲んで見守っていた。
キーロは、ゆっくりと、しかし確かな手つきで布を外した。
青白い霧の中に、鈍く光る紅い車体が姿を現す。
四つの頑強な金属車輪。液状魔力タンク。そして、キーロがその全てを注ぎ込んで作り上げた、帝国の新たな心臓たる液状魔力エンジン。その姿はまだ粗削りで、洗練とは程遠い。しかし、その金属の塊には、疑いようもなく、帝国の未来が宿っていた。
キーロは運転席に乗り込み、助手席の青年に声をかけた。
「液状魔力のバルブを開けろ」
「了解!」
青白い液体がタンクから勢いよく流れ出し、金属管を通ってエンジン内部へと吸い込まれていく。その音は、まるで生き物が水を飲むかのようだった。
キーロは、懐から取り出した金属棒を点火口に差し込み、深く、深く息を吸い込んだ。
(頼む、動いてくれ……! お前が動けば、帝国は、この絶望的な状況を打ち破る、新たな武器を手にするのだ……! 陛下のご期待に、応えさせてくれ……!)
全身の力を込め、金属棒を叩きつける。
キンッ!
乾いた金属音が夜明け前の静寂を切り裂いた。
直後、エンジンの奥で青白い光が弾け、車体全体が激しく震動する。
「……動いた……動きました!」
助手が、興奮に震える声で叫んだ。
エンジンは不規則ながらも、確かに、力強く、その「心臓」が脈動を始めた。
それは、まるで永い眠りから覚めた巨獣の咆哮のようだった。
キーロは、固くハンドルを握りしめ、アクセルをゆっくりと、慎重に踏み込んだ。
ゴッ……ゴゴゴッ……!
重々しい唸りとともに、金属の車輪がゆっくりと、しかし確実に回転を始める。石畳の上を、帝国の未来を乗せた「鉄の馬」が、初めてその一歩を踏み出したのだ。
「動いてる……。動いてるぞ!」
近衛騎士たちが息を呑み、その目に驚愕と希望の色を宿した。
キーロはさらにアクセルを踏み込んだ。
ゴッゴッゴッ! ガガガガーッ!
エンジンが咆哮を上げ、車体は猛然と加速する。
石畳を蹴り、霧を切り裂き、その速度は瞬く間に馬のそれを凌駕した。
それは、ただの移動手段ではない。魔導国に一矢報いるための、帝国の新たな『剣』が、今その真価を発揮し始めた瞬間だった。
キーロの視界は、熱い涙で滲んでいた。その震える唇から、絞り出すような声が漏れる。
「……走ってる……! 陛下……! 帝国の……未来が……! 今、ここに……!」
速度が上がる。風が頬を打ち、石畳が猛烈な勢いで後ろへ流れていく。
キーロは、全身全霊を込めて叫んだ。
「走ったぞー! 走ったーー!!」
その歓喜の叫びは、夜明け前の霧の中に吸い込まれていった。
「やったー! 走ったぞー!」
興奮した近衛騎士たちも、警備のことなど忘れ、全力で後を追いかけた。
やがてキーロはゆっくりとブレーキを踏み、試作車は石畳の上で静かに止まった。
エンジンの余韻だけが、微かに響いている。
キーロは震える手で車体を撫でた。その金属の冷たさが心地よかった。
「お前は……必ずや、帝国を救う……」
キーロの言葉は、確信に満ちていた。その手は、冷たい金属の車体を、まるで愛しい我が子を撫でるかのように、優しく、そして力強く撫でていた。
◇ ◇ ◇
バハルス帝国。皇帝の執務室。
窓から差し込む朝日はかつての黄金色の輝きを失い、どこか魔導国の冷徹な「青白い光」を予感させるような、冷ややかな色を帯びていた。
皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは、机の上に広げられた資料――魔導国の圧倒的な技術力をまとめた報告書を凝視していた。
彼の指先は無意識に、抜け止まったはずの金髪に触れ、胃の奥に広がる不快な熱に耐えていた。
その静寂を、無作法な足音が打ち砕いた。
「陛下ぁーっ! 陛下ぁーっ!!」
扉が、儀礼を完全に無視した勢いで跳ね飛ばされるように開いた。
現れたのは、息を切らし、顔を紅潮させた帝国騎士団長バジウッド・ペシュメルだった。
「バジウッド……。また魔導国の『号外』でも届いたのか? それとも今度はスケルトンが空を飛んできたか?」
ジルクニフは自嘲気味に呟き、震える手でポーションに手を伸ばした。だが、バジウッドは首を大きく横に振った。その瞳には、かつてないほどの希望の光が宿っている。
「走った! 走りましたぜ、陛下っ!」
「……何がだ」
「『鉄の馬』ですよ! キーロが造った『鉄の馬』が……今朝、北東の旧街道で、走ったんです!」
ガシャーン! 瓶が砕け散る音が響く。
ジルクニフは手にしていたポーションを床に落としていた。
「キーロが……成功したのか?!」
「成功なんてもんじゃねぇ! 爆音を響かせ、石畳を蹴り飛ばして……馬の速度をあっさり抜き去りやがったと! キーロの野郎、運転席で泣きながら叫んだらしいです。『陛下、帝国の未来が走りました!』ってな!」
ジルクニフの脳裏に、かつて玉座の間で見た、油まみれの技師キーロ・タヨトの燃えるような眼差しが蘇った。
――ノヴァリアの道路は、「鉄の馬」を走らせるために作られた道だ!――
自らが口にしたあの言葉が、確信へと変わる。魔導王アインズ・ウール・ゴウンが、その圧倒的な力で造り上げた「理想郷」ノヴァリア。滑らかで、広大で、死角のないあの完璧な石畳の道路。それこそが、帝国が逆襲に転じるための、最高かつ唯一の舞台なのだ。
「……はは、はははは」
ジルクニフの喉から、乾いた笑いが漏れた。それは久しく忘れていた、狂気と歓喜の混ざり合った笑いだった。
「ノヴァリアの道を疾走するのは、アンデッドではない。我々の『剣』だ!」
ジルクニフは窓の外、魔導国がある方向を鋭く睨みつけた。
「魔導国の民の心を『自由な移動』で塗り替えてやる!」
胃の痛みは、いつの間にか消えていた。代わりに、燃えるような覇気がジルクニフの全身に満ちていく。
「バジウッド。すぐにヴァミリネンを呼べ。『鉄の馬』の量産体制を整える!」
バハルス帝国の『鉄の馬』が、魔導国の完璧な調和に風穴を開ける。
その歴史的瞬間のカウントダウンが今、静かに、しかし力強く始まった。