魔導産業革命 ~エネルギーシフトと覇権通貨「エン」がもたらす軍事なき支配~ 作:Camel おさ
Phase7-1 ワールドシリーズ開幕
その日、ノヴァリアの街は、柔らかな陽光に包まれ、街全体がどこか浮足立ったような高揚感に満ちていた。
ノヴァリア百貨店の壁面に設置された大型テレビには、一つの映像が映し出されている。
『第一回 ワールドシリーズ 開幕』
工場では休憩時間が早められ、酒場では昼間から酒杯が掲げられる。
食堂では料理人までもが手を止める。
軍事でもない。経済でもない。外交でもない。
世界中の人々が、ただ一つの球技に胸を躍らせていた。
ワールドシリーズは魔導国、バハルス帝国、ローブル聖王国それぞれの優勝チームが、世界一の座をかけて戦う、年に一回のトーナメント戦だ。前年の優勝国がシードとなるが、第一回となる今年は(前年の優勝国が存在しないため)公平にくじ引きで決めることとなった。
その結果、一回戦は魔導国優勝チーム vs. バハルス帝国優勝チーム、そして決勝戦は、一回戦の勝利チーム vs. ローブル聖王国優勝チームと決まった。
◇ ◇ ◇
ノヴァリア・ドーム。
青白い魔導ライトが天井を照らす。数万人の観客が客席を埋め尽くし、その熱気がドーム全体を震わせていた。外野席では魔導国の旗が揺れ、一角では帝国の応援団が大太鼓を打ち鳴らしていた。
敵味方入り交じる大歓声は、まるで戦場の鬨(とき)の声だった。しかし、誰も武器を持っていない。握り締めているのは旗であり、応援用の拍子木(ひょうしぎ)であり、選手の名前を書いた布だけだった。
アインズが進めた武装解除――その先に生まれた新たな戦場が、ここにあった。
◇ ◇ ◇
ドーム最上階の第一貴賓席。
中央の椅子にはアインズ・ウール・ゴウンが静かに腰掛けていた。その隣にはアルベドが控える。さらにノヴァリア全体統括ヒルマ・シュグネウスが座り、眼下の観客席を満足そうに見渡していた。
「素晴らしい眺めでございますね、アインズ様」
「ああ」
アルベドの言葉に、アインズも素直に頷いた。
数万人――いや、テレビの前には世界中の人々がいる。
前世で見たプロ野球やワールドカップと同じ熱気が、この異世界にも生まれていた。
(スポーツって、本当に国境を越えるんだな……)
戦争ではない。殺し合いでもない。それでも人は、こんなにも熱狂する。
その光景を眺めながら、アインズは静かに満足していた。
◇ ◇ ◇
第二貴賓席では、落ち着きを失っている男がいた。
バハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。
脚を組み、腕を組む。しかし、その指先は落ち着きなく上腕を叩き続けていた。まるで、内なる焦燥を抑えきれないかのように。
隣に座るロウネ・ヴァミリネンが苦笑する。
「陛下。まだ試合は始まっておりません」
「わかっている」
即答だった。しかし声は硬い。
その向こうでは、バジウッドが腕を組んだまま笑っている。
「陛下らしくありませんな」
「黙れ」
短く返したものの、否定はできなかった。
緊張している。戦争ではない。軍事会議でもない。外交交渉でもない。
ただ野球を観るだけだというのに、胃が締め付けられるようだった。
軍事では勝負にすらならない。経済、文化では、自動車やアニメで一矢報いたとはいえ、世界の中心は依然として魔導国にある。
帝国は負け続けてきた。だからこそ――。
(今日だけは勝ってくれ……!)
この一勝には、数字以上の意味があった。
国民に見せたい。帝国の強さを――。
ジルクニフは、誰よりもそれを願っていた。
◇ ◇ ◇
第三貴賓席では、ネイア・バラハが鋭い視線を眼下に向けていた。
「すごい……」
世界最高峰の舞台。ここを勝ち抜いた方が、聖王国の優勝チーム、ホバンス・ホーリーナイツと戦う。
「どちらが勝っても、強敵ですね」カスポンドが呟く。
「ええ」ネイアは頷いた。
だが、その表情には不思議な落ち着きがあった。
ネイアは、自国の勝利を信じていた。
◇ ◇ ◇
やがてドーム内にウグイス嬢の澄んだ声が響く。
「大変長らくお待たせいたしました」
歓声が一段と大きくなる。
「ただいまより、第一回ワールドシリーズ、一回戦。魔導国代表 ノヴァリア・ルミナス 対 バハルス帝国代表 アーウィンタール・イーグルスの試合を開始いたします」
「両チームのスターティングメンバーをご紹介いたします」
大型テレビに、両軍のオーダーが映し出された。
まずは魔導国代表、ノヴァリア・ルミナス。
一番から順に選手名が読み上げられていくたび、スタンドから歓声が上がる。
「ピッチャー、ムラヤ」
「「「おおおおおーっ!」」」
今日一番の歓声だった。
「ムラヤ!」
「頼むぞ!」
「今日も完封だ!」
「ムラヤは魔導国が誇る絶対的エースです」
実況席の声が響く。
「アンデッド・マクロによる投球解析プログラム。その第一号育成選手として知られ、フォーム、重心移動、リリースポイント、指先の角度に至るまで徹底的な解析を受けて育った投手です」
解説者も頷く。
「速球だけではなく、変化球の精度、制球力、試合運び。その全てが世界最高水準ですね。まさに『完成された投手』と言えるでしょう」
続いて紹介されたのは、アーウィンタール・イーグルス。
選手名が読み上げられるたび、帝国応援席から大きな拍手が起こる。
そして――
「四番、サード、ナガシー」
「「「ナガシーーー!」」」
歓声が爆発した。
実況も思わず熱が入る。
「ナガシーは打って良し、守って良し。そして何より、勝負強い!」
解説者が笑う。
「チャンスにめっぽう強いですね。帝国では『燃える男』の異名で親しまれています」
◇ ◇ ◇
魔導国の貴賓席では、アインズが静かに両チームを眺めていた。
(ムラヤは理論派。ナガシーは感覚派って感じか)
「ナガシーというのは、ずいぶん人気のある選手なんだな」
「はい」ヒルマが微笑む。
「帝国最高のスター選手でございます」
アインズは頷いた。
(なるほど。今日は、面白い試合になりそうだ)
誰もが、ナガシーなら必ずやってくれると信じている。
(スターっていうのは、こういう選手なんだろうな)
アインズは小さく頷いた。
◇ ◇ ◇
「プレイボール!」
乾いた声がドーム中へ響き渡る。歓声が爆発した。
魔導国とバハルス帝国。国家の威信を懸けた一戦が、その幕を開けた。
◇ ◇ ◇
一回裏。魔導国ノヴァリア・ルミナスの攻撃。
バハルス帝国の先発投手が静かに第一球を投じた。
「打った!」
鋭い打球が三遊間を襲う。
誰もが抜けると思った、その瞬間だった。
三塁手ナガシーが、まるで獲物へ飛び掛かる豹のように横へ走った。
迷いのないスタート。グラブを地面すれすれまで伸ばす。
バシッ! 乾いた音を立て、打球はグラブに吸い込まれた。
ナガシーはその勢いのまま身体を半回転させる。左足を踏ん張る。
腰をひねり、腕をしならせた。シュッ! 美しいサイドスロー。
白球は綺麗な弾道を描き、一塁手の胸元へ一直線に飛ぶ。
パンッ!
「アウト!」
ドームがどよめいた。
「なんという守備でしょう!」
実況が思わず立ち上がる。
「捕るだけでも難しい打球を、あの体勢から一塁へ正確に送球しました!」
解説者も感嘆の声を漏らす。
「これがナガシーなんです。足運び、送球姿勢、体勢の作り方。その全てが美しい」
その歓声を聞きながら、ジルクニフは思わず拳を握った。
(これだ。これが帝国の誇りだ)
アインズも、その守備に目を見張っていた。
打球への反応。捕球。送球。どれも流れるようだった。
(スター選手っていうのは、こういうプレーをするんだな……。かっこいいなぁ)
アインズは素直に感心していた。
(俺には「騒々しい、静かにせよ!」しかないからな……。新しい決めポーズ、練習しないとな……)
◇ ◇ ◇
その後、試合は進み、スコアボードには、
イーグルス 2
ルミナス 4
の数字が並んでいた。
ルミナスのムラヤは、ランナーを出しながらも、ナガシーに打たれた2点タイムリーだけに抑えていた。
バハルス帝国アーウィンタール・イーグルスの攻撃は、残すところあと一回。
ノヴァリア・ドームの空気はどこか落ち着き始めていた。
「今日はもうルミナスで決まりだろう」
そんな声が客席から漏れ始める。
帝国の貴賓席にも重たい空気が流れていた。
ヴァミリネンが小さい声を漏らした。
「2点差……。これは厳しいでしょうな」
しかし、ジルクニフは諦めていなかった。
「いや、まだだ。3人出れば、ナガシーに打順が回る」
「3人って……。二死満塁でナガシーってことですか?」
バジウッドが驚いた声を出した。
「そうだ」
「そんな奇跡みたいなこと、起きますかねぇ」
しかし、それは起きた――。
◇ ◇ ◇
九回表。
イーグルスの攻撃は八番から。下位打線だ。誰もがあっさり終わると思った。
しかし、アンデッド・マクロによる特訓で急成長したムラヤには、一つ弱点があった。スタミナだ。九回に入り、ついに制球が定まらなくなってきた。
そして――ジルクニフが予言した通り、二死満塁でナガシーに打順が回った。
ナガシーが打席に入る。
九回二死満塁。投手ムラヤ、打者ナガシー。
ノヴァリア・ドームには割れんばかりの大歓声が響いている。
「ナガシー、頑張れー! ナガシー!」
貴賓席からジルクニフも絶叫していた。
ムラヤがゆっくりとセットポジションに入る。
第一球を投げた。アウトコース低めの速球だ。
(来た!)
これを待っていたナガシーが踏み込む。腰が回る。腕が走る。
カキィィィンッ!
乾いた快音がドームいっぱいに響き渡り、鋭い打球が右中間へ飛んだ。
「打ったぁーーー! よーし回れ回れ! 回れぇーっ!」
ジルクニフが金髪を振り乱し、右腕をぐるぐる回しながら絶叫する。
ナガシーが打った打球が右中間に落ちた。
三塁ランナー、そして二塁ランナーがホームを踏む。
一塁ランナーも打球が飛んだ瞬間から「行く」と決めて走っていた。
ベースコーチが飛び跳ねるように腕を回す。
ランナーが三塁を蹴る。ライトが拾ったボールが中継に返ってくる。
クロスプレーになった。
返球を受けたキャッチャーがタッチにいく。ランナーが頭から滑り込む。
判定は……?!
「セーフ!」
「「「うおおおおおおおおーーーっ!!」」」
ドームに絶叫がこだました。
アナウンサーも絶叫した。
「逆転! イーグルス、逆転です!!」
「やったぁーーーっ!」
ジルクニフは両拳を突き上げて叫んだ。
「逆転だ!」
「やりましたな!」
バジウッドとヴァミリネンも歓喜の声を上げた。
◇ ◇ ◇
九回裏。
土壇場で逆転を許したルミナスに、再逆転の力は残っていなかった。
試合終了――。
4対5。帝国代表 アーウィンタール・イーグルスの勝利となった。
◇ ◇ ◇
帝国の貴賓席。
「勝ったぁぁぁぁーーーっ!!」
ジルクニフは完全に我を忘れていた。
椅子を飛び越えるように立ち上がり、両手を振り回し、子どものように跳びはねた。
ヴァミリネンが思わず吹き出した。
「陛下、お静かに……」
「静かになんかしていられるか!」
ジルクニフの目には涙が浮かんでいた。
軍事で負けた。経済で負けた。文化で負けた。
だが、今日だけは違う。世界最強の魔導国に勝った。
たった一試合。されど一試合。
この一勝が、帝国の民にどれほどの誇りを与えるか――。
ジルクニフは誰よりもわかっていた。
目を潤ませたバジウッドが歩み寄り、
「陛下! おめでとうございます!」
ジルクニフを力いっぱい抱きしめた。
バジウッドは怪力だ。力任せに抱きしめられたら息ができないほど苦しい。
けれど、その苦しさが、いまのジルクニフには心地よかった。
◇ ◇ ◇
魔導国の貴賓席。
アインズは静かにグラウンドを見下ろしていた。
ヒルマが悔しそうに頭を下げる。
「陛下。申しわけございません。負けてしまいました」
アインズは首を横に振った。
「いや。スポーツとはこういうものだ」
勝つ日もあれば、負ける日もある。だから面白い。だから人は熱狂する。
「……実に見事な試合だった」
(それにしても、あのナガシーという選手。最後に一番おいしいところを持っていくとは……。俺もあのような『華』が欲しいものだな)
――翌日の決勝戦で、アインズはさらなる『華』を目の当たりにすることとなる。
◇ ◇ ◇
聖王国の貴賓席。
カスポンドが「ふぅ」と息を漏らした。
「素晴らしい試合でした……」
ネイアが明るい声で答えた。
「はい。ワールドシリーズにふさわしい接戦でした」
「明日の決勝、帝国に勝てそうですか?」
「そうですね。ただ残念ですが……」
ネイアが少し俯いた。
「今日のような接戦にはならないと思います」
ネイアの意外な言葉に、カスポンドがやや驚いた表情で訊いた。
「接戦にならない? まるで刃が立たない、ということですか?」
「そうです」
ネイアが目を光らせた。
「帝国は、聖王国に、まるで刃が立たないでしょう」
ネイアは信じていた。
聖王国の選手たちが積み重ねてきたものを――。
その思いの強さを、汗の重みを、涙の熱さを――。