魔導産業革命 ~エネルギーシフトと覇権通貨「エン」がもたらす軍事なき支配~ 作:Camel おさ
ノヴァリア王宮。執務室。
アインズは執務机に座り、骨ばった――骨しかない――手を報告書の山に置いていた。
隣では、アルベドが超人的な速さで書類を捌いている。
昨日の出来事が、アインズの脳裏をよぎる。
世界中へ生中継された、キーロ・タヨトとンフィーレア・バレアレの会談。
二人の天才は、ルーン文字と液状魔力の気化熱吸収という異なる分野の知識を結び付け、「魔法も氷も使わずに食べ物を腐らせない箱」という、新たな発明の可能性を世界へ示した。
日本の高度経済成長期における「三種の神器」。
テレビ、洗濯機はすでに発明された。そして残る一つ――冷蔵庫。
それが今まさに誕生しようとしていた。コレクターとしての血が騒ぐのは当然だった。
「アインズ様。昨日の会談について、各国から大きな反響が寄せられております」
書類から顔を上げたアルベドが言った。
「特にバハルス帝国では、キーロ・タヨト氏を『帝国の叡智』と称える声が広がっております」
「うむ。それは喜ばしいことだ」
そこへ執務室の扉が叩かれた。
「デミウルゴスでございます」
「入室を許可します」アルベドが答えた。
静かに扉が開き、デミウルゴスが一礼する。
「アインズ様。昨日の会談について、お話しが――」
「冷蔵庫が発明されるだろう、とのことよ」
デミウルゴスの言葉を遮るように、アルベドが淡々と言った。
「先ほどアインズ様から伺ったわ」
デミウルゴスは一瞬息を呑んだ。
「……冷蔵庫、でございますか。やはり、アインズ様はすべてを予見しておられた……」
その瞳が静かに輝く。
アインズは嫌な汗――汗腺など無いが――が流れる感覚を覚えた。
(あ、なんか嫌な予感がする……)
この予感だけは外れたことがない。アインズの脳裏に、過去の数々の「誤解」がフラッシュバックする。アインズの何気ない一言をデミウルゴスが勝手に深読みし、とんでもない方向に暴走させてきた歴史が――。
「アインズ様は、国際水平分業をお考えだったのですね」
(ほら来た……)
アインズの困惑をよそに、デミウルゴスの思考は猛烈な勢いで組み上がっていく。
「バハルス帝国には設計を担わせる。自動車で培われた機械設計の技術は世界最高水準。一方、ローブル聖王国には製造を任せる。テレビ大量生産の実績があり、南北が統一され豊富な労働力を持つ聖王国こそ、生産拠点に最適」
デミウルゴスは、そこで口元に笑みを浮かべた。
「そして魔導国だけが、ルーンを刻印できる。アンデッド・マクロによる刻印技術――これだけは他国には決して真似できません。つまり、製品の価値そのものは魔導国が握り続け、一台ごとに『技術使用料(ライセンス料)』を得ることができる」
アインズは、鈴木悟だった頃に習った歴史を思い出しながら聞いていた。
(えーと、日本が国際水平分業に本格参入したのは……プラザ合意の後だったか? ん? だとすると、この流れは正しいってこと?)
デミウルゴスの声が熱を帯びていく。
「冷蔵庫が普及すれば、液状魔力の需要も増加する。液状魔力の決済は『エン』のみ。覇権通貨『エン』の価値はさらに高まり、世界経済はより強固に魔導国へ結び付けられる!」
デミウルゴスは恭しく頭を垂れた。
「各国へ利益を与えながら、その繁栄は必ず魔導国へ還流する。流石はアインズ様。恐るべき経済秩序でございます」
アインズは心の中で頭を抱えた。
だが、ここで否定すれば、さらにややこしいことになる未来しか見えない。
「その通りだ、デミウルゴス」
「やはりそうでしたか!」
デミウルゴスの口元には満足げな笑みが浮かんだ。
アルベドもまた、尊敬の眼差しをアインズへ向けている。
アインズは静かに頷き、重々しく言った。
「貿易摩擦、プラザ合意、そして国際水平分業。これらはすべて線で繋がっている」
そこでアインズは立ち上がると、一度上体を左にひねり、正面へ向き直る勢いのまま、手のひらを上に向けた右手を前方へ突き出す――密かに練習していた新ポーズを決めた。
「すべては私の描くロードマップの通りだ」
デミウルゴスは、一瞬はっとした表情をした後、静かに眼鏡のブリッジを押し上げた。
「なるほど。となると、次は……」
(え、次って何? ぬあ、しまった、逆効果かよ!)
「あーデミウルゴス。いまはそのー、そう! 考えごとをしたいのだ。今日はこれくらいにしてもらえないか」
デミウルゴスは瞬時に背筋を伸ばし、そして恭しく一礼した。
「アインズ様の貴重な思考のお時間を割いてしまい、申しわけありません」
「う、うむ。わかってくれて嬉しいぞ」
アインズの「三種の神器を揃えたい」というささやかなコレクター願望は、魔導国を中心とした新たな国際経済秩序を築く壮大な布石として動き始めた。
◇ ◇ ◇
ローブル聖王国。ネイア・バラハの本部。
「……今日の新聞」
いつもの「お約束」の後、シズがどさっ!と新聞を置いた。
「……今日のトップ記事は、国際水平分業、始まる」
「国際……水平……分業? なんか難しい……。シズ先輩、どういうことなのか教えてください」
「…………」
「もしかして、シズ先輩も、わからない?」
「……む。読んで」
「読んで?」
「……新聞。読めばわかる」
「は、はい。読みます」
「……わかった?」
「急かさないでくださいっ」
「……あ」
「なんですか」
「……ローブル聖王国も国際水平分業に参加するって言ってた」
「ええっ? そんな凄い話なのに、シズ先輩は何のことなのかわかってないんですか?」
「……む」
そのときネイアは、シズの胸元に一枚の写真が挟まれているのに気づいた。
「シズ先輩。その胸元に挟まれてるのは、写真ですか?」
「……ん。メイドたちと撮った」
「ナザリックのメイドさんたちと?」
「……みんなにせがまれた」
そう言って、シズは写真を見せた。
「わあああああああーーーっ!」
ネイアが絶叫した。
それはナザリックの食堂で撮られた写真――ブラッドのウェディングドレスを着たシズと、彼女を囲む一般メイドたちとの集合写真だった。
「こっ、これはっ、ブラッドのウェディングドレスじゃないですかっ!」
「……そう」
「なんでっ? どうしてこれを着てるんですかっ?」
「……アインズ様と記念写真を撮ろうとした」
「はぁああああああぁーっ?」
「……でも見つかって殺されそうになった。ナーベラルの逃げ足の速さはタヨト自動車なみ。<フライ>も不要。言い出しっぺはソリュシャン。ユリ姉のツンデレに驚愕」
「いや、ちょっと、何を言ってるのか、さっぱりわからないんですけど……」
◇ ◇ ◇
ローブル聖王国。王城。カスポンド・ベサーレス(ドッペルゲンガー)の執務室。
カスポンドは、デミウルゴスから渡された冷蔵庫の設計図を凝視していた。
「これを聖王国が製造すると……?」
「そうです。これはまだドラフト版ですが、いずれ正式版が届きます」
「テレビ製造に続き、冷蔵庫製造も担うことで、この国をさらに富ませるということですね」
「その通りです。工場は我々が建設します。あなたは労働者を集め、工場稼働に向けて動いてください」
「承知しました」
デミウルゴスは窓の外に目をやった。
「この国を富ませるとともに、人口を増やしてください。インフラ整備をお手伝いしましょう」
ふとカスポンドに疑問が浮かぶ。
「デミウルゴス様。人口を増やす意図はなんでございましょうか」
デミウルゴスは一つため息を吐いた。
「一つ一つを見てはならない――以前あなたにそう言ったのを覚えていますか」
「はい。覚えております」
「ローブル聖王国は、『世界の工場』となるのです」
世界の工場――その言葉にカスポンドは衝撃を受けた。
「今後さらにルーン技術は発展します。バハルス帝国は次々と新たな設計をすることになるでしょう。どのような設計であれ、どのような製品であれ、ローブル聖王国であれば製造することができる、世界中の製品がローブル聖王国で作られる――それがこの国の目指す姿です。そのためには人口増加が必須なのです」
カスポンドは震える声で訊いた。
「では……聖王国では製造できないほど需要が増えてしまった場合は、どうするのでしょうか」
「ふっ」
デミウルゴスのダイヤモンドの眼球がキラリと光った。
「そのときはまた、属国を一つ増やします」