魔導産業革命 ~エネルギーシフトと覇権通貨「エン」がもたらす軍事なき支配~ 作:Camel おさ
魔導国中央銀行の執務室へ戻ったラナーは、椅子に腰を下ろすなり、一枚の白紙を机の上へ広げた。
ラナーはペンを手に取ることもなく、静かに目を閉じる。
先ほど中央会議室で示した五つの柱。その内容に誤りはないという自信があった。しかし、それはまだ思想を整理したに過ぎない。
アルベド様やデミウルゴス様をはじめ、守護者たちは、その五つの柱をもとに様々な催しを考えるだろう。だが、それらを個別の企画として眺めていては、本質は見えてこない。
(アインズ様なら、もっと大きくご覧になるはず……)
ラナーはゆっくりと瞳を開き、ようやくペンを走らせた。
最初に書いた文字は、「人」だった。
その横へ矢印を引き、
「移動」
さらに、
「宿泊」「飲食」「買い物」「娯楽」「帰宅」
次々と単語を書き連ねていく。
やがて紙面は、多くの矢印によって複雑に結ばれ、一つの巨大な流れを形作っていた。
ラナーはその図を見つめ、小さく首を傾げる。
「まだ足りませんね……」
人が動けば、鉄道が動く。鉄道が動けば、駅前の商店が潤う。
遠方から来る者はホテルへ宿泊する。
飲食店は繁盛し、土産物店には長蛇の列ができる。
新聞社は特集を組み、テレビは特別番組を編成する。
一つの祝祭が、あらゆる産業を同時に動かす。
「そう……。そういうことですね」
ラナーの黒い瞳に、静かな光が宿った。
これは祝祭ではない。経済活動そのものだ。
世界中の消費が、一つの日へ収束する。
ラナーの思考は一段高い場所へ到達する。
祝祭そのものから、人々の財布へ。財布から市場へ。市場から金融へ。
「ふふっ……」
思わず笑みがこぼれた。
これほど巨大な消費活動が生まれるのであれば、その資金をただ市場へ流すだけでは惜しい。むしろ、国家がその流れを設計するべきだ。
ラナーは新しい紙を取り出し、さらさらと文字を書き始める。
『アインズマス記念貨幣』
書き終えると、その下へ一本の線を引く。
記念貨幣は、決済手段ではない。
人々は使わず、手元へ残す。記念として保管する。
つまり、市場へ流通するはずだった貨幣が、自然と回収される。
さらに、その横へ新しい文字を書き加えた。
『アインズマス宝くじ』
今度は考えるまでもなかった。
一年でもっとも幸福な日。人々は、いつもより財布の紐が緩む。
その心理を否定する必要はない。むしろ、国家が安全な形で受け止めればよい。
売上の一部は公共事業へ。残りは賞金として国民へ還元する。
人々は夢を買い、国家は財源を得る。誰も損をしない。
「Win-Win……」
ラナーは自然とその言葉を口にしていた。
アインズ様が幾度となく口にされた、あの不思議な言葉。
最初は意味が理解できなかった。だが今なら分かる。
国家だけが豊かになるのではない。国民だけが得をするのでもない。
双方が利益を得る仕組みそのものを設計すること――。
それこそが、アインズ様の統治理念なのだ。
ラナーは椅子から立ち上がり、窓辺へ歩み寄った。
夜のノヴァリアには、無数の魔導ライトが星空のように輝いている。
この街には、12月になれば世界中から人が集まる。
家族と過ごす者。恋人と訪れる者。商談に訪れる商人。新技術を求める職人。
その誰もが、この街でお金を使い、笑顔になり、再び帰国していく。
そして彼らは翌年もまた訪れる。
「流石です、アインズ様……」
ラナーは静かに呟いた。
(アインズマスとは、一年でもっとも幸福な日であると同時に、一年でもっとも経済が躍動する日でもあったのですね)
彼女は胸の前でそっと両手を重ねる。
この巨大な循環を、アインズ様は最初から見据えておられたのだ。
(ならば私は、その流れを金融という形で支えてみせましょう)
その微笑みは、王女でも、領域守護者でもない。
世界最大の中央銀行総裁として、新たな時代の金融を設計する者の微笑みだった。
その時、
「あれっ?」
ふと思ったラナーは、人差し指をあごに当てた。
「なんだか最近の私、クライムへの執着心が、薄れてきてないかしら……」