魔導産業革命 ~エネルギーシフトと覇権通貨「エン」がもたらす軍事なき支配~ 作:Camel おさ
コキュートスは、自らが統べる第五階層――氷河と永久凍土に覆われた白銀の世界を、一人ゆっくりと歩いていた。
頬を打つ冷気は鋭い。しかし、その冷たさは、彼にとって故郷の温もりにも等しい。
だが、普段なら心安らぐその景色も、今日ばかりはコキュートスの胸を晴らしてはくれなかった。
「……アインズマス」
低く響く声が、氷壁へ反響する。
ラナーの分析は見事だった。
アインズ・ウール・ゴウンが築き上げてきた偉業。その思想。その願い。
すべてが一本の線となって繋がったように感じられた。
だからこそ、コキュートスは迷っていた。
「武人タル我ニ、何ガ出来ル」
武技大会。軍事閲兵(えっぺい)。剣術奉納。
思いつく案はいくらでもあった。だが、そのどれもが腑に落ちなかった。
アインズ様は世界から戦を遠ざけようとしている。
その御方の聖誕祭を、武によって彩る。
コキュートスは大きく首を横へ振った。
「違ウ」
その一言だけで、自らの案を捨て去る。
思えば、自分の力とは常に、何かを断つためのものだった。
敵を屠るための剣技。侵略者を迎え撃つための氷雪。
称賛されたことは幾度もある。恐れられたことも幾度もある。
だが――感謝されたことは、あっただろうか。
「……無イ」
その事実に、コキュートスは今更ながらに気づいた。
自分の武は、常に何かの終わりのためにあった。
では、何かの始まりのため、誰かの笑顔のために、この力を振るったことが、一度でもあっただろうか――。
その時、背後から、遠慮がちな声が聞こえる。
「コキュートス様」
振り返ると、数名のフロスト・ヴァージンたちが恭しく頭を下げていた。
「何用ダ」
「畏れながら……お悩みのご様子でしたので」
フロスト・ヴァージンたちが、おそるおそる口を開く。
「12月25日は、冬でございます」
「無論ダ」
「そして冬は、我ら氷の眷属が最も力を発揮できる季節でございます」
「でしたら……我らだからこそできる冬を届けては、いかがでしょうか」
その言葉に、コキュートスの六つの瞳が静かに見開かれた。
「冬ヲ……届ケル……」
「はい。ノヴァリアは美しい街です。しかし、アインズマスの日だけは、さらに特別な景色を贈ることができます」
「私たちがフロスト・ドラゴンの背に乗り、上空から雪を降らせるのです」
コキュートスは何も答えない。
ただ、その光景を頭の中で思い描いた。
夜のノヴァリア――。
魔導ライトが街路を青白く照らし、その光を受けながら、無数の雪がゆっくりと舞い落ちる。
王宮前広場。中央駅前広場。大通り。
恋人たち、親子、友人――祝祭へ集う人々の肩へ、静かに雪が積もっていく。
ただ空を見上げ、白銀の景色に息を呑む。
その情景は、戦場しか知らなかった武人の胸を、不思議なほど温かく満たした。
「……美シイ」
思わず漏れたその一言に、フロスト・ヴァージンたちは嬉しそうに顔を見合わせた。
コキュートスはゆっくりと頷いた。
数頭のフロスト・ドラゴンを使えば、その巨大な翼でノヴァリア全域を巡ることも難しくはない。
「汝ラハ、フロスト・ドラゴン達ノ背ニ乗レ」
「はっ」
「ノヴァリア上空ヨリ、寸分違ワズ、雪ヲ降ラセル。一片タリトモ、乱スコトハ許サヌ」
フロスト・ヴァージンたちは、深く頭を垂れた。
「かしこまりました、コキュートス様」
――その時。アルベドから<メッセージ>が入った。
『コキュートス、忙しいところ悪いわね。少し、知恵を貸してほしいことがあるの』
『申セ』
『セバスが子どもたちへ贈り物を届けることを考えていて、でも一つ悩みを抱えているのよ。ソウルイーターを牽引に使う予定なのだけれど、あの獣に空を駆けさせる術がなくて、思案しているの。あなたの氷雪の技であれば、何か良い知恵があるのではないかと思って』
コキュートスは、しばし沈黙した。
翼のない者に空を駆けさせるには道がいる。
フロスト・ドラゴンは氷のブレスを吐く。が、そのブレスは上空では霧散する。道とはならない。
しかし、コキュートスは、寸分違わぬ剣の軌道を制御できる。氷雪のスキルもある。
大気を切り裂き、氷のブレスを制御すれば、地の如く堅固に、風に揺らぐことなく、ソウルイーターの歩みを支える道となる――。
コキュートスの脳裏に、青白く輝く一筋の橋が浮かんだ。
それは、誰かを傷つけるための剣が、初めて誰かのために道を拓く光景だった。
『ソノ役目、我ガ引キ受ケル』
『ありがとう、コキュートス。伝えておくわ』
コキュートスは氷の大地の向こうを静かに見つめた。
それは戦場を見据える武将の眼差しではない。自らの剣を、初めて誰も傷つけぬために――そして、誰かの道を拓くために振るおうとする、一人の忠臣の眼差しだった。